第29話 月夜

 ティナ達を寝かしつけ、僕は天幕を離れた。

 空には丸い月と輝く星々。

 そこかしかに設けられた簡易の魔力灯の下、光翼党派の兵士達が行き交っている。

 思ったよりも数は多い。

 それだけ、天地党の引き起こした強引な政権奪取に懸念を持っている諸勢力がいる、ということなのだろう。


「アレン先輩」「……お疲れ様です」


 後ろから声をかけられ振り向くと、ギルと対『賢者』戦以来、しょげているゾイが立っていた。

 僕は苦笑し、二人へ近づく。


「ギル、ゾイ、お疲れ様。あ、温泉にはもう入ったかい? 眺め抜群だよ」

「まだっすね。英雄様の手伝いが忙しくて」

「…………私も」

「あ~……ごめん」


 ギル達は、アーサーたっての願いで、この数日彼付きとして動いていた。

 ララノアの英雄様は、人使いがどうやら荒いらしい。

 すると、ギルがゾイに気付かれないよう、僕へ視線で合図を送ってきた。


『先輩! こいつをどうにかしてくださいっ!!』

『ギル、ここで頑張ったらきちんとコノハさんへ報告しておくけど?』

『…………鋭意努力するっす』


 何れ四大公爵家の一角、オルグレン家を継ぐだろう後輩は拳を握り、微かに頷いた。本当にいい奴なんだけど……こんなに簡単に納得して大丈夫かな?

 ゾイが不満気に呟く。


「…………二人だけで何を決めたんだよ? バレバレだからなー」

「あ~……もっと、休めっていう話っすよ。ララノアの兵力も揃ってきたし」

「そうだね。特に、ゾイには休憩が必要だ」

「そんなことっ! …………私は、先輩の役に立たなきゃいけなかったのに、役立たずだったから、こういう所で頑張らないと……」

「ゾイ」


 僕は後輩の少女と視線を合わせ、微笑みかける。

 手を伸ばし、


「! せ、せんぱい……? ア、アンコさん!?」


 額を指で優しく打つ。同時に、左肩のアンコさんがゾイへ向かって飛んだ。

 少女は驚いた様子で受け止め、大きな瞳を瞬かせる。

 頭をぽんぽん、と叩き諭す。


「いいかい? 君がいなかったら、とてもじゃないけどあの『賢者』を名乗る恐ろしい魔法士を退けることなんて出来なかった。僕の後輩のゾイは本当に凄いんだよ。だから、そんなに自分を責めないでいいんだ。君は本当に頑張った!」

「……でも、でも……私は……戦うしか出来ないから……」

「そんなことはないさ。だろ? ギル」

「うっす。『七天』様も、ミニエーさんも褒めてくれたじゃないっすか。『すぐにでもララノア軍で働ける』って」

「…………うん」


 エルフの美少女は小さく頷き、恥ずかしそうに背を向けた。

 一先ずは大丈夫かな。ギルとアンコさんもいるし。

 さて、じゃあ僕は――


「おうっ、アレン! 今、時間が空いているかっ!」


 行き来する人々の間から、金髪で軍服を着こみ、双剣を腰に提げた美男子――『七天』アーサー・ロートリンゲンが歩み出て来た。

 僕は肩を竦める。


「……そろそろ来られる頃かな、と思っていました。状況の認識合わせと」

「うむっ! 例の『賢者』と聖霊教の件だ。今後のことと別件も、な。来てくれ。二人で話し合いたい」

「勿論」「駄目です★」


 いいですよ、と応じる前に言葉を遮られた。

 炎花が舞い、ティナ達と一緒に寝た筈のリリーさんが僕は守るよう前へ。

 珍しく厳しい口調でアーサーへ告げる。


「アレンさんは、ウェインライト王国の最重要人物です。この人に何かあれば、王国とララノア共和国の関係は完全に破綻します。しかも、この状況……護衛役として、認められません」

「……リリーさん、貴女を僕の護衛役にしたつもりはないんですけど……? むしろ、ティナ達の護衛役だとばかり……」

「勿論――奥様とメイド長の許可は得ています★」

「っ!?」


 リサ・リンスター公爵夫人とアンナさんの許可が出ている、だって?

 じ、じゃあ……ゾイに抱えられているアンコさんが鳴かれた。

 ――ティナ達の『護衛役』は、この黒猫様だったのか!

 そして、こんな分かり辛いことをする人物は……脳裏に嗤う顔が浮かぶ。


『アレン、君の数少ない欠点は、自分を過小評価していることだよ』


 お、おのれ、教授っ!

 僕が断ることを事前に想定して、わざわざこんな回りくどい真似をしたなっ!!

 年上メイドさんは、アーサーへ再度通告。


「御二人での話し合いは認めません。ですが……私とアンコさんの結界内でなら、許容します。如何でしょうか?」


※※※


「すいません、アーサー。ただ、リリーさんはともかく、アンコさんには逆らえないので……」

「はははっ! 気にするなっ!! 夜猫に命令出来る者なぞ、この世界にいる筈もない。あれは、理外の存在だからな。それに、リンスター公女殿下の言も一理ある。座ってくれ」

「失礼します」


 アーサーに促され、焚火の傍に置かれた椅子に腰かける。理外、か。確かに。

 目の前に名も無き河。

 水面に月が映り、幻想的な光景だ。

 ……実際には、アンコさんとリリーさんの大規模結界に一帯は覆われているのだけれど。

 英雄様は手慣れた様子で火に金属製のポットをかけた。

 

「本来ならララノア名物の蒸留酒を、と言いたいところだが、戦時だ。紅茶で勘弁してくれ」

「『七天』様の淹れてくださる紅茶ですか、自慢出来ますね」

「何を言う。私こそ、『剣姫の頭脳』と茶を飲み交わしたならば、末代までの誉になろう」

「……そんな大層な人物じゃないですよ。僕は一家庭教師です」


 ここ最近、自分自身の評価と他者との評価の乖離が激しい。困ったことだ。

 焚火の向かい側にアーサーが座った。布袋から焼き菓子を放り投げてきたので、受け取る。


「過度な謙遜は人に悪意を持たれるぞ? リドリーの菓子だ。このような状況でも、あり合わせの材料で作るのだから、あ奴も大した者だ」

「……『剣聖』様で、公子殿下なんですけどね」


 お互い焼き菓子を頬張り、暫しの静寂を愉しむ。

 火の中で薪が割れ、水が流れる音。 

 やがて――アーサーが口を開いた。


「アレン、我等は明日早朝、魔工都市奪還へと動く。アディソン閣下は、アーティの件で心を病まれていてな……指揮は私が執る」

「……拙速に過ぎるのでは?」


 僕は素直に懸念を口にした。

 『七天』アーサー・ロートリンゲンは強い。

 が……敵方にはあの『賢者』と吸血鬼となったアーティとイゾルデ、聖霊教異端審問官達もいるのだ。戦力不足は否めない。

 アーサーが首肯した。


「分かっている。だが――行かねばなるまいよ。我がロートリンゲン家は、アディソンの家に救われた。その恩義は返さなければならない。故国を永久に喪おうとも、守るべきものがこの世にはある。私はそう信じているのだ。……だが」


 ポットの中のお湯が沸いた。

 英雄様は浮遊魔法でポットを火からどけ、ティーポットへお湯を注ぐ。見事な魔法制御だ。

 アーサーが僕を見た。


「私が死ねば、ロートリンゲンが受け継いできた『歴史』もまた喪われてしまう。故に――アレン、お前には話しておきたいのだ。ああ、重くは考えないでくれ。共に戦った友への礼として、聞いてほしい」

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