(17)傍迷惑な密談

「沙織ちゃん? お父さんだよ! 元気にしてるかい?」

結構遅い時間にかかってきた電話に出た途端、ハイテンションの父親の声が耳に飛び込んできた沙織は、若干耳からスマホを離しながら冷静に言葉を返した。


「ええ、元気だし、問題ないから安心して」

「そうかそうか。取り敢えず今日は、沙織ちゃんのマンションに来てるんだ。明日は休みだから、ここを隅々まで掃除しておこうと思ってね!」

「いつの間に、私のマンションになったのよ……。そこは今でも和洋さんの名義でしょう?」

「気分的には、もう沙織ちゃんの物だからね!」

「……ウザい」

「え? 沙織ちゃん、何か言ったかな?」

思わず本音が漏れたが、幸いな事に和洋には聞き取れなかったらしく、沙織は即座に誤魔化した。


「ううん、大したことじゃないわ。だけどせっかくの休みなんだから、掃除だけしていないでゆっくりしたら良いのにと思って」

「大丈夫! 沙織ちゃんが使ってくれると思うと、掃除がとっても楽しいから!」

「……だから、そうそう使わないって」

うんざりしながら沙織が溜め息を漏らすと、和洋が不思議そうに聞き返してくる。


「うん? 沙織ちゃん、今何か言ったかな?」

「何でもないから。ちゃんと管理してくれて、どうもありがとう」

「どういたしまして。それじゃあ沙織ちゃん、おやすみ!」

「おやすみなさい。…………全く」

何とか無難に通話を終わらせ、沙織が肩を落としていると、ドアから軽くノックする音に続いて友之が声をかけてきた。


「沙織、お義父さんとの話は終わったか?」

「あ、友之さん。ええ、大丈夫よ。ところで今日は吉村さんと、二人で飲んできたのよね? 何か問題でもあった?」

沙織が慌てて振り返りながら、既に帰宅してスーツから私服に着替えていた友之に尋ねる。すると彼は、何とも言い難い顔をしながらベッドの端に腰掛け、自問自答するように言い出した。


「いや、目立った問題は無い。ただ……、相変わらず、あいつの思考回路が謎だ」

「どういう意味?」

「沙織が、ファザコンが高じた老け専かと聞かれた」

「…………はい? なんですって?」

「だから、沙織は同世代の若造には見向きもしない、年寄り好きなのかと」

「私のどこがそう見えると?」

一瞬、何か聞き間違えたかとすら思った沙織だったが、重ねて説明されて本気で呆れ返った。その気持ちを十分に理解できた友之は、深く頷く。


「全然意味が分からないだろう? 俺にもさっぱり分からん。取り敢えず、同年代の男と付き合った事はあるし、その時の男に付きまとわれて騒ぎになった事もあると話したら、それ以上は何も言わなかったが」

「本当に何なの? この前からハーレム話とか老け専とか、ちょっと頭がおかしくない?」

「仕事はできるのにな……。第一、それなら沙織の夫の俺は、そんな老け顔だとでも言いたいのかと、文句を言いそうになったぞ。勿論そんな事は、口にも顔にも出さなかったがな」

友之が憮然としながら唐突にそんな事を口にした為、沙織は一瞬呆気に取られてから、我慢できずに噴き出した。


「……っ、老け顔っ……、ぶふっ……」

「こら、沙織。何を笑ってる?」

「だっ、だって! 老け顔って! だっ、大丈夫だから! 友之さんの顔は老けているわけじゃなくて、年に似合わず貫禄があるだけだから!」

「そう言う事にしておくか。取り敢えず、今夜の報告は以上だ」

「本当にお疲れ様」

 未だにくすくす笑っている沙織に友之も苦笑いで返したが、吉村がどんな誤解をしたのか知っていれば、笑っている場合ではなかったのだった。


 ※※※


 吉村が和洋と偶然遭遇してから、半月ほど経過したある日。吉村はある小料理屋の個室で田宮と待ち合わせ、この間に調べていた内容を報告した。


「常務。早速ですが、例の女が住んでいるマンションの名義を、法務局で登記事項証明書を申請して確認してみたら、やはり一之瀬社長名義になっていました」

「本当か……。あの実直そうな一之瀬さんに限って、まさかとは思っていたが。君から送信されてきた画像を見た時にも驚いたが、それ以上だよ……」

 危機管理担当役員でもある田宮は、当然CSCとのセキュリティ契約の場で社長である義則と同席し、和洋とは顔見知りであった。そして十分信頼のおける人物だと認識していただけに、その不倫現場と銘打った写真が送信されてきた事に対して衝撃を受けていた。


「常務が相手の身元をご存じで、調べる手間が省けて本当に助かりました。マンションの名義もそうですが、一之瀬社長が公表しているプロフィールは、妻に二男一女です。れっきとした妻子持ちの愛人をしながら、素知らぬ顔で会社勤めとは。いやはや、恐れ入った」

 沙織の弱みを押さえたと思い込んでいる吉村は、込み上げてくる笑いを堪えらえなかったが、そんな彼に田宮が困惑気味に指摘してくる。


「しかし吉村君。確かに倫理上は問題があるかもしれないが、彼女が社内で何か不正を行ったとか、明らかに社に対して損害を与えたというわけでは無い。勿論、彼女が枕営業をしたというわけでもないし、こういったプライベートの問題を明らかにしても、上司である松原課長には何のダメージにもならないのでは無いかな?」

「常務の仰る通り、普通だったら一個人の極めてプライベートな問題に関して、上司が管理責任を問われる事は無いでしょう。……普通でしたら」

「と言うと?」

 妙に含みを持たせる言い方をされて、田宮は反射的に問い返した。すると吉村は不敵な笑みを浮かべながら、田宮にお伺いを立ててくる。


「関本と課長は、特別に仲が良いみたいですからね。周りが騒いでも不問に伏すか、あからさまに庇う言動をすると俺は読んでいるんですよ。そういう振る舞いは、部下を管理する立場の人間としてはどうなんでしょうね?」

それを聞いた田宮は、真顔で考え込んだ。


「なるほど……。周囲と部下の心証を悪くして、営業二課の信頼関係にひびを入れる絶好の機会か。上手くいけば、彼の管理責任を問える可能性も出てくる。それなら今回は、そちら方面から攻めると?」

「そういう事です。それに、それなりに騒ぎが大きくなればなるほど、他にも色々つつける場所が出てくるかもしれません」

「納得した。松原課長が動かないならそれで良し。動いたら儲け物というわけだな。早速方法を考えよう」

「それに関して、俺に一つ提案があるのですが」

「何かね? 言ってみたまえ」

興味津々で尋ねてきた田宮に自分の考えを披露しつつ、吉村は心の中で歓喜の叫びを上げていた。


(ざまあみろ、関本! 俺をコケにしてくれた礼を、たっぷりお返ししてやるぞ!)

それから吉村は、湧き上がってくる笑いを堪えつつ田宮との密談を続けた。


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