(24)沙織の悩み
「今日は随分、珍しい話題で盛り上がっていたんじゃないか? 俺としては、沙織の振袖姿は見てみたいが」
仕事を終えてから友之が早速沙織のマンションに出向き、夕食をご馳走になりながら日中の話を持ち出すと、沙織は軽く顔をしかめた。
「あれを聞いていたんですか……。私としては、結構真剣な悩みなんですけど」
「どういう意味だ? 別にからかうつもりで、話題に出したわけじゃないんだが」
「着物姿を見たいって言うのは、純粋にそれだけの意味なのか、着せる事は出来ないが脱がせる事は出来るとかの馬鹿な事を、堂々と主張したりはしないのかと言う事です」
大真面目にそんな事を言われてしまった友之は、盛大に溜め息を吐いてから、呆れ顔で言い返した。
「あのな……。一体どんなエロ親父を連想している。一度俺のイメージについて、お前とは徹底的に話し合う必要がありそうだな」
「そうですか? 以前、何かの折に、久住さんと只野さんと梶さんが時代劇の話をしていて、『帯を引っ張って解くのは、男の永遠のロマンだよな』とかふざけた事を言っていましたので、『それなら三半規管を鍛えておいて下さい。帯は貸してあげますから、先輩達で交互に身体に巻いた帯の引っ剥がし合いをしてみたらどうですか? 楽しいかどうか、感想を教えて下さい』と笑顔で言っておきました。以後、職場でその話題が出たのは皆無ですが、実は友之さんにも似たような趣味嗜好があるのかと、ちらっと思ったもので」
そんな事を言われてしまった友之は、説教モードから一転し、部下の不適切な発言に頭を抱えた。
「あいつら、職場で何の話を……。だがそれは、ちょっとふざけて話していただけだろうし」
「分かってます。別にこれ位で、セクハラ云々なんて言うつもりはありません。その時、満面の笑みで指摘したつもりが、先輩方曰わく『永久凍土の微笑みだった』らしく、後から個別に謝られました。当時は青臭い小娘だったもので……。本当に若かったですね」
どこか遠い目をしながらの沙織の台詞に、無意識に友之の顔が引き攣る。
「それなら……、それは配属直後の話なのか?」
「ええ。それで『今まで男所帯だったから全く気にしてなかったが、何か気に障る事があったら遠慮無く指摘してくれ』的な事を言われて、それ以降は遠慮無くビシバシ指導させて貰っています」
「俺の知らない所で、そんな事があったとはな……」
もう溜め息を吐く事しかできない友之に向かって、沙織が更に説明を続ける。
「この間の指導が実って、最近では廊下や共有スペースで立ち話している時とかも、皆さんの不用意な事を口にする確率がグッと下がった上、他の人達が微妙な話題で盛り上がっている時も、さり気なく指摘したり窘めているので、女子社員の間では『営業二課の人は、松原課長を筆頭に紳士揃いね』と、密かに評判になっています」
「それも知らなかったな……」
「仕事中に課長に指摘する事とかは、無かったですからね。基本フェミニストですし。真由美さんの躾の賜物ですか?」
沙織が何気なく尋ねると、友之は少し考え込みながら答えた。
「母と言うより……、清人さんの影響かな? あの人とは子供の頃からの付き合いだが、俺以上のフェミニストだから」
そこで少し前に係わり合いになってしまった、物騒な人物の名前が出てきた為、沙織は即座に話題を変えた。
「話を戻しますけど、実家に戻った時に薫が『豊の披露宴での服装をどうするのか』と言い出しまして。『TPOを考えるなら留袖かな』と言われた母が、『あの野郎と揃えるなんて真っ平! ビジネススーツで出るわよ!』と激高したんです」
それを聞いた友之は、即座に難しい顔になった。
「いや……、それはさすがに新郎の母だし、拙いんじゃないのか?」
「やっぱり浮きまくって、出席者の憶測を呼びますよね?」
「憶測以前の問題だろう。それでどうなったんだ?」
「全力で宥めてきましたよ。せめてフォーマルスーツを着て貰えるように。ここが最大の妥協点でした。もう、本当に疲れた……。実家に帰省して、疲労困憊して戻る羽目になるなんて……」
「お疲れ。本当に災難だったな」
がっくりと肩を落として項垂れた沙織を見て、友之は心底同情した。
「薫はああ言っていたけど、当日本当にブラックスーツを着るかどうかも分からないし、せめて私は着物じゃないと拙いかと……。だけど、色留袖は持って無いし」
「別に、振袖でも構わないだろう? 現に未婚だし。それに最近は、年齢とか既婚未婚とか関係ないんじゃ無いのか? 成人式の時、地元の小学校の同級生が夫と子供連れで振袖姿で会場に来ていて、驚いた記憶がある」
首を傾げながら、事も無げに友之が口にした口にした内容を聞いて、沙織は深い溜め息を吐いた。
「そうですね……。自由な人って、とことん自由ですよね……。そういう人って三十になっても四十になっても、平気で振袖を着ますよね……。ある意味、羨ましい」
「ところでその披露宴の前日、お母さんと薫君は、このマンションに泊まるのか?」
そこで何気ない口調で友之が尋ねてきた内容に、沙織が即座に反応する。
「泊まるわけがありません。ここは惨劇の現場なんですよ? あれ以降、母はここに足を踏み入れた事はありませんし、引っ越しも私だけで済ませました」
「すっかり忘れていたが、そう言えばそうだったな……。それなら、会場のホテルに前泊するとか?」
「披露宴が午後からなので、午前中に新幹線で来るそうです」
それを聞いた彼は半ば呆れ、半ば感心した表情になった。
「……徹底しているな。そのブレなさは、やはりお前に繋がる物を感じる」
「褒めてるんですか? 貶してるんですか?」
「両方だな。それはともかく、それなら前日はうちに泊まりに来い」
「え? どうしてですか?」
いきなり言われた内容に沙織は面食らったが、友之は笑顔でその理由を説明した。
「母は着付けの資格を持っているし、従弟の美容師を当日朝に呼んでやる。支度が整ったら、ホテルまで車で送ってやろうじゃないか」
「それはもの凄く助かりますが、そこまでして貰うのは……」
「それに母が『また沙織さんを家に連れて来なさい』と五月蝿いからな。母の機嫌を取れて俺としても助かるし、沙織の振袖姿も堪能したい」
笑顔でそんな事を申し出られた沙織は、苦笑いしながらその好意を受ける事にした。
「はぁ……、そういう事ですか。分かりました。それでは遠慮無く、お世話になります」
「それで送迎の際に、偶然ご家族に遭遇しても、不可抗力だよな?」
そこで笑顔のまま、さり気なく付け加えられた内容に、沙織の顔が僅かに引き攣った。
「友之さん……。何を考えているんですか?」
「いや、別に何も?」
「絶対何か、考えていますよね?」
「さぁ?」
軽く睨んでも相手は明るく笑ったまましらを切り通し、沙織は追及を諦めて、兄の蹴婚披露宴が無事に終了する事を願いつつ食べ進めたのだった。
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