第5章 どんな形でも結婚は大変
(1)課題山積
沙織から返事を貰った友之は、早速両親に報告するべくリビングに向かった。
「父さん、母さん。話があるんだが」
「何だ、友之」
予想通りソファーに並んで座り、和やかに話しながらテレビを見ていた二人に声をかけると、訝しげな表情で問い返される。それを受けて、友之は緩みそうな顔を引き締めつつ、反対側のソファーに座ってから話を切り出した。
「その……、ついさっき沙織から『事実婚をしても良い』と返事を貰ったから、一応二人に報告をしておこうかと思って。それで」
「そうか。それは良かった。それなら真由美、友之に例の物を渡してくれ」
「分かったわ! すぐに出すから、ちょっと待ってね!」
「何?」
照れくさいのをごまかしつつ報告を始めたものの、即座に台詞を遮られた挙げ句、真由美が嬉々として立ち上がってリビングボードに向かった為、友之は呆気に取られた。
「取り敢えずお前達にすぐに必要になる物を、予めこちらで揃えておいただけだ。他にも必要になる物が、色々出てくるだろうがな」
「すぐに必要な物?」
「はい、お待たせ!」
冷静に言い聞かせてくる義則に、友之は益々怪訝な顔になったが、満面の笑みで母親が差し出してきた大判の封筒の中身を取り出してみた彼は、その困惑の色を深めた。
「……父さん?」
無言で説明を求めた息子に、義則が順序立てて説明する。
「以前、入籍はしなくとも、関本さんに同居して貰って、住民票を移動するのが条件の一つだと言った事は覚えているか?」
「勿論、覚えているが……」
「彼女がここに住民票を移した場合、住民票には世帯主との関係が記載される。だが今現在、ここの世帯主は俺だ。世帯主と事実婚する場合には、『未届の妻』とか『妻(見届け)』とかの記載になるらしいが、世帯主の『子の妻』の場合には、事実婚の場合に該当する記載項目が無いらしい。単なる『同居人』での扱いになる」
「それで?」
父親の言いたい事が何となく分かってきたものの、友之はそのまま話の先を促した。
「婚姻届けを出して入籍した場合には、自動的にお前か沙織さんを世帯主にして、新しい戸籍が作成されるから問題は無いんだがな……。だから沙織さんが住民票を移す前にお前が分籍届を出して、俺達とは独立した戸籍を作れ。そうすればお前が筆頭者で世帯主になるから、ここに沙織さんが住民票を移動させた場合、その記載をお前の『未届けの妻』扱いにできる」
「戸籍の手続きはいつでも役所で受け付けて貰えるけど、住民票の移動届は、一般の取り扱いですからね。平日の手続きが無理なら、土日開庁の日程も入れておいたからここで済ませてね」
「……分かった」
予め確保しておいた届け出用紙に加えてスケジュール表確認した友之は、両親の手際の良さに、ただ頷く事しかできなかった。そんな友之に向かって、真由美が数社のパンプレットをより分けて指し示しながら、まくし立ててくる。
「それからこれが、引っ越し業者のプラン一覧よ。引っ越し費用は全部こちら持ちにしちゃうから、沙織さんに遠慮なんかしないように言ってね? 仕事で忙しいでしょうし、もう梱包から荷解きまで全部お任せの、この楽々パーフェクトパックなんかお勧めよ?」
「そうだね……。沙織に言っておくよ」
「それから事実婚なんだし、大々的に結婚式とか披露宴はしないのよね?」
「それは……、そのつもりでいるけど……」
「でも家族だけとか内輪では、するつもりは無い? それに両家の顔合わせとかは、やっぱりするでしょう?」
「それはまあ……、さすがに何もしないと言うのは……。向こうの家族の意見もあるだろうし」
控え目に友之が考えを述べると、期待に満ちた眼差しで確認を入れていた真由美が、嬉々としてそれに食い付いた。
「やっぱりそうよね! それで、これが向こう半年間の大安と友引の日程表で、土日祝日には赤丸を付けてあるの!」
「あの、母さん? それは見れば分かるけど」
「それで、両家の親族のみの顔合わせの食事会とか披露宴だと二十人以下だろうから、該当するプランとか部屋とかがあるかを、ホテルに問い合わせたリストがこれで」
「分かった! 取り敢えずそれに関しては、沙織ときちんと相談するから!」
「……そう? じゃあお願いね?」
母親がそれ以上暴走しないように慌てて声を張り上げた友之に、真由美は若干不満そうな顔になったものの、すぐに気持ちを切り替えて話を進めた。
「それから沙織さんのお部屋も、準備しておかないと。この際友之の部屋も、お父さんとお母さんが使っていた部屋にする? そっちの方が広いし行き来がしやすいと」
「とにかく、少し考えさせてくれ」
「真由美、取り敢えず本人達の考え次第だから落ち着け」
そこで義則が苦笑いで会話に割り込み、それを受けて真由美が幾らか不満げにしながらも話を切り上げた。
「分かりました。それじゃあ、なるべく早く沙織さんと相談してね?」
「……ああ」
この時点で既にうんざりしかけながら友之は頷き、この事をどう沙織に伝えたものかと真剣に悩み始めた。
翌朝、いつも通り出勤した友之は自分の席に着くなり、少し離れた席で業務に取り掛かる準備をしていた沙織に呼びかけた。
「関本、ちょっと来てくれ」
「はい」
そして何気なくやって来た沙織に向かって、友之は鞄から取り出した大判の封筒を手渡す。
「課長、何でしょうか?」
「ちょっと検討して貰いたい内容がある」
「何に関してでしょうか?」
「中を見て貰えば分かる。後で、内容を確認してくれ」
「……分かりました。お預かりします」
友之が微妙に含んだ物言いで告げると、それを微妙に察知した沙織は余計な事は言わずに受け取り、一礼して引き下がった。
(意味不明。『後で』ってどういう事? 仕事関係だったら、その場で確認させるだろうし。それを敢えて『後で』なんて念押しするなんて、どう考えてもプライベートに関する事よね?)
自分の席に戻ってから、しげしげとその封筒を眺めた沙織は、中身も確認せずに自分の鞄にしまい込む。
(郵送とかにはしたくない程度には、早く目を通して欲しい。かつ、職場でコソコソ受け渡しとなると、余計に人目に付きやすいから、却って堂々と渡したという事か。これは本当に帰宅してから、すぐに中身を確認した方が良いみたいだわ)
そう結論づけた沙織は、それからその封筒の事は頭の片隅に押しやり、その日の仕事に集中した。
「さてと、一体何が入っているのかしら?」
自宅マンションに帰るなり真っ先に封筒の中身を取り出し、テーブルに広げてみた沙織は、それらを確認して苦笑いするしかできなかった。
「うん、これは確かにプライベートだわ。それにしても……、どう考えてもこれを揃えたのは、真由美さんよね。先走り過ぎですよ……。確かにこういう事は、する必要があるかと思いますけど」
そこでタイミングを見計らったように、沙織のスマホが着信を知らせる。
「噂をすれば影」
友之がかけてきたのを確認した彼女は、落ち着き払って応答した。
「もしもし? 例の物、ちゃんと目を通しましたから」
すると挨拶抜きで、友之が話を進める。
「ああ、うん……。それで住民票の移動だが、いつ頃するつもりだ?」
「別にいつにするかまでは、決めていませんけど。どうしてですか?」
「沙織が住民票を移動させる前に、俺が分籍届を提出する必要があるから、少し待っていてくれるか?」
「はい? 分籍届?」
困惑した沙織に、友之が父親から説明された内容を伝えると、彼女はすぐに納得して頷いた。
「そういう事ですか……、分かりました。それならその手続きが終わったら、教えてください」
「分かった。そうするから」
「だけど……、やっぱり事実婚でも、一応お互いの家族を揃えて、何かする必要があるのかしら……」
思わず独り言のように沙織が呟くと、電話越しに友之がそれに反応する。
「沙織は、ウェディングドレスとかに憧れがあるとか、着たいとは思わないのか?」
「それは……、確かに綺麗だなとは思いますし、興味もありますよ? でも何が何でも着たいと言う、考えは無いです」
「なんとなく、そんな気はしていたがな……。頼むから、色々面倒くさくなってきたとか、言ってくれるなよ?」
「言いたいかも……」
「本当に勘弁してくれ」
思わず本音を漏らした沙織の耳に、情けない友之の声が伝わる。それを聞いた沙織は笑い出したくなるのを堪えながら、声だけは真面目に話を進めた。
「取り敢えず私の両親に報告して、どうするのか相談するなり決めないといけませんよね?」
「そうだな。俺が挨拶に行くから、先方の都合の良い日時を確認して貰えるか?」
「それは構わないんですけど……」
「どうかしたのか?」
「母の方はともかく、和洋さんはどうします?」
幾分心配そうに尋ねてみると、友之が溜め息を吐く気配に続けて神妙に申し出る。
「まさか、無視なんかできないだろう? きちんとお母さんとは別に、ご挨拶に行く」
「……色々すみません。怒るし拗ねるし揉めるしごねると思います」
「覚悟はしている。それじゃあ都合の良い日程だけ、確認しておいてくれ」
「分かりました」
既に一度揉めている父親の事を考えると、頭が痛くなってきた沙織だったが、さすがに無視できない上に友之に愚痴も零せないと割り切り、自身のスケジュールを確認し始めた。
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