ガトー・アンヴィジブル2

 色とりどりの落ち葉を踏みながら散策路を歩いていく。

 丸太を組んで作られた階段は一段一段が不揃いの大きさで、歩幅を考えながら歩くのも楽しみがある。

 隣を歩く少女の歩幅ではやや高低差の大きい階段なので、並んで歩くにはエスコートが必要だが、段差を上る為に時折繋いだり離れたりする手と、その度に紅葉のように染まる彼女の耳の可愛らしさが有れば不便さを補って余りある満足感が得られる。

 今日の彼女は普段とは違う装いで、肌を露出しない長袖の上着に、撥水処理されたアンクルパンツが足を包む。足元もいつもの革靴ではなく、ミッドカットのハイキングシューズと泥汚れを防ぐため丈の短いスパッツを装着し、充実の装備だ。

 今日のハイキングは割と本格的な行程を予定していた。山道を歩く為、向いていなさそうなメンバーは置いてきてある。

 そういう判断の元に選出されたペアである。他意はない。決して。公平である。不正は無かった。

 偽物の書類で手にした「かりそめ」の仕事ではあるが、教育に携わる者としてそれっぽく在りたいという思いはある。


 俺が勤める施設である「ジャコウエンドウの温室」は、とある1つの問題を抱えた子供達を保護している。

 そう言うと聞こえは良いが、実質的にはそれを隠れ蓑にした実験場である。


“ミメーシス”


 それが「とある1つの問題」の名称だ。

 現代になってから人類が手に入れた新しい超能力のカタチで、子供達の意志の力を可視化する。

 だがそれは未だ発展途上で人々の生活を豊かにする事はない。これが人類の新たなる叡智の光となるのか、はたまた……。その研究が秘密裏に進められているのだった。

 隣を歩く少女も、その運命に翻弄されるうちの1人で、名前はしずくと言う。

 季節がひとつ巡る前に起きた都市部での紛争のさなか、彼女の肉親は塀の内側に収容され、彼女は1人になった。

 俺は縁あってしずくの身元を保証する事になり、彼女の身の上を鑑みた結果、今いる施設に身を寄せる事になり現在に至る。

 …………。


「いちばん上までどのくらい掛かるんでしたっけ?」

少女の声で俺の意識は思考の海から現実に戻ってくる。

「途中で休みながらのんびり行くとしたら3時間半くらいかな。でも目安はあんまりあてにしないほうがいい、疲れたらすぐに休んで良いんだよ」

 コースレコードを1時間ほど多めにして伝える。あせりは禁物だ。

「あんまり歩道から外れなければ道草だってできる。皆にお土産が必要だから、行きがけにどんぐりを拾っていこうか」

「どんぐりですか?」

「そう。後でビーズとかと組み合わせてブレスレットを作れそうな小さいヤツだな」

「あっ、いいと思います! 素敵です!」

 足元の小粒などんぐりを一つ拾う。

「このくらいの大きさかな」

 茶褐色で光沢のあるそれを指先同士でやりとりすると、ふたりの爪の先が小鳥のキスのようにコツンと触れ合う。

 しずくは受け取ったそれを、ポーチのファスナー付きポケットに大事そうにしまった。

「あ、でも、これをお土産に持って帰ったら……」

 子供達はこう言うのには敏感だ。しずくもそれを察するほどには聡い。

「そうだね、なにごとも正直に言うのが最良ではない。方便は用意してある」

 別に俺自身が少女たちに人気があると言うつもりはない(ないわけでもない。これは重要な事である)。

 しかし、嫉妬やからかいの口実を不要に作るのは避けたい。「また2人で出かけている」というのは周りに対して心象がよろしくないのだ。

 何しろ俺とこの少女、外面上は教師と生徒という関係だ。身元引き受け人であるとか、寄る辺であるとかは問題ではないのだ。

 フケンゼンは正さなければならない。表面上は。

 それと同時に、2人で秘密を作ると言うのも同じくらい大切である。

「裏山にコナラの樹があったから、その辺で拾ったとか採取したとか適当に言えば良いさ」

「ウラヤマノコナラノキカラサイシュシマシタ」

 嘘の下手な少女は、一昔前のアニメに出てきそうなロボット口調で復唱をする。バレそうだけど、こちらでフォローすればまぁ良いだろう。

 これから疲労困憊になるとも知らず、しずくは時折褐色の粒を摘みながら羽根でも生えたかのように軽い足取りで斜面を登って行く。

 細くふわふわしたプラチナブロンドの頭髪がたなびくのを盗み見る。


 能力開発の進行状況で、彼女は周囲から遅れを取り始めていた。

 様々な可能性を考慮した結果、彼女が“ミメーシス”を使いこなせるようになっているべきと考える俺にとって、この事実は芳しくなかった。

 これから世の中を渡り歩いて行く上で、“ミメーシス”は助けになるという結論から、いまだにこの実験場じみた施設に身を置いてはいる。いるが、中途半端な能力を手にするくらいなら、今すぐ荷物をまとめて逃げ出すべきだとも思っている。この少女の身体に負の痕跡を残したくない。

 ……それが、この少女の家庭を壊してしまった俺が為すべきことなのだ。


「童謡で、一年生になったら友達100人出来るかなって歌がありますよね」

「あれで100人で山の上に行っておにぎりを食べるって歌詞がありますけど、友達が100人なら山頂には101人居ないとおかしくなっちゃいますよね?」


 山頂で仲間外れ1人をおにぎりにして食うとかいう恐ろしい都市伝説を聞いたことがある気がする。


「あれを歌っているのはお友達が欲しい子じゃなくて、その子を見ている先生の歌なんだよ」

「そうなのですか!?」

「あの歌詞は第三者からの視点で見た方が自然だからね。その子が友達を求めて、自分自身も誰かの友達で、それで100人。そういう説があるってことさ」

「そうすると、歌での先生はどういう立場なのでしょうね」

「先生は引率者」

「そうですよね……」

「……まぁ、友達の可能性も捨てきれないが」


 ぱっと華のように咲き誇った表情をしたしずくは、そのままフクザツそうな表情に移行する。

「あの……先生は、いえ、その先生じゃなくて先生は、お友達ですか? それとも……」

 ほんのりと期待の灯った瞳。

 一瞬意図がつかめず、俺の背景に壮大な宇宙のイメージが浮かび上がる。

 どっちの意味で答えるのが正解だ?

 逡巡するがここは威厳を保つべきと考え、偉そうに言ってみる。

「先生は友達じゃないよ」

「そうですかぁ……そうですよね。ふふっ」

 少しインモラルさを滲ませた声色でしずくは答えた。どうやら当たりを引いたようだが、それは俺の期待するものとは異なる方向へと転がった感じがした。

 些か疑問は残るが、どうやら納得がいったようだ。


 ……ふと思う。

 完全な答えを得られなくても、こうして彼女は俺を立てるように振る舞う。それが心地良いから俺は彼女を気にかけるのだろうか?

 このような姑息な手段で自らを奮い立たせなくては前に進むこともできないのだとしたら。

 あ、なんか辛くなってきたぞ。

 立ち止まって顔を拭う。これは汗だ。心の汗。


「ちょっと休憩しようか」

「そうですね」

 サイドポケットからチョコレートバーを取り出してしずくに手渡し、こちらも包み紙を剥がして一口齧る。キャラメルとナッツのねっとりした食感。カロリーの塊みたいな味がして美味い。

「沁みる……」

「沁みますねぇ……」

「体力まだ大丈夫? 辛くなったら言うんだぞ」

「全然平気です。今日の私はやりますよ」

「たとえこの身が砕けようと、登頂する所存であります」

「頼もしいな。ところで、砕けたらどうなるんだ?」

「しにます」

「しぬんだ……」


 再び斜面を登りはじめる。

 さて、こうしてぐだぐだとしながら山道を登り続けているが、今日の目的はこれだけではない。


 “能力者としての素質がある者をどの様にして開眼させるのか”


 その問いに対しての解を、俺は早急に出さなくてはならなかった。

 適切な負荷というものが順当である。というのが組織の暫定的な結論だったが、その負荷実験の最中に脱走事件が起きてしまっている。その結末は、凄惨たるものだった。

 ああいったものはもう、起こってほしくない。


 俺は違ったアプローチの仕方で安全にミメーシスの発露を促したい。

 だから登山なのか? と問われるとそうだと答えるしかない。登山というのは、けっこう辛い。

 だけど楽しさもある。

 負荷と呼ぶには物足りなかろうが、これが何かのきっかけになってくれればと思う。

 本当は効果のわからないものを、いの一番でしずくに試すのは避けたかったが……。

 このあたりに俺の人間的欠陥が見え隠れする。決して見つからないように自分の胸の内にしまっておこう。

 次第に道は険しくなり、足取りも徐々に重くなる。時折休憩を挟みながら登っていくと、程なくして大きな岩が連なるガレ場へと到着した。

 ストックをしまい、自分よりも重量がありそうな大岩を手足を使ってよじ登っていく。

 眼下には、小さな滝が流れているのが見えた。


「はわー、高いですね」

「滑り落ちないように気をつけて」

「そうですよね!下まで落ちちゃったら濡れちゃいます」

「山では体を濡らしちゃいけないって先生言ってましたよね!」

 ふんす、と得意げに言う。

 仮にこの斜面を転がり落ちたら、滝に突っ込む頃には既に命は無さそうだ。あの辺にある岩なんて頭蓋をカチ割るのにちょうどいいじゃないか。しずくが足を滑らせないか注意しつつ後ろを歩いて行く。

「あっ!」

 足を踏み外したしずくが尻餅をつきそうになり、とっさに受け止めようとして距離を詰めると小さなお尻が俺の股間に突き刺さった。

 どん。

「ぐぅ」

 重さは大したことはないのだが尻肉の薄さが災いし、坐骨がちょうど良いところにヒットした。さるかに合戦で熟していない柿をぶつけられたカニの気持ちになる。

「あっ、ごめんなさいごめんなさい」

 やせ我慢をして平静を装った。

「大丈夫。足は挫いたりしてない?」

「私は……平気みたいです」

 そうはい言っても立ち上がったしずくの足元はおぼつかない。挫いたかもしれないな。

「あんまり無理しない方がいいな。もうすぐ頂上だから、あとはおぶって行こう」

「いいのですか?」

 普段は遠慮がちな少女が食いぎみにその提案に乗る。

 すこし面食らうが一度言った手前取り消すわけにもいかない。背負ったザックを降ろすと少女の身長でも乗りやすいよう身を屈めた。

 俺の背中、しずく、ザックというサンドイッチ状のフォーメーションを組むためだ。

 ふと背中が汗でびっしょりだということに気が付いたが、しずくは気にするでもなくそこに身体を重ねた。

 風に吹かれて少し冷えた部分に、火傷しそうなくらい熱い少女の温もり。

「汗臭くてすまんな」

「いえ……」

「私、そういうの嫌いじゃないですし、先生はむしろにおいしないほうです」

「……そうか」

 頬を当てられたような感触。背中からの触覚はあまり鋭くないので彼女がどのように背負われているか定かではないが、接地面積がやけに多く感じられた。薄い身体がもたらす驚きのフィット感。変な気分になりそうだ。

 少女の熱がこちらの下半身にまわる前に山頂まで登ってしまおう。煩悩を振り払うように俺は立ち上がる。

「重くないですか?」

「ぜんぜん。ちゃんとご飯食べてるか?」

「ご心配には及びませんよ。今日も朝ごはんちゃんと食べてきました」

「おいしくないオートミール?」

「おいしくないオートミールです」

 しずくは柔らかな笑いを零した。

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