第38話 水都騒乱 古き聖堂
水都、その旧市街奥にそびえ立つ古き聖堂の歴史は古い。
未だ、この都市が単なる
固有の名もなく、ただ単に『古き聖堂』とだけ呼ばれる、無数の尖塔で構築されているその建物は水都の滅亡と再生。そして発展を見守り続けてきた。
聖堂はこの地に住む人々にとって、生まれた瞬間から死ぬその時までそこにある、象徴であり、心の拠り所なのだ。
……落ち着いたら、じっくりと見学に来ようと思っていたんだけどなぁ。
近くにある尖塔頂上の柱へ手を置きつつ、眼下の光景に溜め息を吐く。
聖堂周辺には光輝く重鎧の騎士が多数。入口を完全に塞いでいる。
軍旗こそないものの、使用されている魔法式は聖霊騎士団のそれ。侯国連合北部の侯爵旗すらない。
ここまで露骨に軍事行動するなんて……頭の螺子が何十本か抜けている。
――ヴィオラという魔法士と悪魔の魔力は、聖堂内に存在。
戦略結界すら張って防備を固めているにも関わらず、それを貫いて感じる禍々しさ。予想通りなら……時間はない。
カレンが声をかけてきた。
表情は困惑。そして焦燥。
「兄さん。……どうしますか? 下手に魔法を撃てば、建物も」
「大埠頭と大倉庫、それに大図書館まで崩壊させて……今、ここで聖堂まで崩壊させたら、大変な問題――……よし、初手全力でいこうか!」
「せ、先生!?」「あ、兄様!?」「に、兄さん!?」
「リディヤ、それで良いよね?」
「いいわよ」
「リ、リディヤさん!」「姉様! そんなことしたら、兄様に多少なりとも責が!」「……二人共、待ちなさい。リディヤさん、どうぞ」
眼下を眺め、冷たい笑みを浮かべている紅髪の公女殿下へ突っかかろうとしたティナとリィネをカレンが止めた。
ちらり、とリディヤが僕を見た。その瞳にあるのは嗜虐。
手を伸ばしてきて、僕の胸に指を突き付ける。
「ただし、言うまでもないことだけど……聖堂を崩壊させた場合、それはあんたの『戦功』として記録させるわ。ええ、あんただけのね」
「……待った。戦功じゃなくて、文化財破壊だと思うんだけど?」
「バカね? 私が知らないとでも??」
指が上がっていき、首筋へ。
そのまま頬へ移動し、つねられる。
「分かっているでしょう? これはもう戦争よ? そして、双翼とはいえ悪魔を奴等は、人為的に生み出した。この時点で此方は」
瞳にあるのは純粋な怒り。同時に怜悧さ。
――リディヤ・リンスター公女殿下は、王立学校、大学校を全て首席入学、卒業してみせた王国の至宝にして本物の天才。
僕が知っていることはこの子も知っている。
目を瞑って、吐き出す。
「――……無条件交戦規則が適用される。それこそ、大魔法すらも使い放題。魔王戦争以来、殆ど適用例がない黴の生えた交戦規則。殆どの人はもう知りもしない」
「けれど廃されたわけではない。なら、私達が使っても構わない。文化財破壊はあんたの戦功と打ち消されはしないわ。……あんたは偉くなるのよ。ええ、私の隣にいても、誰からも何も言われない位に。そうでしょう?」
リディヤが微笑のまま、僕に同意を求めた。
…………困ったなぁ。
借りている剣を石造りの床へ刺し、本気で拗ねている少女の名前を呼ぶ。
「リディヤ」
「とっとと片付ける、ち、ちょっと、何するのよぉ」
「んー? こうした方がいいかなって?」
言葉では抵抗するも、自分からも頭を動かしてくる相方。
――前々から、リディヤはこの聖堂に来たがっていた。
理由は聞いたことがないけれど、誕生日には一緒に来ようかな、とも思っていた。
なのに、それはもう叶わない。
額と額をくっ付け、誓う。
「……埋め合わせはするよ」
「……ほんとのほんとに?」
「うん。この場で約束しようか――カレン、ティナ、リィネ、僕はこの件が終わっても王国へ戻るつもりはありません。リディヤの誕生日まで、水都に残ります」
「「!?」」「……兄さんは、甘過ぎます。その甘さは妹へ向けるべきものだと、何度言えばいいんですか」
ティナとリィネが硬直。カレンは溜め息。
額を離すと、真っ白な無数の炎羽が舞う。
紅髪の公女殿下は心の底から嬉しそうな笑顔。前髪が跳ね、左右に揺れている。
「……ならいい。全部、全部、許すっ!! リリー!!!」
『はい~』
微細極まる風魔法による通信。
リリーさんは手乗り大になった一角獣達と既に聖堂内部へ先行潜入している。
なお、我等がアンコさんは現在、出張中だ。
……教授、教え子の信頼度を上げる機会が到来しましたよ?
むしろ、この瞬間に来てくれてもいいんですよ? 学校長と一緒に。
普段の様子と異なり、淡々とした状況報告が入る。
『敵戦力は聖霊騎士団――しかも、本来は教皇守護を任とする精鋭部隊、『
一角獣の
聖堂前で整然と戦列を築いている騎士達の様子が慌ただしくなった。
……お茶会ねぇ。
しかも、『翠風』様? 本物の英雄様じゃないか。
リサさんと知り合いなのだろうけど…………あ、多分、母さんもいるな。
上手い言い訳を考えておかないと――剣を引き抜き、少女達へ笑いかける。
「さて、それでは行きましょうか。目標は」
「双翼の悪魔。そして、さっきの魔法士がしでかそうとしていること全て。手加減はいらないわ。派手にやりなさい。ただし、人は殺めないこと。あんた達の手を汚す価値は、あいつらにはない」
「「「はいっ!!!」」」
リディヤが僕の後を引き取り、ティナ達へ説明。
少女達の瞳に戦意が宿り――薄蒼髪の公女殿下が僕を見た。
「でも先生、あの騎士達はどうするんですか? 後から挟み撃ちを受けると厄介だと思います」
「正解です。ティナは賢いですね」
「えっへんっ! 私は首席ですからっ!!」
「……首席様はこんな時でも、何時も通りですね」
「リィネ、怖いなら抱きしめてあげてもいいんですよ?」
「そんな硬い胸は嫌です」
「なっ!?」
「はい、そこまでです。ティナの懸念は最もです。挟撃は避けたい。そして相手は難敵。戦力は分散したくない。ここを押さえてくれる人が必要です」
――右肩に重み。
見やると、黒猫な使い魔様がお澄まし顔。
「お帰りなさい、アンコさん。教授は何と?」
一鳴き。
…………ほぉ。『来たくない』と。
リディヤが『真朱』を肩へ置いた。
「今度、斬って、燃やす?」
「……そうしよう。まぁ、代理は寄越したみたいだね。北じゃなく西から」
――聖堂前の空間が大きく震えた。
精緻極まる魔法陣が空中へ浮かび、光り輝く。
ルブフェーラの戦略転移魔法!!!
騎士達が叫び、次々と長槍や戦斧、大楯を構える。
直後、魔法陣から、数えきれない無数の呪符が吐き出された。
『!?!!』
騎士達は驚愕。対応する間もなく武器や防具に呪符が張り付いていく。
そして――ティナとリィネが手を取り合い、叫ぶ。
「せ、先生、あれって!?」「ま、魔力を吸い上げているんですか!?」
戦列を構築していた騎士達に張り付いた呪符が黒茶に染まり、弾け、飛び散った。
――闇と土、二種複合の毒魔法。
まともに受けた騎士達が、苦鳴を発しつつ、膝をついていく。
『!!!!!』
眼下で怒号が飛び交い、呪符を炎魔法で焼いたり水魔法で押し流し、治癒魔法が多重発動。態勢を立て直し始めた。練度が高い。
あの子が来た、ということは――魔法陣から馬上槍を携えた、徒歩の騎士が、暴風と共に戦列へ高速突撃。
第一列を横から強襲し、吹き飛ばす。
――……ま、彼女が来るなら、彼も来るよね。
僕はアンコさんを撫でつつ、ふわり、と僕とリディヤの前へ降り立った魔女の帽子を被り古い木製の杖を握りしめている、淡い茶色髪を複雑に編み込んでいる少女へ挨拶。
相も変わらずな完全無欠な魔女っ娘さんだ。
「やぁ、テト。久しぶり。元気だったかな?」
魔女っ娘――僕とリディヤの大学校時代の後輩である、テト・ティヘリナは頬を大きく膨らませた。
「元気だったかな? じゃ、な・い・で・す・よっ! 大学校卒業以来、研究室に顔も出さないで!! いいですか? 私は、先輩やイェンやギルやあの子と違って、一般人なんですっ!! せ、戦略転移魔法とか、第一級軍事機密ですよっ!!! しかも、何か物騒な騎士もたくさんいるし……でも、そうですよね。先輩ですもんね! えーえー、分かってますよーだっ! べーっっ!! ――……ここは私とイェンで止めておきます。先輩達は先へ進んでください。イェンが来ると止まらないので。ああ、あと、学校長も『……持病の腰痛が』だ、そうです」
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