第42話 沈思考
静かだ……。
昼間の戦いが嘘のように、静寂が薬屋の店内を支配している。
真夜中過ぎに起きているのは、猫の俺くらいか……。
ブランは、明日、埋葬されることになっている。
定食屋のおばさんが何もかも取り仕切ってくれるそうで、今もブランは定食屋にいる。
おばさんは気丈にも泣かなかったと言う。
ただ、ずっと眠るブランに語りかけていたそうだ。
何のいらえもないブランに……。
俺達は、明日の朝、王都へ向かって出発する。
レオンハルトの身柄をゴードンに引き渡すのと、裏切りのオーブを操るアリストスを倒すために……。
ヘレンの予想によると、アリストスさえ倒し、裏切りのオーブを引き離してしまえばレオンハルトは正気に還るそうだ。
ただ、これはあくまでも予想だ。
本当にそうなるかどうかは、誰にも分からない。
ヘレンは、さっき、重大なことを言った。
「きっと、デニス国王も若い頃、裏切りのオーブに操られたことがあるわ」
と……。
だが、現在のデニス国王に、裏切りのオーブの影はないそうだ。
白銀に輝くデニス国王の魂に、ネズミ色の膜は見えなかったらしい。
俺には、ヘレンが何を言っているのか分からなかった。
魂に膜がかかっていないのは、デニス国王が裁きのオーブに護られているからだろう。
デニス国王を操ることが出来るくらいなら、ルメールではなく、デニス国王を操るに決まっている。
アリストスがそれをしないのは、しないのではなく、出来ないからだ。
……と言うことは、デニス国王が操られたと言うヘレンの言い分は、考えにくいことではないだろうか?
それに、デニス国王の若い頃に、アリストスはまだ生まれてはいない。
いくら裏切りのオーブが脅威と言えども、扱う者がいなくては、その効果が出るはずもない。
まあ、ただ……。
ヘレンは根拠もなく楽観的なことを言ったりはしない。
俺が考える程度のことなんて、とっくに折り込み済みであるはずだ。
いや……、折り込み済みであって欲しいと、俺は思いたい。
だけど、ヘレンだって一人の女性だ。
想い人であるレオンハルトを救いたい願望はあるだろう。
その願望が、いつもの冷静で正確な判断を狂わせたとしても、誰もヘレンを責めたりは出来ない。
カウンターの隅、俺の定位置には、洗いさらした手ぬぐいが、いつものように敷かれている。
俺達がいつ帰って来ても良いように、ブランが用意しておいてくれたらしい。
エイミアは、明朝の出発に向けて、二十日分の薬を袋に詰めていた。
夜が明けたら、定食屋のおばさんに預けて行くつもりらしい。
各々の袋には名前が書かれており、薬が必要な村人に行き渡るようになっている。
名前で思い出した。
ブランの本当の名前は何て言うのだろう?
ブランと言うのは、バロール一家に潜伏するときに付けた名前に違いない。
それに、ブランには家族はいないのだろうか?
ブランがあの世に旅立つのを悲しんでくれるような、家族は……。
俺は、エイミアとヘレンは置いていくべきなのではないかと考えている。
戦うのはアイラと俺だけで十分だから……。
二人を危険な目に遭わせる必要はない。
それに、俺は至近の魔術を吸い取ることが出来るようだ。
バロールが放った緊縛呪も吸い取ったし、レオンハルトの雷撃も吸い取った。
これがただの偶然か、それとも暗黒オーブの能力ゆえかは分からないが、アイラが俺を背負って戦えば、裏切りのオーブにも対抗出来るかも知れない。
まあ、背負えなくても、俺がアイラの足元にまとわりつけば、きっとアイラも俺の意図を見抜いてくれるに違いない。
俺が考えるに、最悪の状況は、アイラが裏切りのオーブに操られてしまうことだ。
裏切りのオーブが他にどんな能力を秘めているかは分からないけど、俺とアイラが正気ならきっと勝てるはずだ。
逆に、どちらかが正気を失えば、間違いなく勝機はないと思う。
アイラは、その辺のところをどう考えているんだろう?
寝るまでの間、ずっと考え事をしていたけど……。
「コロっ……」
「ニャっ?」
いきなり呼ばれて、俺はビクッとする。
んっ?
アイラじゃないか。
……って言うか、まったく気配がしなかったぞ。
武闘の達人だからそんなことも可能なのかもしれないけど、脅かすのはやめてくれよ……。
「しっ……、声を立てるな」
「……、……」
「これから、あたしとコロで王都に向かうよ」
「……、……」
アイラは俺の耳の近くでささやくと、手に持ったバスケットの中に俺を入れた。
「あとで出してやるから、ちょっと我慢してくれよな」
そう言って、アイラはバスケットのふたを閉める。
やっぱり、アイラも俺と同じことを考えていた。
そうだよな……。
ブランが身をていして教えてくれた教訓を、俺達が何も受け取らないってのは申し訳ないよ。
戦うときには、極力、弱点は排除すべきだ。
これがブランの教えてくれた教訓だ。
エイミアとヘレンには悪いけど、まだ、俺にもアイラにも、戦いながら護ってやるすべがないからさ……。
アリストスは、間違いなく強敵だ。
レオンハルトより武闘や剣技に優れているに決まっているし、裏切りのオーブは暗黒のオーブと同じ闇のオーブで同格だから。
だけど、アイラと俺で勝てなかったら、半永久的に裏切りのオーブは排除出来ない。
最善を尽くして、それでダメなら、ブランだって許してくれるに違いない。
なあ、アイラ……。
おまえもそう思ったんだよなあ?
アイラは、勝手口から薬屋を出ると、音もなく歩いていく……。
バスケットはまったく揺れず、俺には、何処をどう移動しているのかも分からない。
「暗黒精霊の御名に於いて、オーブよ目覚め聞き届けよ……」
バスケットの闇の中で、急に暗黒オーブが語り出す。
なっ、何だ?
暗黒オーブ……、今、緊縛呪を撃とうと言うのか?
……って、こんな真夜中に、誰もいないだろうに。
「……、精霊の意志によりて、魔を求め喰らう小手を召喚す。現れ来たり、力を示せっ!」
えっ?
魔を求め喰らう小手?
や、闇が胃から逆流するように立ち上ってくる。
く、苦しい……。
「ニャっ……」
俺は耐えきれず、口中に貯まる闇を吐き出す。
吐き出した闇は、バスケットの壁を通り抜け、四方八方から外へしみ出していった。
「なっ、何だこれっ?」
「……、……」
「お、おいっ、コロっ! これ、う、うわあっ……」
「……、……」
「て……、手に、闇が……」
「……、……」
しみ出した闇に驚いたのか、アイラが声を上げる。
「ドサっ……」
お、おい……、落とすなよ、アイラ。
バスケットには俺が入ってるんだぞっ!
落ちた拍子に、バスケットの蓋が開く。
……ったく、俺が猫だったから良いようなものだけど、そうじゃなかったら、怪我をしているところだぞ。
いつも、エイミアは丁寧に扱ってくれるのに……。
一度だって落としたことなんてない。
おいっ、アイラ!
分かっているのか?
「こ、これ……。もしかして、小手なのか?」
「……、……」
そう、一人うなずくアイラの左腕に、漆黒の闇が巻き付いているのが見える。
アイラは試すように左腕を振り回すが、ピッタリ張り付いているようで、闇は少しもずれたりしない。
「お、おい……、コロ。これ、どうやって使うんだよ?」
「……、……」
……って、そんなの俺に分かるわけないだろう?
だけど、アイラの言っている通り、それは小手だよ。
魔を求め喰らうんだってさ。
「これ、軽いな……。付けてないみたいだ。それに、全然動きを邪魔しないぞ」
「……、……」
「まあ、これが何の役に立つのか分からないけど、今までより悪い状況になることはなさそうだな。緊縛呪みたいに、身体の異変も起らないし……」
「……、……」
アイラは、子供が珍しいおもちゃでももらったかのように、キラキラした目で自身の左腕を眺めている。
漆黒の小手は、そのアイラの視線を受け止め、金属のように艶やかな輝きを見せるのだった。
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