血塗れ姫

「ふわぁぁぁぁ……凄い……」


 それを見た時、思わず感嘆が漏れた。

 カフェを出て、僕らがやって来たのは王都南側の王宮近郊。

 上級貴族しか住めない地区だ。

 中でも――今、僕の目の前にそびえ立つ屋敷は華やかだった。

 高い金属製の柵には様々な文様が刻み込まれ、屋敷自体にも至る所に彫刻や文様。

 かといって、下品な印象はまったく感じず……凄い、としか言えない。

 紅髪の少女――リディヤが、呆れた声で僕を促した。


「バカな顔してんじゃないわよ。ほら、行くわよ」

「あ、う、うん」


 少女に続き、巨大な正門へ向かう。

 門の前には、ニコニコ顔のメイド長さんが待っていた。


「リディヤ御嬢様、お帰りなさいませ! それと――アレン様、ようこそおいで下さいました☆ ふふふ、必ず来て下さると思っておりましたっ! ありがとうございます!! これで、私の勝利は確定でございますっ!!!」

「? 勝利??」

「……アンナ、とっとと案内なさい」


 僕が首を傾げていると、公女殿下が剣呑な表情でメイド長を睨みつけた。

 拳を天高く突き上げていたメイド長さんは、あっさりと仕草を戻し、少女へ微笑んだ。あ、からかう気だ。


「そ・れ・に、してもぉ、リディヤ御嬢様♪」

「な、何よ」

「南方の旦那様へ、御電話してもよろしいですか? 何しろ、御嬢様が殿方を御屋敷へ連れてくるなど、初の事でございますしっ! おそらく、お伝えすれば、全てを投げ捨てられて、王都へ参られるものかとっ!!」

「き、却下よっ! あんたもっ!! か、勘違いするんじゃないわよ!!!」

「あ、うん。大丈夫。メイド長さん」

「アレン様、アンナ、と御呼びくださいませ☆」


 メイド長の微笑み。これ、有無を言わさないやつだ。

 ……母さんと同じような笑みをする人がいるなんてなぁ。

 抱えていた大きな紙袋を手渡す。


「? アレン様、これは??」

「公爵家の御家柄には、まったく合わない物かと思うんですが……さっきのカフェで買った紅茶と焼き菓子です」

「まぁまぁまぁ」「……いらないって言ったのに」

「僕はこれでも育ちが良いんだよ。美味しいです。皆さんで召し上がってください」


 何故かむくれる御嬢様へ返し、アンナさんへ会釈。

 メイド長さんは、邪気のない笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。さ、どうぞ――奥様が首を長くしてお待ちでございます」


※※※


 リンスター家の御屋敷の中は、外観以上に凄かった。

 初春の光が優しく注ぎ、とても明るい。

 窓にはまっている硝子一つにしても単純な物は一つとしてなく、人物や動植物、建物、紋様。一枚、幾らするんだろうか。怖くて聞けない。

 僕を先導してくれているのは、アンナさんだけ。公女殿下はいない。

 屋敷へ入った直後、ずらりと整列していたメイドさん達に驚く僕を後目に


『……ちょっと外すわ。アンナ、御母様にそう伝えておいて』


と告げ、屋敷の奥へ行ってしまったのだ。何なんだよ、もう。

 対してメイド長は得心した様子で大きく頷き、紙袋を茶黒髪のメイドさんへ渡しつつ、指示されていた。着替えでもするのかな?


「アレン様、此方へどうぞ」

「あ、はーい」


 屋敷を進んでいくと、再び外へ出た

 ――そこは初春の花が咲き乱れる、見事な内庭だった。

 屋根があり、テーブルと椅子が置かれている場所に、光り輝く長い紅髪をして、豪奢な深紅のドレス姿の貴婦人が座られていた。

 ……あの人って。

 アンナさんがどんどん進んで行く。慌てて追随。


「奥様、御連れしました」

「ありがとう、アンナ。お茶の準備をしてくれる?」

「はい♪ アレン様から手土産をいただきましたので、それをお淹れいたしますね☆」

「あら? すまないわね、気を遣わせてしまったみたいで」

「は、はい」


 ガチガチに緊張しながら、木製の椅子の前へ。

 これも逸品なのだろうけど、気にしている余裕はなし。

 今、僕の目の前に座られているとんでもない美貌の御方は……頭を深々と下げる。


「――当代『剣姫』リサ・リンスター公爵夫人様と御見受けします。狼族のナタンとエリンの息子、アレンです」

「リサ・リンスターよ。リサと呼んでちょうだい。さ、座って」


 どうにか腰を降ろす。

 

 ――リサ・リンスター。


 その名を知らぬ者は、おそらく大陸西方にいない。

 一般的には『剣姫』よりも『血塗れ姫』という物騒な異名で知られている、王国どころか、『大陸最強』とすら謳われることも珍しくない、剣士・魔法士の頂点。戦歴だけで、軽く数十冊の本になる。

 謂わば生きた伝説。そんな人が、今、僕の目の前にいる!

 嗚呼……神様……流石に、こ、これは、あんまりなのでは? 

 少々黄昏ていると、くすり、と笑う声。


「そんなに緊張しないでちょうだい。むしろ、私の方が緊張しているのだから」

「ご、御冗談を」

「本当よ。私の大事な大事な娘を救ってくれるかもしれない男の子が、ようやく現れたのかもしれないのだから」

「??? どういうことでしょうか」

「その前に――アレン、貴方から見て、私の娘はどうかしら? 率直な意見を教えてちょうだい。辛辣な意見でも構わない」


 公爵夫人が真摯な視線を僕へ向けてきた。

 そこに見えるのは……自分の娘への深い深い愛情。僕はこの瞳を知っている。

 僕が幼い時から、母さんや父さんに注がれたのと同じもの。

 ――この人は信頼出来る。

 背筋を伸ばし、はっきりと断言する。


「リディヤ・リンスター公女殿下は――……紛れもないです。僕は未だ未熟な身、世の見聞もまるで足りていません。が、それでも」


 実技試験会場と追いかけっこの最中に見た剣筋の美しさ、そして……時折、微かに現れる綺麗な魔法式を思い返す。

 自然と微笑む。


「あの御方は、おそらく約二百年前の魔法戦争以来、王国に出現した――いえ、大陸最強の剣士にして魔法士として、後世語り継がれることになるでしょう。仮に僕が戦場に立つ時が来たならば、公女殿下幕下の末席が良い、と心底思います。今は、魔法を余りお使いになられないようですが、程度問題です。必ず突き抜けます。個人的に羨望を覚える程です。ただ、少しばかり、一般常識を学んでほしいとは思います。あれだけ、可愛らしい女の子なのに、勿体――……どうかされましたか?」

「え? あ……」


 公爵夫人の頬を涙が伝っていた。

 音もなく茶黒髪で、やや肌が浅黒いメイドさんが現れ、純白のハンカチを差し出された。見えなかったし、原理も分からず。

 ……この家の、メイドさん達って。


「ロミー、私も歳かしらね。涙脆くなって困るわ」

「いえ! 奥様、そのようなことは!!」

「ありがとう。アレン」

「は、はい」


 公爵夫人が、僕の右手を両手で握りしめてきた。

 その力は、強く、強く。


「リサ・リンスターとしてでなく――……あの子の母として、貴方にお願いをするわ。どうか、どうか、あの子を救ってちょうだい。あの子は鋭い『剣』そのもの。けれど、その鋭さ故に……傷ついてしまっている」

「どういう意味でしょうか?」


 憂いを帯び、沈痛な面持ちの公爵夫人へ尋ねる。

 すると、顔を伏せられた。


「――……あの子は、リンスター直系。剣技が幾ら凄くとも、極致魔法どころか、魔法を殆ど使えない者に、世間の目は冷たいものなのよ。……貴方が想像している以上に、ね。そして、リディヤは……私の愛しい愛しい娘は、少しばかり賢過ぎる。結果、自分で、自分を追い込んでしまった。私達が言っても、耳を塞いで聞いてもくれないわ。あの子には味方が必要なのよ。私達、家族以外で、絶対的な」

「…………」

「リディヤは、貴族達の間で、密かにこう言われているの。そして、それを……知ってしまった」


 四大公爵家に生まれながら、まともに魔法を使えない者――『リンスターの忌み子』と。

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