第65話 急報

 俺は、ほのかに眠気を感じている。

 宿にこもってすでに五日目……。

 ヘレンの予想が外れ、炎帝は現れないのではないかと、思い出したからだ。


 別に、気が抜けているわけではないのだ。

 ただ、テイカー候の領地からパルス自治領まで、騎馬で移動すると三日で着く。

 それが、五日目の今日も夕方になろうと言うのに、まだ合図の狼煙が上がらないのだ。


 まあ、俺は起きていようが寝ていようが、結局、エイミアに抱かれて移動するのだから関係ないのだが……。

 しかし、俺が考えているようなことは、エイミアやアイラだって感じているはずだ。


 ヘレンの予想が当たらないことには、今回の炎帝撃破策はまったく機能しない。

 つまり、ヘレンの予想が当たっていることが、作戦の前提になっている。


 アイラも、口には出さないが、ヘレンの予想が外れたのではないかと思い出しているようだ。

 それが証拠に、山を見ているときに、時々、ちらちらヘレンの方を気にしている。

 当のヘレンは、相も変わらず瞑想にふけっているので何を考えているのか分からないが、そんなヘレンをじれったそうに見ているアイラがいる。





「パイを焼いてみましたが、お茶でもいかがです?」

ジーンの奥さんは、事情が分かってからは、俺達を丁重にもてなしてくれている。

 やはり、最初はあらぬ疑いをかけていたようなのだが、それをあっけらかんと告白するくらい、今では俺達に心を許しているようだ。

 ジーンは意外とモテるので、

「もしかして三人も隠し子がいたのではと、思ってしまって……」

なんて、笑って言うほどだったりする。


「おっ……、このパイいけるね。中の甘酸っぱい実が良いんだな」

「この実は、野イチゴの一種で、この地方でしか採れないんですよ。普通の野イチゴより酸っぱいのですが、こうして砂糖漬けにしてやると酸っぱさが引き立って美味しいのです」

アイラは、焼き立てのパイを頬張りながら、感想を述べる。

 確かに、美味しそうな匂いがしていて、俺も思わず生唾を飲んだ。


 だが、俺の分はないようだ……。

 パイの皿は三つしかない。

 おいっ、奥さん、俺の分は?


「コロちゃんには、これの方が良いかな? パイは熱いから食べにくいでしょうからね」

「……、……」

そう言うと、ジーンの奥さんは、ビンに指を突っ込み、砂糖漬けをつまみ出す。

 そして、それを俺の鼻先に差し出した。


「あらっ……、良い食べっぷりね。もう一ついかが?」

「ニャア……」

「うふふ……、美味しそうに食べるわね。では、特別に、もう一つ……」

「……、……」

「エイミアさん……。コロって物凄く賢いわね。まるで私の言葉が分かっているみたいだわ」

「……、……」

ジーンの奥さんは、砂糖漬けのシロップを指まで舐めている俺を見て、頭をなでてくれる。


 ……って、ちゃんと分かっているよ。

 奥さん、俺が熱いのはダメなのを分かってて気を遣ってくれたんだな。


 奥さんの手は荒れてカサカサだけど、なでてもらうと何だか気持ち良いんだよな。


「ヘレンさんも、お一ついかがですか?」

「……、……」

「あら……、まだ瞑想中だったわね。お邪魔しちゃったかしら……?」

「……、……」

何の反応もしないヘレンを見て、ジーンの奥さんは、エイミアの方を見る。


「へ……、ヘレンはいつも、こ……、この時間は瞑想中なんです」

「そうなんですか……。占い師の方とお会いするのは初めてで、勝手が分からなくてすいません」

「い……、いえ。へ……、ヘレンはいつもこんな感じなので、き……、気にはしていないです」

「昨日の夜、ちょっとだけ占っていただいたんですよ。そうしたら、ウチの旦那が近い内に大仕事を成し遂げる……、って」

「……、……」

「その関係で、宿も大いに盛るって仰っていただいたんです」

「へ……、ヘレンの占いは外れないです。き……、きっと、その通りになります」

「そうだと良いわ。最近、ちょっとお客様が減っているので……」

エイミアも、ジーンの奥さんには話しやすいのか、結構、気軽に話しかけている。

 そうしていると、ホロン村にいるようだよね……、エイミア。


 それにしても、ジーンが大仕事を成し遂げるって?

 じゃあ、やっぱ、炎帝は来るんだな。

 近い内に大仕事と言ったら、それしか考えられない。


 だけど、それがどうして宿が盛ることと関係あるんだろう?

 まあ、何でも当たって欲しいけど、やはりヘレンの言うことは、俺には謎ばかりだ。


「そうそう……、こんなものを作ってみたんですよ」

そう言うと、ジーンの奥さんは、前掛けのポケットから木片を取り出した。


 んっ?

 それって、木彫り細工か。

 あれ?

 これって、俺か。

 寝ている俺じゃないか。


 ジーンの奥さんは、いつの間にか、木彫りの俺を作っていた。

 うん、特徴をとらえてると思う。

 尻尾の反り具合なんか、そっくりかも……。


「うん、これ、コロそっくりだな。奥さん、器用なんだね」

「うふふ……。コロちゃんがあまりにも可愛いので、作ってみたんです」

「これさあ、フロントに置いておいたら売れるかもしれないな。それくらい良く出来てるよ」

「こんな街道の宿場町ですのでね。他にあまり娯楽がないのです。だから、暇があるとこんなものを作って楽しんでいるんですよ。そう……、売れるかしら? だったら、今度は起きているコロちゃんを彫ってみようかしらね」

アイラが面白そうに、木彫りを手に取る。


「へえっ……、器用なんだなあ。あたしはこういうの全然ダメなんだよな」

「うふふ……。アイラさんには武闘があるでしょう? 凄く強いんですってね」

「まあ……、あたしには戦いしかないからさ。あたしから戦いを抜いたら、何も残らない」

「あらっ? そんなことはないわ。アイラさんって、とても美人じゃない。髪を伸ばして、ドレスを着たら、きっと男の人は放っておかないわよ」

妙なことを言われて、アイラはビックリしたような顔をしている。

 きっと、ドレスを着たアイラの姿を想像した人は、未だかつていなかったであろう。

 本人でさえ、そんなこと考えたこともないはずだ。


 ああ……。

 何か、こんなに寛いでて良いのかな?

 ジーンの奥さんって、もてなし上手だな。

 俺なんか、すっかりリラックスしてるし。


 宿にこもってから、炎帝と戦うと言うので、かなり気負っていたのかもしれない。

 だけど、なかなか狼煙が上がらないので、気の張り過ぎで疲れていたんだろうな。

 だから、ヘレンの言葉も信じられなくなっていたのかもしれない。


 でもさ……。

 リラックスしたせいで、かえって気合が入ってきたよ。

 今なら、緊縛呪を何回でも撃てる気がする。


 奥さん……、ありがとね。

 色々と気を遣ってくれてさ。

 俺、頑張れそうだよ。





「来るわ……」

突然、ヘレンが言った。


 んっ?

 まだ、狼煙は上がってないみたいだけど?


「へ、ヘレンさん?」

「奥さん……、すいませんが、支度をお願いします。それと、私の分のパイは包んで馬車に載せておいて下さいね」

「は……、はい。ただ今……」

「さっきから、美味しそうな匂いが漂っていて、お腹が減ってしまいましたわ」

笑いながら、ヘレンは奥さんを促した。

 ジーンの奥さんは、うなずくと、サッと部屋を出ていく。


「へ……、ヘレン。の……、狼煙よ。の……、狼煙が上がっているわ」

エイミアが、声を上げた。


 見ると、ちょっと前まで何もなかった茜空に、一筋の煙が立ち上っている。


 来たか……。

 さあ、戦いだ。

 絶対に、炎帝を撃破してやるぞっ!

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