第50話 聖地
「! 血河を!?」
思わず声が出る。
伝承されてきた内容において、狼族は魔王戦争中、武名を大陸全土に轟かせたものの、『流星』を含め数多の勇士を喪失。
中でも西方狼族は、部族を維持できないまでに疲弊。
結果的に、戦後多くの者は東都へ移住し現在に至る――これが、僕の知っている歴史だ。
けれど……父が頷いた。
瞳に見えるのは、惜別。
「……やむにやまれず、ね。王国西方には、殆ど俗世に関わらない獣人の隠し里があるのを知っているかい? 一番有名な所だと獅子族の住まう『花の谷』とかさ。それら獣人族と西方狼族は魔王戦争以来、関係を維持していたんだ」
「……その人達に助けてもらった、と? けれど、ルブフェーラと魔族がそれを見過ごすとは思わいないんだけど。そもそも、西方狼族はどういう存在だったの?」
血河の畔には、ルブフェーラ公爵家と魔族の双方が作り上げた要塞線が存在する。
渡河を許すとはとても思えない。たとえ、王国西方の獣人族の力を借りても、だ。
父が、少しだけ表情を崩した。
「ふっふっふっ……これは、僕が少しだけ自慢出来ることなんだけどね。僕等は血河を空から渡ったんだ。聖地に住んでいた蒼翠グリフォンの力を借りて。獅子族や他の獣人族の手助けを受けたのは、その後だね」
「!?!! 蒼翠グリフォンの!?」
蒼翠グリフォン。
東都大樹近くにしか生息していない希少種で、魔法を巧みに操る恐るべき魔獣だ。
その種が、血河を越えた地に生息している……?
僕は父と視線を合わせた。
「父さん、聖地っていったい……? 考えてみれば、今まで読んで来た、どんな文献にも内容は書かれていなかった。ただ『人族が求めて止まない地』としか。ぼかされているけれど、魔王戦争も聖地奪回を目標に掲げていたんだよね?」
「詳しくは知らないよ。僕とエリンが住んでいた隠し里から、聖地までは『近い』と言っても、広大な森林地帯が横たわっていたしね。……ただ」
「ただ?」
父がグラスの赤ワインを飲み干した。
僕も習って飲み干す。
すると、瓶を持ち注いでくれる。
「あ、僕が」
「いいんだ。――話の続きをしよう。聖地にはね、大樹……世界樹が聳え立っていたよ。東都のそれよりも遥かに巨大な、ね」
「!」
今晩、何度目になるか分からない衝撃を受ける。
僕が知る限り、大陸に存在している大樹は、東都と王都の二本だけ。
けれど……三本目が存在した? しかも、『世界樹』??
父が微かに頷いた。
「――これは、僕が父さんから聞いた話だ」
※※※
かつて、この世界には『神』がいた。
けれど……星そのものを滅ぼしかけた大乱の後、『神』と『龍』達はこの世界を去った。
遺されたのは、数本の『世界樹』の若木のみ。
――ああ、そうだね。
『世界樹』とは……星を支えている存在らしい。
神様達いる時も、いない時も、ずっと支え続けていたのは、『世界樹』だったそうだよ。
神に見捨てられた人々は、若木を育てようと、ありとあらゆる努力をした。
――けれど、結局、大地に根付いたのは、僅か一本に過ぎなかった。
そう、それが聖地の『世界樹』だ。
東都の大樹は、古に各地へ移植が繰り返され、唯一根付いたものなんだそうだよ。王都のそれは、東都大樹の子供だね。
――『世界樹』の力は絶対的な物だ。
あれは、奇跡を軽々と起こしてしまう、と父は言っていたよ。
西方狼族は決して近寄らなかったし、僕とエリンも近寄ったことはない。高い樹の上から見たくらいさ。
けれどね……これは僕の考えなのだけれど、聖地にあるのは『世界樹』だけじゃない、と思うんだ。
だからこそ、魔王戦争の最終決戦、『血河会戦』前夜に、一部獣人族が離反したんだろう。
彼等は、侵攻した先の聖地で『何か』を見たんだよ。
それが何かは分からないけれど……獣人族は、家族を、仲間を見捨てない。それこそが僕等の誇り。
でも、その誇りを曲げざるを得ないものが、彼の地には存在していたんだと思う。
――うん、そうだよ。
聖地近くにあった隠し里に住んでいたのは、魔王戦争最終盤において、人族から離反した狼族が多かった。
でも、アレン、彼等は絶対に裏切り者じゃない。
何故ならば……
※※※
「父さん?」
そこまで話していた父が黙り込んだ。
見つめていると――大粒の涙が溢れ、父の頬を伝っていく。
「……ああ、ごめんよ。昔のことを思い出してしまった。隠し里に住んでいた獣人族の話だったね」
「……『住んでいた』?」
過去形を使う。
つまり……もう、その隠し里は。
父がハンカチを取り出し、涙を拭う。
アンコさんが起き上がり、父の膝上へ移動された。
「……ありがとうございます。優しい夜猫さん。うん、僕とエリンの故郷はもうないんだ。焼かれてしまったからね」
「! 焼かれた!?」
剣呑な言葉にぎょっとする。
きっと、今の僕の顔は強張っているだろう。
悲しそうな父の顔。
「――とてもとても月の綺麗な夜だったよ。夜中に突然、警鐘が鳴り響いた。慌てて飛び起きて外に出ると、里は炎に包まれていた。何が何だか分からないながらも、考えたのは『みんなを助けないと』だった。けど、すぐ古い槍と杖を持った父と母に捕まったんだ。そして、古い巻物と通信宝珠を僕へ押し付けてこう言われた。『ナタン、お前はエリンの嬢ちゃんを連れて逃げろ。里を出たらこの巻物を使って、蒼翠グリフォンを呼び、血河を越えるんだっ! 急げ! 母上と、俺達が時間を稼いでいる間にっ!!』『ナタン、振り向かないで。……貴方の母親で私は……本当に、本当に、幸せだった。どうか、貴方は生きて! 幸せになってね』。反論なんて…………出来なかった」
「…………」
父の視線は遥か西方の空へ向けられている。
……つまり、父さんと母さんは。
「炎に包まれる里の中を駆け続けて……涙で目を真っ赤にしているエリンを見つけた後も二人で駆け続けた。何とかして、里の子供達を連れ出そうとしたけど、いち早く避難所へ逃げ込んでいて到底無理だった。襲撃者は――……二体の双翼の悪魔は、まず長老を襲って指揮命令系統を混乱させていたんだ。会う大人達全員にも、こう言われたよ。『ナタン! お前はエリンの嬢ちゃんを連れて逃げろっ!! 俺達は、獣人だ。『流星』と共に戦場を駆けた末裔だっ!! お前達や子供達は絶対に守って見せるっ!! 行けっ!!! いいか? ――生きろよ』」
「!?」
僕は絶句するほかはない。
『悪魔』とは『竜』と並ぶ、最強最悪種。天災に等しい存在。
……そんな化け物が、どうして隠し里を?
しかも――複数?? 単独行動する『悪魔』が!?
「――……結局、僕とエリンは里を抜けて、大森林へ駆けこんで生き延びた。里には戻らなかったよ。父さんと母さんの言いつけだったからね。見たのは――高台から見た、凄まじい猛火と、この世のものとは思えない稲光だけさ。重ねて言う。隠し里にいた人達は、血河から東の人々にとっては、卑劣な裏切り者かもしれない。でも――仮に彼等が卑劣ならば、僕とエリンはこの世にいない。獣人は『仲間』を『家族』を『子』を見捨てない。それを果たしてくれたのは……間違いなく、隠し里の大人達だったんだ」
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