第7話 散髪

 『有翼獅子の巣』へ戻ると、もう夕方だった。一日中、人型でい続けたアトラは、流石に疲れたらしく僕の背中ですやすや。時折、笑みをこぼしている。

 受付ではパオロさんが出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ。水都は如何でしたか?」

「素晴らしかったです。地図、ありがとうございました」

「いえ。楽しんでいただけたのなら、何よりでございます」


 穏やかな表情で支配人さんは、僕へ言った。

 本当に、自分の故郷を誇りに思われているのだろう。

 僕は、隣で佇む腐れ縁へ首をしゃくり、何気なく頼む。


「すいません、部屋で連れの髪を少しだけ切りたいんですが、まずいですよね?」

「奥様の髪を、でございますか? それはまた――……分かりました。御用意を」

「ありがとうございます。あと、これを」

「? これは??」


 片手で懐から切り取ったノートを取り出す。

 パオロさんは受け取り、首を傾げる。


「それを、ピルロさんという御老人にお渡しください」

「! …………あ、貴方様は、もしや、全てを?」


 老支配人が驚愕する。

 僕は微笑む。


「紹介いただいた喫茶店で、御老人にお会いしました。そこで、この子に」


 背中のアトラがずり落ちそうになったので、抱え直す。

 すると、とても嬉しそうに笑った。


「飴玉をいただきました。その御礼です、とお伝えください。喫茶店で、とは仰っていましたが、貴方へお渡しした方が早いでしょう? 事態はそれなりに切迫しているようですし」

「…………申し訳」

「ああ、謝らないでください。僕は何も知りません。このホテルが水都諜報部門の出先であることもです。貴方が深く関与しているとも思っていません。偶々僕らが泊まりにやって来た、でしょう? ――今日はとても良い一日でした。改めて、ありがとうございました。では、後のことはよろしくお願いします」


 にっこり、と微笑み、受付を離れる。


「…………」


 パオロさんは、深々と頭を下げたまま、僕等を見送った。


※※※


 部屋へ戻りすぐ、数名のホテルの人がやって来て、髪を切る準備を整えてくれた。

 ……酷く緊張していたのはいったい。変なことを聞いたのかな?

 首を傾げつつ、僕はベッドで寝ているアトラを一撫で。姿が変わり、幼狐の姿に。きちんと枕を使っていて愛らしい。

 腐れ縁へ声をかける。


「リディヤー、用意出来たよ」

「ん」


 帰って来ると同時に、自分の服を脱ぎ捨てて、僕の白シャツを着、下も動きやすい半ズボン姿になったリディヤが、姿見の前に置かれた木製の椅子へ座ったので、白いエプロンをつける。

 ……僕は目利きではないものの、分かる。この椅子、文化財級の代物。

 少しばかり慄いていると、腐れ縁が振り返った。


「まーだー?」

「はいはい。髪、濡らすね」

「んー」


 水魔法で、雑に切られている後ろ髪を濡らす。

 ブラシで梳かしながら、話しかける。


「これ、何で切ったのさ? 短剣?」

「……おぼえてなーい」

「はぁ……僕のせいだし、強くは言わないけど、折角、綺麗だったのに……」

「今の私は綺麗じゃないわけー?」


 足をぶらぶらさせながら、リディヤが甘えた口調でからかってくる。

 王都を抜け出して以降、ずっとアトラがいたし、二人きりになった時間、少なかったからかな?

 少しずつ、後ろ髪へ鋏を入れ、整えていく。


「客観的に見て、綺麗だと思うよ。前髪にリボンも新鮮で可愛いと言えるだろうね」

「さいしょの単語がいらなーいでしょぉぉ。……また、伸ばすわよ。前髪にリボンも継続する?」

「それくらいは自分で決めるように。会った時みたいに『長いと面倒』とは思わないだろ?」

「今でも面倒よ。私だけなら短い髪でいるわ。でも」


 リディヤは、それはそれは幸せそうに微笑んだ。

 窓から、夕日が差し込み、紅髪が煌めく。


「あんたが長い方が好き、っていうならずっと長くする。私はそうしたいの!」

「…………そっか」


 髪を整え終わり、風魔法で髪の毛を飛ばし、一通り、確認。

 うん、久方ぶりに切ったけど、上手くいった。

 掃除をしつつ、一応、言っておく。


「伸ばすにしても、僕以外に髪を切ってもらえるようになりなよー。昔は、リサさんやアンナさんに切ってもらってたんだろ?」 

「今は、あんたがいるじゃない。それによ? そんなこと言っていいわけぇ? 本当にぃ?」

「?」


 布をまとめ、リディヤの首からエプロンを外す。

 立ち上がり振り向いて、ニヤリ。 


「仮にそうなったとしてよ、私の髪を切るのは男かもしれないのよ? あんた、それを受け入れられるわけ??」

「…………夕食はなにかなー。今晩も美味しいといいねー」

「誤魔化すのが、へ・た・く・そ★ うふふ♪ 大丈夫よ。あんた以外に、髪を触られるなんて……想像しただけで気持ち悪い。良かったわね、私を独占出来て♪」

「…………僕は、何時何処で君の育て方を間違えたんだろうね」


 僕は近くの丸テーブルへ鋏を置く。

 すると、リディヤはすぐさま抱き着いてきた。

 固く信じている声で断言する。


「何も、何一つも、間違ってないわよ。あんたと出会わない世界なんか、そんなものは存在し得ないし、存在させないっ! たとえ、あの日――……王立学校の入学試験で出会わなくても、私はあんたを見つけた。世界の果てにいたとしてもね! だから、こうなるのは必然なのよ。理解した? 理解したなら、返事っ!」

「……ほんと、君は困った公女殿下だなぁ」

「返事がちーがーうー」


 ぐりぐり、と頭を僕の胸へ押し付け、指でひっかいてくる。嬉しくて仕方ないのか、リィネによく似た前髪も立ち上がり、揺れている。

 背中を優しく抱き、頭を撫でる。


「まぁ、確かに、そうかも、ね」

「だんげん、しなさいよねぇ。…………二度と、絶対、絶対、ぜーったいっ、離さないから。で、今度、会ったら、あの忌々しい『勇者』を斬って、燃やして、泣かしてやるわっ!!!」

「アリスをかい? それはまた大きく出たね」

「問題ないわよ。だって」


 腐れ縁が僕を見た。

 そして、腕の中でリディヤは、四年前と変わらず無邪気に笑った。

 


「あんたが隣にいてくれる限り、私は無敵だものっ! 何にも、何にも、怖くないわっ!!!」

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