公女IFSS『二人の帰還』下
「あ、え? ど、どうして、私のこと……」
薄蒼髪の少女は見るからに狼狽えた。
ティーポットと空のカップがテーブルの上に置かれていたので、自分で手に取ろうとし、綺麗な手に阻まれる。
「――アレン様、それはメイドの役割です。お任せください」
「あ、はい」
いつの間にかリサさんの後方に現れた綺麗なメイドさんに阻まれてしまった。淡い紅髪にやや長い耳。エルフの血が混じっているのかもしれない。
紅茶の良い香りを吸い込みながら、公女殿下へ微笑みかける。
「御存知かと思いますが、僕とリディヤは数ヶ月だけ、ティナ・ハワード公女殿下、エリー・ウォーカー嬢、リィネ・リンスター公女殿下の家庭教師をさせてもらっていました。その際、貴女様の名前は幾度もあの子達から」
「……ティナとエリー達が、私の名前を」
少しだけ驚き、苦悩を滲ませている公女殿下は顔を伏せた。
僕の前に赤の小鳥が描かれている白磁のカップが置かれた。
「ありがとうございます。御名前をお聞きしても?」
「リンスター公爵家メイド隊第五席を拝命しております、ケレニッサ・ケイノスでございます。以後、お見知りおきください」
「はい、ケレニッサさん」
会釈し、カップを手に取る。
南方産の紅茶かな? 久しぶりに飲むので、心が弾む。
リサさんが焼き菓子を僕の小皿の脇に置いてくれる。
「アレン、これも食べてみなさい。中々良く出来ているわ」
「――美味しいですね。市販の物ですか?」
言われるがまま食べてみると、絶妙な甘さ。微かな柑橘が癖になる味だ。
公爵夫人とケレニッサさんが楽し気に顔を綻ばせた。
「そう、美味しいのね?」「ふふふ……」
「? え、えーっと……この焼き菓子が何か?」
「わったしが、作りましたぁぁぁぁ~☆」
「!」
突然、屋敷の方から大声がし、淡い紅のドレスを靡かせながら女性が内庭にふわり、と降り立った。
長い紅髪と花飾りが陽光を吸って輝き、両手を合わせ満面の笑み。
僕は落ち着く為、紅茶を飲み――リサさんへ向き直った。
「それで、ステラ公女殿下と僕を引き合わせた理由は」
「むぅ~! どうして、無視するんですかぁぁ~!! 此処は『リリーさん、お綺麗になられましたね』とか『リリーさん……会いたかったです……とても』とかって、言いながら私を抱き締める場面な筈ですぅ~。やり直し! やり直しを要求しますぅぅぅ~」
「…………相変わらずですね、リリーさん。メイドさんになる野望は諦めたんですか?」
駄々をこね、派手にむくれる年上の女性に根負けし、僕は苦笑した。
――この人の名前はリリー・リンスター。
リンスター副公爵家長女にして、リディヤと同じく『公女殿下』の敬称を受ける身分にも関わらず、『メイドさんになる』というちょっと変わった夢を語っていた。
頬を大きく膨らませながらリリーさんは、極々自然な動作で僕の左隣へ腰かけた。
豊かな胸を抱えるように腕組みし、ぷんすか。
「違いますぅ。私はメイドさんですぅ。第三席なんですよ?」
「はー。それはおめでとうございます」
「むふん! もっと褒めてください~♪」
「でも、メイド服じゃないんですね」
「ぎゃふんっ!」
リリーさんは魔法に撃たれたかのように、テーブルへ突っ伏した。どうやら、聞いてはいけない質問だったらしい。ケレニッサさんへ視線を向ける。
「……メイド長と副メイド長の許可がおりませんので」
「なるほど。でも、そのドレスとてもよくお似合いですよ?」
「! 本当ですかぁ? ……えへへ~ありがとうございますぅ~♪」
上半身を起こし、年上メイドさんは機嫌を回復した。よく言えば素直。悪く言えば、子供っぽい。
僕は背筋を伸ばし、リサさんへ向き直った。
「……話が途切れてしまいました。わざわざ、リディヤと僕を引き離して、いったい何のお話でしょうか?」
「簡単なことよ。アレン、今の大陸西方の情勢は理解しているわね?」
「概ねは」
王国を飛び出し各国を放浪する中、得られた知見は多い。
時には強敵と戦うこともあった。
リサさんが少しだけ遠くを見つめられた。
「この一年で大陸西方情勢は激変したわ。ララノア共和国が崩壊し、ユースティン帝国では大乱。侯国連合内部でも妙な動きがあるし。西方血河の要塞線には魔王直轄軍が展開を始めた。……王国でも、先日、東方のオルグレン老公が亡くなられたわ」
「ギド・オルグレン老公、がですか……」
大学校の後輩の顔が浮かぶ。王都にいる間に手紙を書かないと。
カチャリ、とリサさんがカップを置かれ、僕へ微笑。
――あ、嫌な予感。
「だからね? アレン。貴方、結婚してちょっと偉くなりなさい。ステラとリリーを嫁にしてね。ああ、領土は南方にそれ相応の地を用意するわ。身分は、当面『南方辺境伯』ね」
「…………は、はぁ?」
僕は全く予期せぬ一撃を喰らい、思考を停止させた。
結婚? 僕が?? 誰と??? しかも、『南方辺境伯』だって!?
何とはなしに、顔を伏せたままのステラ・ハワード公女殿下と隣のリリーさんを見やる。
ステラ様は微かに頬と耳を染め、リリーさんは余裕綽々なようで前髪を指で弄り回している。
紅茶を飲み干し、リサさんへ質問。
「え、えっと……大陸情勢が不穏なのは理解しているんですが、それと僕が、その……することとの因果関係はないと……」
「あるわ。貴方に公的権限を渡したくなる。既に陛下の御賛同も内々にいただいているわ。ハワード公爵家、リンスター副公爵家からは『……検討しなくもない』との言質もね」
「リサさんの御言葉でも、流石に…………そ、それに、ステラ様とリリーさんの御気持は」
「私は」
ステラ様が顔を上げた。
その表情には悲愴感と強い義務感。
「……私にはハワード公爵家を継ぐ力がありません。大学校には進めましたが、力の無さを思い知らされるばかりです。その時、父からこの話を聞かされたんです。『王国内の改革の為に、他家に行くつもりはないか?』と。貴方様のことは、妹達や噂で聞かされていたので。私が嫁ぐことで王国改革の一助になるのなら、構いません」
「…………いや、それは」
「アレンさん~♪ 結婚式は南都がいいですぅ~☆」
僕が戸惑っていると隣のリリーさんがのほほんと口を挟んできた。
口調とは異なり、恥ずかしそうに両手で頬を抑えている。
ジト目で詰問。
「……リリーさん、白状してください。どうして、こんなことになっているんですか? 今なら、アンナさんへ『リリーさんへのメイド服は後五年は早いですね』で、許してあげます」
「ぶ~! ひっどいですぅ~! ステラ御嬢様との反応が違い過ぎですぅぅぅ!!」
「……それで? 副公爵殿下になんと言ったんですか?」
「……怒りませんかぁ?」
「怒りません」
リリーさんは視線を外し、前髪を指でくるくる巻いた。
焼き菓子を食べ、早口。
「――御父様が『早く婿を取れ!』と五月蠅かったので、『アレンさんとならいいですよ~』と返答していたら、いつの間にか本決まりに~」
「リリーさん!」
「きゃん! お、怒らないって言ったのにぃぃ~。――でも」
「?」「……あ」
年上メイドさんは大人びた顔になって、僕の頬に触れた。
嬉しそうに微笑む。
「貴方の奥さんになるの、私は嫌じゃないですし……嬉しい、ですよ? 私じゃ、ダメですか?」
「…………いや、そのですね」
しどろもどろになりながら言葉を続けようとした――その時だった。
屋敷三階の窓枠と壁が吹き飛び、残骸が内庭に舞い散る。
「……気づかれたようね」
リサさんが左手を少しだけあげられ、地面に届く前に残骸を悉く焼き尽くした。
背中に黒き八翼を生み出し、双剣を抜き放った紅髪の美少女――純白のドレスに着替えたリディヤが目を細めた。
「…………御母様、これはいったいどういうことですか?」
「あら、リディヤ、まずは挨拶が筋でしょう? 話は聞いたみたいね? 貴女がいけないのね? 一年も独占させてあげたのに、結婚しないなんてっ! はぁ……いったい誰に似たのかしら」
「ななななななぁっ!?!!」
リディヤが絶句し、わなわなと身体を震わせた。あ、まずい。
僕は立ち上がり、こういう面では初心な少女を宥めようとし――リリーさんに抱きしめられた。ステラ様まで、僕の裾を摘まんでいる
「なっ!? リ、リリーさん!?!!」
「えへへ~♪ リディヤちゃん、アレンさんは、私とステラ御嬢様が貰っちゃいますねぇ~★ ほらぁ? 恋は戦争、なのでぇ?」
「………………うふ」
はっきりと、リディヤの『切れる』音が聞こえた。
双剣に黒炎を纏わせ、大絶叫。
「あげるわけないでしょうっ!!!!! アレンのことは、私が世界で一番大好きなんだからっ!!!!! 私が、アレンのお嫁さんになるんだからっ!!!!! お邪魔虫達は引っ込んで――…………あぅ」
リディヤが僕の視線に気づき、瞬時に顔を真っ赤にした。
手から双剣が滑り落ち、両手を覆いへたり込む。……仕方ないなぁ。
僕はリリーさんの腕から脱出し、少女の傍へ。
「リディヤ」
「…………アレンはわたしのなの。ダメなの」
「はぁ……大丈夫だよ。ほら、立って」
涙で目を真っ赤にしているリディヤを立たせると、胸の中に飛び込んで来た。
背中をさすりながらあやし、リサさんへ苦言。
「……今回は少しばかりやり過ぎかと」
「仕方ないでしょう? 私は、貴方が私の息子になってくれるのを心待ちにしているのよ? 時にはこういう荒療治も必要だわ。それに――」
公爵夫人の瞳に諧謔。
うわぁ……これって、もしかして。
「ステラとリリーの話も冗談抜きで本当よ。今すぐ、というわけじゃないけどね」
「!」「……御母様の意地悪。あと、リリー! 辞退しなさいよっ!」
「え~嫌ですぅ~。私の方が胸も大きいですし、御料理も上手ですし、メイドさんですしぃ~?」
「……も、燃やすわよっ! 、ほ、本気なんだからっ!!」
「乱暴な女の子をアレンさんはお嫌いだと思いますよぉ? ね~? ステラ御嬢様もそう思いますよねぇ?」
「え? あ、そ、その…………わ、私は、ア、アレン様を支えられる女性になりたいな、って…………あぅ」
「…………ねぇ」
リディヤが僕へジト目を向けてきた。
頭痛を覚え、額に手をやる。どうして、こんなことに……嗚呼、空が青いや。
――この後、一年で大きな成長を果たしたティナ、エリー、リィネ、そして、妹のカレン、同期のシェリル・ウェインライト王女殿下からも詰問を受け僕が涙を流したり、ハワード公爵殿下、リンスター副公爵殿下から無理難題を与えられたり、対侯国連合戦の結果、成り行きで北部五侯国を併呑したりするのは、また別のお話。
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