第9話 Ⅲ

 ……ギンの魔法訓練が中断したのは、開始から二時間が過ぎたころだった。

「先生、ちょっと見てもらいたいものがあるんですが」

 と、散歩から戻ってきたオイゲンがシュネルドルファーの助力を乞うたからである。

 ちなみに、オイゲンの隣にはユウハがいる。なぜかというと、ギンに師を取られて暇になったオイゲンが、同じく暇をしていたユウハに、必要もないのに勇気を振り絞って散歩に誘ったからであった。

 とりあえずそういうことでギンの訓練は休憩がてらに中断し、四人で一緒にオイゲンのいう「見てもらいたいもの」のところへと行くことになったのである。

 それはアフリス村を取り巻く森の中、村から東に四〇分ほど歩いたところにあった。森はもちろんイングヴァルの森とは違って禍々しさなど欠片もなく、だからこそ野生動物やモンスターも生息するためそれなりの危険はあるが、それらに出くわさない限りは実にアンクレイスらしい、自然なままの静かな森である。

 ただ、それゆえに道らしい道もなく迷えば一生出てこられなくなってもおかしくない。それでもオイゲンとユウハが往復できたのは、一定間隔で木の枝に結びつけられている縄のお陰である。もちろん村人の手によるもので、二人が出発前に村長から聞いたところによると、縄の目印の先にはこのあたりで最も大きく樹齢を重ねた大木があるとのことであった。

 つまり、シュネルドルファーに見てもらいたいものとはその大木である。

 深い森の奥にある大木と聞いて、シュネルドルファーとギンの脳裏に先日の一件が蘇って渋い表情を浮かべたのは無理からぬことだろう。

 しかし当然のこと、それは凶悪なものではなく、むしろ神聖さをまとった堂々たる生命体であった。

 その木を見上げて、シュネルドルファーは思わず息をついた。

「なんと清々しい……」

 イングヴァルの森の大樹よりは小さいが、それでも空に向かって広く伸びた枝は瑞々しい葉をまとって緑の天井となっており、その隙間から宝石の粒のような陽光を大地へと零している。幹も枝の一本一本も実に逞しく、風を受ける姿はまるで脈を打っているかのようであった。

 周囲の草花も季節を間違えているのではないかというほどに色づいており、ここがいかに植物にとって快適な環境かを物語っている。

「こっちを見てください」

 ユウハが指差すのは、大樹のうしろの草むら。

 そこには、すっかり朽ち果てレッコウの親戚と成り果てた動物の死骸がいくつも横たわっていた。

「この森の動物はここを死に場所として選んでいるようです」

「そうか、動物にとって心地よい終の棲家であり、その養分を吸って草木も活きがよくなり、それがまた動物を呼ぶのだな」

「村長さんによると、この木は村ができたときから既に大きく、以来村の守り神として何百年も崇めてきたそうです」

「もはや霊木ということか。どれ……」

 シュネルドルファーは瞳に魔力を宿し、村の守り神の本質的な姿をつぶさに観察した。

 彼にしか見えないその姿は、幾十、幾百もの光の道。周囲のあらゆる源力を吸い取り自らの養分としつつも、より清浄なるエネルギーに変換し大気へと送り出してゆく、源力の巨大な循環器であった。

「美しい……」

 イングヴァルの森を見たあとではなおさらである。

「ここは決して精霊点ではないし霊脈もとおっていないが、これぞまさしく自然界のあるべき姿だ。もしかすると数百年後には精霊点へと昇華しているかもしれんな」

「先生のお墨付きが出ましたから、大丈夫そうですね!」

「はい」

「なにがだ?」

「実は、この木の枝を少しいただいて、祭具を新調しようかと」

「ほう! それはいい考えだ」

「もう村長さんから許可をもらいましたしね」

「その代わりに古い祭具をここに置いて、小さなお社を建てようかと思います」

「ますます霊力が高まりそうだな。よし、そういうことなら早速戻って大工を連れてくるとしよう」



 そういうわけで、四人から話を聞いたレッコウは素人大工を指導中の親方二人を呼び寄せて単刀直入に問うた。

「おぬしらの技量、どちらが上か?」

 そう問われて相手を推すような謙虚な性格の持ち主たちでは、なかったらしい。

「そりゃあ、わしですわ!」

 声を揃えてそういった。

 そして睨み合う。

「てめえ、先輩を立てようとは思わんのか」

「たった一年じゃねえか、大工に歳が関係あるか。それにおめえ、ホルストでの仕事でおれが助けてやったの忘れたのか?」

「なにおう、そっちこそファルンでおれが尻拭いしてやったのを忘れたのか!」

「何十年前の話だよ!」

「あ~……では、繊細な細工が得意なのはどちらか?」

「そりゃあ、わしですわ!」

 と、今度はひとつだけ声が上がった。一年だけ後輩の、それなのに頭部の密度では明らかに急ぎすぎなほうの親方であった。

「これに関しちゃあ文句はいわせねえぜ。なんせ師匠からも認められてるからなあ」

「ぐぬぬ……!」

「よし、ではヨーランよ、おぬしに命ずる。村の守り神から枝を切り、それでユウハの新たな祭具を拵えよ」

「は……?」

「なんてこった、とんでもなく名誉なことじゃねえか! おいヨーラン、わしに代われ!」

「馬鹿いえ、おめえの雑な手で作られたんじゃあ英雄が恥をかいちまわあ! どんなモンを作るのかわかりやせんが、細かい仕事が必要ってんならわしにお任せくだせえ!」

 どん、と歳のわりに逞しい胸板を叩いて請け負ったヨーランは、果たして、その言葉どおり、いや、それ以上の成果をもってユウハの要望に応えた。

 必要な祭具と社の正確な大きさと形を完璧に把握して図面にすると、極力無駄が出ないよう慎重に選んで大木の枝を切り、たった一人で次々と作り上げてゆくのだ。

 凄まじいスピードだが、決して雑さはなく、小数点以下数ミリという神業的な鉋がけも一発でやってのけ、木材の乾燥を手伝っていたシュネルドルファーを唸らせた。

「わしより腕の立つ大工はたくさんいやすが、それらを含めて木の扱いに関しちゃあアンクレイス人の右に出るモンはいやせんぜ」

 笑いもせず大真面目に、そして誇り高く言い切るその姿にユウハは感銘を受けた。

「まるで海陽の鍛冶師のようです。神事に用いられる道具を作るその作業もまた、神に捧げるための神事の一環のように美しく力強いものがあります」

 実のところ、それは比喩ではない。

 術を使えぬ素人であっても、ヨーランのように長年誠実にひとつの技を磨き続けた者はその作業中においてのみ不思議といずれかの源力を作品に注ぎ込むことがあるのだ。

 すっかり油断しているシュネルドルファーはこの時点では知る由もなかったが、ヨーランの手で生み出されている新たな祭具と社は、彼の無意識の生命力と、シュネルドルファーらの魔力と、ユウハの霊力と、材料それ自体がもつ自然の気が混じり合うことによって、神具と呼ばれるに相応しい名品に仕上げられつつあるのであった。



 ……それから五日後のこと。

 新たな祭具と社が完成し、シュネルドルファー一行と村の顔役たち、そしてヨーランともう一人の親方であるアルノルドらで村の守り神まで赴き奉納の儀を執り行って村に戻ってくると、見知った客人が彼らの帰りを待っていた。

「オロフさん、お久しぶりです。その節はお世話になりました」

「とんでもない、こちらこそ。手紙で無事目覚められたことを知り安心していましたが、本当によかった。そして改めて、アンクレイス人を代表してお礼を申し上げます」

 供の者たちと一緒に、深々と頭を下げた。

「そういう台詞が出てくるところを見ると、調査の結果は期待どおりだったということだな」

「はい。その報告と、他にもお伝えしなければならないことができたので再び参上しました」

「では家で聞くとしようか」

 シュネルドルファー一行とオロフら三人はぞろぞろと列をなしてユウハたちの家へと向かい、すっかり手狭になったリビングでまずオロフからの調査結果を聞くことになった。

 といっても、シュネルドルファーが予測しオロフが答えたように、やはり結果は成功、イングヴァルの森の浄霊が成っていた、ということで主題は終わる。つけ加えるべきことがあるとすれば、今後は国とこの地方の領主が責任をもって森を管理するというくらいで、それはもはやシュネルドルファーらが関知するところではない。せいぜいこれからは観光名所としていい収入源になってゆくことだろう。

 よって、本題は次のことであった。

「実は、王都から書簡が届きました」

 オロフの口調は明らかに興奮を抑えようと努力しているものであったから、悪い報せでないことは確かであろう。

「なんと、国王陛下からの招待状です」

「召喚状、ではなく?」

「はい、招待状です。あなたがたを王宮に招き、是非とも直接お礼をしたいと……」

 一同は顔を見合わせた。

「まだ調査報告は届いていないはずなのですが、どうやらバーリエルさまのお口添えらしく……おそらく、あのかたは確信しておいでだったのでしょうな」

「これはまた、面白いことになったな」

 シュネルドルファーは意味ありげな笑みを浮かべた。

「面白いどころかすごいことですよ!」

 オイゲンは素直に感激してオロフと頷き合う。

「あたしらはオマケだろうけど、ただの旅の芸者が一国の王宮に上がれるって思うととんでもない大出世だねえ」

 ギンも満更ではないようで声に熱がこもっている。

「既に領都のほうで準備を始めておりますので、そちらの用意が整い次第出発できますが、どうでしょう?」

 もちろん断られるなどとオロフは考えていない。どうかと尋ねたのは支度にどれくらい時間がかかるか、という意味である。

 しかし。

「橋はどうなる?」

 ただ一人、レッコウだけは渋い声を出した。

「派遣した大工では不足でしたか?」

「そういう意味ではない。あれは吾輩が提案し、設計した橋ぞ。その吾輩が完成を見ずにここを離れるわけにはゆかぬ」

「完成までどれほどかかりそうですか?」

「早くて十日。できれば二週間は見ておきたい」

 それでもかなりの早さではあるが、いくら招待とはいえ一国の王から誘いを受けて二週間も待たせるのは礼儀の上で甚だ問題がある。

「では大工の増員を……」

「ならぬ。今後のことを考えると村の者たち自らの手によって作らねば意味がないのだ。よって、吾輩はゆかぬ」

 レッコウが嫌がることを最初から予測できていたのは、シュネルドルファーとユウハだけであった。

 橋のことを抜きにしても、レッコウは人前に顔を晒すことができない身であるため、王の前に出ても冑を取るわけにはいかない。しかしそんな無礼を働くわくにもいかない。

 それになにより、レッコウとて王なのだ。オロフらは知らぬことだが、アンクレイス王よりも遥かに大きなことを成し遂げた、自他ともに認める歴史に名を刻んだ大王なのだ。そんな大王が、客人として呼ばれたからといって、正体を明かせないからといって、他国の王に膝を折るような真似ができるはずがない。

 そう、レッコウは決して他者に膝を折ることはない。頭を下げることはあっても、それだけは絶対にしないであろう。

 そのことを、シュネルドルファーはこれまでのつき合いから、ユウハは神宮に伝わる歴史から、理解していた。

 かといってレッコウだけを置いていくということも、シュネルドルファーは避けたかった。なにせ大事な歴史の生き証人であるうえに、レッコウの性格を考えると一人でいる間にふらりとどこかへ行ってはぐれてしまうかもしれない。それだけは、絶対に避けたかった。

「おまえがそういうならおれも辞退しよう」

「えええっ!?」

 と悲鳴じみた声を上げて驚くのはオイゲンである。オロフは目を見開いたまま固まっていた。

「そんな、先生、王宮ですよ王宮! こんな機会は二度とないかもしれないんですよ!?」

「権威というものに無条件に屈するのはわが弟子として感心できんな」

「いや、そういうわけじゃっ……」

 正直なところ、アンクレイスの歴史を思えば王宮にも王都にもとくに見るべきものはないだろうというのが、シュネルドルファーの本音である。むろん口には出さないが。

「私も辞退させていただきます」

 続いたのは主役たるユウハであったから、これにはさすがにオロフも表情で悲鳴を上げた。

「おぬしが断る必要はあるまい、吾輩のことなど気にせずゆくがよい」

「そうは参りません」

 わが王を他国の王の前で跪かせることはできない。わが王が行かぬというのに臣下たる身が一人で他国の栄誉に与ることもまたできない――その無言の決意を、シュネルドルファーたちは聞いた気がした。

「悪いね、オロフの旦那。そういうことになっちゃったよ」

 いいながらちっとも悪びれた様子のないギンであった。

「そ、そんな……陛下になんと申し上げれば……」

「正直に伝えればいい。それで機嫌を損ねるような狭量な王なら謁見したところで面倒なだけだ」

 この一言が、オロフの意地に火をつけてしまったらしい。

「ではそうしましょう! ですが橋が完成したのちには必ず私とともに王都へ行っていただきますぞ! おまえたち、手伝え!」

 随伴の騎士二名は一瞬ぽかんとした。

「なにを、ですか?」

「決まっているだろう、私たちも橋作りを手伝い、一日も早く完成させるのだ!」

「えっ」

 こうして、橋が完成するまでオロフら三名も村に居座ることになった。

 レッコウは鷹揚に「まあよいか」と納得したが、一抹の不安を抱えるのはシュネルドルファーである。王都に行くのはいいとして、そのあとどうすれば失礼なくレッコウをアンクレイス王に会わさずに済むか……

 その問題が、しばしの間シュネルドルファーの明晰な頭脳の片隅をちくちくと刺激し続けるのであった。

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