(18)愛人疑惑勃発
「……はい、ええ、大丈夫です。それでは、その日程で。……はい、失礼します」
沙織が受けていた電話の内容に隣の席で耳を傾けていた佐々木は、彼女が受話器を戻してから確認を入れた。
「先輩、寺田工機の日程は変更ですか?」
スケジュールを書き込んであるカレンダーを見ながらのやり取りで、佐々木は大方の予想をつけており、沙織がそれを肯定する。
「ええ。先方の担当者の都合が悪くなったみたいで。でも来週の予定が、再来週の火曜に延びたから大丈夫よ」
「何時ですか?」
「十五時。空いていたからそこに入れたわ」
「分かりました。スケジュールを変更しておきます」
「あ、ついでに二課の共有スケジュールにも書き込んでおいてくれる? ちょっと課長に報告する事があるから」
「はい、やっておきます」
「お願いね」
そこでPCに向き直った佐々木は、席を立った沙織に代わって、個人のスケジュールに加えて営業二課全員が閲覧できる共有スケジュールファイルに変更内容を入力した。
(さて、これで修正完了。ついでに、他の変更箇所も目を通しておくか)
社内共有管理ファイルをチェックし始めた佐々木は、ここで社内報のファイルに更新のマークがついている事に気が付き、何気無くそれを開いた。そして(いつも通り、大して変わり映えしない内容だろうな)と思いながら流し読みしていた彼だったが、ある一点で目の動きが止まり、次いで広いフロアに響き渡る驚愕の叫びを上げた。
「……はぁあぁぁぁあ!?」
「え?」
「何だ?」
その素っ頓狂な声に、営業二課の者達だけではなく、他の課員達も揃って佐々木に怪訝な視線を向けたが、当の本人は勢い良く立ち上がって課長席に向かって訴えた。
「せっ、せせせ先輩っ! 大変ですっ!!」
「どうしたの、佐々木君。そんなに驚く事なんて、そうそう無いと思うけど?」
「五月蠅いぞ、佐々木。仕事中に一体どうした?」
何事かと話し込んでいた沙織と友之が、そのまま席を離れて彼の所に歩み寄ると、佐々木は相変わらず狼狽しながら自分のPC画面を指し示す。
「いえ、あの、ですがっ! こ、これっ!!」
「これって……、社内報よね? それがどうし」
「そんな大騒ぎするものが、社内報に載るはずが」
不思議そうに示された画面に目を向けた二人は、揃って言葉を途切れさせた。それは社内報の中でも社員からの投稿写真を掲示するスペースで、普段ならほのぼのとしたペットの写真や旅先での絶景写真などが、短い解説文と共に掲載されているのだが、そこに何故か沙織と和洋が抱き合っている写真が表示されていた。
しかもご丁寧に『妻子持ちでありながら愛人を囲っているCSCの一之瀬和洋社長と、彼所有のマンションに堂々と住んでいる営業二課の関本沙織。どちらが恥知らず? 両方に決まってる』とのコメント付きであった。
(はあぁあっ! 何よこれっ!? どうして私が、和洋さんの愛人なのよっ!?)
(どうしてこんな写真が、社内報にアップされてるんだ!? しかも虚実入り交じった解説付きで!!)
友之も流石に愕然となったが、一瞬の後、即座に行動に移った。
「佐々木、借りるぞ」
「あ、は、はいっ!」
有無を言わさぬ口調で友之は佐々木の机にあった電話の受話器を取り上げ、広報部に内線をかけた。
「営業二課の松原だ。社内報の管理をしている者に、至急代わってくれ」
いつもの口調でそう申し出た友之だったが、偶々電話を受けた者が該当する人物だったらしく、次の瞬間、明らかに口調が険しくなる。
「ほう? そうか……。それなら君に聞くが、れっきとした社内報に一個人の写真を当事者に断りもなく載せるとは何事だ。しかも周囲に誤解を招きかねないコメント付きとは恐れ入る。一体広報部のチェック機能はどうなっているんだ?」
その脅迫じみた物言いに、至近距離にいる沙織と佐々木は勿論、二課の者達は静まり返って友之の様子を窺ったが、少しして相手の言い分を聞いた友之はいきなり激昂した。
「…………はぁ? 部内で誰もそんな事はしていないだと? それなら、一体誰が操作したと言うんだ!! 社内報の管理画面にアクセスできるのは、広報部所属の人間だけでは無いのか!? 不特定多数の人間がアクセス可能な全く管理ができていない状態だと、貴様は公言するわけか!?」
「課長!?」
「ちょっと落ち着いてください!」
「話にならん! とにかく、該当箇所を即刻削除しろ!! 十分以内にできないなら、そちらに行くぞ!!」
流石に拙いと佐々木と沙織が慌てて宥めようとしたが、友之は相手を怒鳴りつけてから叩き付けるように受話器を置いた。
「全く……、ろくでもない」
「あ、あの……、課長?」
盛大に舌打ちした友之に佐々木が恐る恐る声をかけたが、ここで少し離れた場所から、妙に間延びした声が上がり、静まり返っている室内に響いた。
「社内報って……、ああ、これか? 確かに何だか随分場違いな写真が、アップされてるなぁ……」
(吉村……、まさかこいつの仕業じゃないだろうな!?)
(へえぇ? こんな見当違いの事をやらかすとはね。本当に残念男だわ)
今度は周囲の視線が一斉に吉村に集まり、友之と沙織も半ば確信しながら彼に目を向けた。
「関本は別に松原工業のVIPって訳じゃないし、単なる社員の一人なのになぁ。どうしてこんな写真が出たのやら。ちょっとプライベートも気を付けた方が良いんじゃないか?」
田宮が役員権限で社内システムの一部にアクセス権限を持っているのを利用し、沙織達の写真を広報部の承認なしに勝手にコメント付きでアップしたものの、社内報の掲示板まで閲覧する人間はそれほど多くなく、噂が広まるまで結構時間がかかると吉村は予想していた。最悪、多くの人間の目につく前に広報部に気付かれて削除されるかと覚悟していたが、まさかアップしたその日のうちに営業二課で騒ぎになるとはと、上機嫌になっていた。
そして親切ごかしてわざとらしく声を張り上げたが、彼の予想に反して沙織は動揺も狼狽もせず、いつも通り淡々と返してくる。
「そうですね。この時はちょっとメイクに手を抜いていたので。どこで誰に見られているか分かりませんから、今後はいついかなる時も手抜きをせず、しっかり整える事にします」
「……へぇえ? さすが堂々としたものだな。いや、恐れ入った」
「それはどうも」
「おい、関本」
「課長は黙っていて貰えますか? 私のプライベートに関わる事なので」
興醒めしたような顔になった吉村に、引き続き沙織は冷静に返す。そんな沙織の腕を友之は軽く引きながら声をかけたが、彼女の態度は変わらなかった。
(そうは言っても! これはさすがにお前と一之瀬さんと親子だと公表しないと、幾らなんでもまずいだろう!?)
(どうしてこんなセコい嫌がらせの為に、私が弁解しないといけないのよ! 冗談じゃないわ! こっちに後ろ暗いところは皆無だもの!)
そんな事をアイコンタクトしているうちに、周囲から複数の声が上がる。
「ほらほら皆、手が止まってるぞ!」
「ボケッとしていないで、さっさと仕事しようぜ」
その呼びかけに、事のなりゆきを見守っていた面々は揃って我に返り、すぐにいつもの仕事中のざわめきが戻ってきた。
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