(7)藪蛇
「友之が今現在そんな事で、結構神経をすり減らしていてな。その上にお前が職場で色々とあいつの神経を逆撫でしているみたいだから、事情を何とかぼかしながら説明して、少しあいつに対する態度を改めて貰おうと考えていたんだ」
そう訴えられた沙織は、いかにも心外と言う顔つきで反論した。
「私が課長にですか? 特段、何もしていませんよ?」
「直に顔を合わせる前は、お前が振られた腹いせに、色々嫌がらせをしているのかと懸念していたんだがな。お前はどう見ても、そういうタイプでは無さそうだし」
「当たり前です! 変な濡れ衣を着せないで下さい」
本気で怒り出した沙織に、清人は眉根を寄せながら指摘してみた。
「だがお前、友之用に買ったらしいマグカップを、わざわざあいつに突っ返そうとしただろう?」
「結構気に入っていたみたいでしたから、普段使いにするなら渡そうと思っただけなんですが?」
「…………」
不愉快そうに堂々と主張されて、清人は思わず無言になった。するとその横から、真澄が控え目に声をかけてくる。
「その……、ホワイトデーのお返しを手配して、チョコを貰った女性に配ってあげますと、沙織さんが友之に申し出たって言うのは……」
その問いかけに呆れ顔で向き直った沙織は、彼女に向かって淡々と事情を説明した。
「だってこれまでは毎年課長から頼まれて、私が配っていたんですよ? 今年の課長宛てのチョコの受付も私がして、取りまとめて渡しましたし。今年は何だか忙しそうでしたから、買いに行ってあげようかと気を回して申し出ただけです。結局、課長が自分で買って配っていましたが」
「そ、そうだったの……。そういう事は聞いていなかったものだから……。ごめんなさい」
神妙な顔つきで真澄が謝罪すると、カウンターの中から友之の従弟に当たる修が、恐る恐る確認を入れてきた。
「それなら……、男と一緒に食事に行って、結構良い雰囲気だったって言うのは……」
「結婚間近の同級生にご祝儀代わりに奢って、楽しく飲んで昔話に花を咲かせる事が、そんなに問題なんですか?」
「いえ……、結構な事ではないかと……」
怒りの形相で睨まれた彼は、益々顔色を悪くしながら俯き、彼の妻である奈津美が顔を引き攣らせながら問いを重ねた。
「ええと……、毎日後輩さんと、楽しく連れ立ってお仕事してるとか……」
「佐々木君の事ですか? そりゃあ隣の席ですし、彼の指導役として外回りにも連れ歩いていますけど、それが何か?」
「そうですよね、お仕事ですよね……。ご苦労様です……」
そう言って彼女が深々と頭を下げると、沙織の正面で盛大な溜め息が漏れた。
「友之……」
「とんだヘタレ野郎だな」
「今の話が、何だって言うんですか?」
とんだ言いがかりを付けられて、むかっ腹を立てた沙織が問い質すと、清人達はカウンターの方に視線を向けてから、脱力気味に説明する。
「友之の奴、何日か前に、ここのカウンターでぐだぐだ愚痴を零しながら一人で飲んだらしくてな」
「色々ストレスが溜まっていたらしくて、絡んできた他の客と乱闘騒ぎになりかけたとか」
それを聞いた沙織が思わずカウンターに視線を向けると、その奥の店主夫妻がこくこくと頷いているのを見て、頭痛を覚えた。
「課長……、以前にもチラッと思った事がありますが、やっぱり一見分からない所で色々と残念な人ですね……」
「否定できないのが、辛いところだな」
真顔で清人が頷いたのを見て、沙織は益々疲労感を覚えたが、素早く考えを巡らせてから結論を出した。
「分かりました。取り敢えず、注意してみます。そうなると課長は事が片付いたら、また私と付き合うつもりなんですか?」
「ええと……、勿論、そのつもりだと思うけど……」
「ここでそんな確認を入れられる、残念っぷりが甚だしいぞ……」
思わず愚痴っぽい呟きを漏らした清人達に向かって、沙織は自分のペースで話を進めた。
「因みに、どれ位の期間で片が付くと思われますか?」
「相続放棄の手続きができるのは、死亡が確認されてから3ヶ月間だ。あっさり妹達の相続放棄の話が纏まったら不審がられるから、なるべく引っ張るつもりらしいな。その間、実際の資産状況を、隠し通す必要があるわけだ」
「良く分かりました。取り敢えず事が済んだら、拳を一発、お見舞いする事にします」
「制裁確定なの!?」
動揺した声を上げた真澄だったが、沙織は全く容赦なかった。
「そして他人に迷惑をかけた分の制裁として、軽い嫌がらせを前倒しさせて貰います。一月に柏木玲二さんと顔を合わせましたが、柏木さんの弟さんですよね?」
「ええ、そうだけど……」
「それでは近日中に、私と玲二さんのお見合いをセッティングして下さい」
「えぇ!?」
「ちょっと待て、どうしてそうなる!?」
慌てて問い質してきた清人に、沙織は堂々と主張した。
「お二人とも、私に真相を暴露した事を、課長には内緒にしたいんですよね? 恐らく、課長から口止めされているんでしょうし。ですが私と真澄さんがちょっとわざとらしい遭遇をしたのは、既に課長には分かっていますから、もっともらしい理由をでっち上げて、納得させる必要があると思います」
「確かにそれはそうだが、それがどうして見合いに繋がる?」
「真澄さんが直々に私の品定めに出向いて、気に入った事にすれば良いんじゃないですか? それで『話してみたら、結構気に入ったわ。友之がぐずぐずしているうちに、彼女を変な男に持って行かれないように、キープしておこうと思うの。万が一、友之とよりを戻せなくても、玲二と纏まってくれれば義妹になるから、どっちに転んでも良いし』とか、課長に言えば良いんじゃありません?」
あっさり沙織が提案した内容を聞いて、彼女以外の全員が顔色を変えた。
「それで俺達に、お前と玲二の見合いの場を設けろと?」
「それ……、私が友之に言うの?」
「そんな事になったら友之さん、益々荒れないか?」
「沙織さんに、何も知らせない方が良かったかも……」
「さあ、どうするんですか?」
泣き事が聞こえてくる中、容赦なく沙織が決断を迫ると、清人が渋面になりながらそれを了承した。
「確かに、玲二だったら命が惜しいから、間違ってもお前に手を出す事はあるまいな。お前をキープしておくという意味では、大義名分が立つ。真澄、今あいつに付き合ってる女はいないよな?」
「え、ええ、その筈だけど……。清人、本気なの!?」
動揺著しい真澄から沙織に顔を向けた清人は、真剣な表情で念を押した。
「この条件を飲めば、お前は誰にも余計な事は言わずに、おとなしくしているというわけだな? 他の男とも付き合わずに」
「ええ、そのつもりです」
「分かった。それで手を打とう。近日中に見合いの席を設けるから、暫く玲二と付き合うふりをして、お茶を濁していろ」
「分かりました。当面はそのようにして、無事に事が済んだ後、課長にやった事を洗いざらい吐かせて、最終的な判断を下す事にします。……すみません、同じ銘柄でお代わりをお願いします」
「はい、少々お待ちください!」
大真面目に頷いた直後、沙織はグラスを掲げて酒を催促し、それに応じて奈津美が弾かれた様にバタバタと動き出した。それを見た清人が、もの凄く嫌そうに感想を述べる。
「本当に容赦ないな、お前。友之の奴、こんな女のどこが良いのやら……」
「知りませんよ。本人に聞いてください」
すっかりふてくされた沙織は遠慮せずに飲みながら、友之に聞かれても不審に思われない程度に清人達と話をすり合わせてから、店を出て帰途に就いた。
「疲れた……。本当にとんでもないわ。あの人達、何を考えてるのよ。課長も課長なら、あの人もあの人よね」
マンションに帰り着いた沙織は、盛大に愚痴りながら廊下を進んで台所に入った。そして鞄を適当に床に置き、気分直しにお茶でも飲もうと、お湯を沸かし始める。続けて無言のまま急須に茶葉を入れ、マグカップを出そうとして食器棚のガラス戸を開けた瞬間、鮮やかなコバルトブルーが目に入ってきた。
「これ……」
未だに棚の最前列に並べてあるマグカップに手を伸ばし、無意識にそれを取り出した沙織は、暫くそのまま凝視していたが、お湯が沸いた音を耳にして元の位置に戻す。
「……取り敢えずもう少し、このまま置いておこう」
弁解するようにそう呟いた沙織は、使うカップをその横から取り出し、元通りガラス戸を閉めた。
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