第34話 老執事と老帝

「…………で、貴殿の主は何を望むのだ?」

「それは、皇帝陛下の御考え次第でございましょう」


 王国の北方に存在する帝国、帝都中枢には広大な皇宮が存在する。

 その規模は、他国の外交使節や軍人、商人達を威圧し、昨今、王国に押されつつあるとはいえ、この国が未だ大国であることを示している。

 大陸北方に位置するが故に、農作物の収穫量は国土の広さに比べれば僅少。しかし、それを余りある鉱物資源と、北帝洋の豊富な漁業資源がこの国を支え続けているのだ。……少なくとも表面上は。

 だからこそ、皇宮最奥の、個人的な部屋にいる老帝グレゴリオ・ユースティンⅡ世の悩みは深かった。

 疲労感が残り、苦々しい表情で目の前に座る、老執事――ハワード公爵家執事、グラハム・ウォーカーを睨みつける。


「……そのような答えなど求めておらぬ。知らない仲ではないのだ、グラハム。はっきり申せ。ここには、誰もおらぬ。何なら、暗殺してくれても良い」

「御冗談を。五百年前の大陸戦乱を終わらした英雄が一人『射手』の血を受け継ぐ貴方様に手をかけるなど、滅相もない」

「…………最早、力は喪われて久しい。我が息子、娘、孫、曾孫達の中で、多少なりとも使える者は極少数。余は一人の老人に過ぎぬわ。『勇者』とは違うのだ。とっとと申せ。講和条件はなんだ?」

「では」

 

 老執事は目礼し、書状を差しだしてきた。裏にはハワードの紋章。

 疲れ切っている老帝はそれを無造作に開けると、目を走らせた。

 怪訝そうに、グラハムへ問う。


「…………どういうことだ?」

「と、申しますと?」

「控えめに――……ああ、よい。あけすけに言えば、我が軍は負けておる。しかも、この百年、人間相手には経験したことがない程。軍の若造共は、余を欺けている、と未だに思えておるようだが……北方少数民族ばかりを相手にし、自らの勇武に溺れ、ハワードを過小評価した報いよの。南方方面軍は総崩れ。他方面軍をそちらへ振り向けたくとも、いきなり、とはいかぬ。特に……北と東は不可能だ」

「存じ上げております。陛下の代で緊張緩和が進んだとはいえ、ララノア共和国は貴国にとっては、腹を裂いて勝手に出て来た子も同然。そこから、軍を引き抜く決断は難しいでしょうな」


 淡々とグラハムが応じる。

 それを、老帝は背筋に薄ら寒さを感じつつ傾いた。

 ……ハワードの、長い外套を操る手はいったい何処まで伸びておるのだ?


「故に、申し訳なきことながら……我が主、ワルター・ハワードが決断した場合、帝国南方は切り取り勝手。そちらの軍上層部の状態を推察するに、逐次投入しか決断出来ますまい。その程度の相手、我が公爵軍が相手をするまでもなく――ふむ、いい茶葉ですな」


 かちゃり、とカップが小皿に置かれた。

 どっと、疲労感が増す。

 

 軍の精鋭は常に強大な共和国相手に張り付かせておかねばならない帝国の地理的制約。 

 過去百年、大規模な戦争を経験していない軍に対する過剰評価。

 オルグレンなぞ、という、魔王戦争をあわや、人類側敗北で終わらしかねなかった連中の甘言にのった……皇太子を含む間抜け共

 自分の老いと健康不安を利用し、旨い汁だけを吸おうとしている、官僚達。

 

 ……勝てぬのも道理だわな。

 賢者は歴史に学び、かつ、自ら研鑽を止めない。

 愚者は歴史を軽んじ、自分に酔い、驕り、歩みを止める。

 目を瞑り、両手を軽く挙げる。 


「…………分かっておる。そちらが、動員すら終えていない状態で、帝国南方を丸裸にされておるのだ。勝機はない。だからこそ分からぬ。何故だ? 何故、ハワード公は、、を望まれる?」

「それは、陛下が一番、お分かりでございましょう?」

「…………厄介な男よ。どうせならば、南方の一部だけでも喰ろうてくれればいいものを」

「狼は鼻が利きます故。負ける、と理解されつつも、事後承諾されたのも?」


 戦況は絶望的。

 何しろ、南方方面軍は壊滅状態なのだ。ハワード家が、領土割譲を要求すれば受けざるを得ない。

 しかし、同時にそれは……帝国にとって重荷になりつつある、ハワード家との国境付近を明け渡し、南方地帯を整理すると同時に、時間を稼ぐことにも繋がる。統治には金・時間・手がかかる。

 そして、ハワードが統治に時間を費やしている内に、帝国内部を改革。態勢を整えた上で再戦に臨む。……百年前は出来なかったことを今度こそ。

 だが……白紙講和では……。愚か者共はすぐに忘れよう。

 余が生きている内はまだ。しかし、死んだ後は……。

 書状を放り出す。

 

「…………飲もう」

「心中お察しいたします」 

「グラハム」

「何でございましょう」

「……倍、いや、十倍払う。爵位も皇族以外は思いのまま。どうか?」

「お断りいたします。それに、誘う相手を間違うておられます」

「はっ! ハワードの屋台骨であるお主以外に、そのような人材が早々いて――……そうか。此度の戦役、感じた違和感は」

「半ば正解でございます」

「半ば?」

「はい」

「…………誰なのだ、その怪物は。ああ、誰にも言わぬ。余は長くあるまい。貴様とこうして語るもおそらくは最後。土産を寄こせ。どうせ、新たな極致魔法の使い手が出現した、という話と繋がっておるのだろう? 『勇者』を動かせたが、徒労であろうな」


 椅子の背もたれへ身体を押し付ける。

 帝位について、約半世紀。自分でよく生きた。ここでもう良かろうて。

 …………無論、最後の掃除はするが。

 老執事が微笑む。


「その御方の名、明かすことは出来ませぬ。が――我等、ハワードはその御方に大恩がございます。領土なぞ、というものでは到底返しきれない程の大恩が」 

「…………」

「陛下ならばご存じでございましょう? ティナ・ハワード公女殿下の話を」

「……魔法を一切使えない娘のことか」

「はい。今では『氷雪狼』を使いこなされています」

「…………なるほど。理解した。が、グラハムよ。一つ間違いがあるな」

「はて? なんでございましょうや?」

「決まっておろうが。くっくっくっ……」


 椅子に座りながら笑いが漏れる。

 魔王戦争の輝かしい武勲により、大陸全土に名を轟かすハワードが大恩を感じる相手。それすなわち



「――そ奴、間違いなく、今後の大陸上に名を轟かせることになろうて。かつての英雄達のように。名を秘しても、何れ誰もが謳うことになろう。余もそれまで、どうにか生きることとしよう。帝国の掃除をしながらな」

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