(29)松原家の事情

 夕食後、与えられた客間に籠って、持って来た荷物を広げて整理していた沙織だったが、一区切りついたところで、ノックの後に友之が顔を出した。


「関本、何か不足している物は無いか? 母さんが、スーツ用のスチーマーもあるし、クリーニングも出しておくから、遠慮無く言ってくれだと」

「分かりました。その時はお願いします」

 ありがたく沙織が頭を下げると、殆ど空になったスーツケースを見た彼が、安心したように声をかける。


「一応、片付いたみたいだな」

「はい。クローゼットが造り付けだし、仕分け用の棚もあって助かりました。ちゃんとした客間を準備してあるのって、珍しいですよね」

「この家は、かなり余裕がある造りだからな。客間は四部屋ある」

「そんなにですか?」

 確かに大きい家だったが、そんなにあるのかと沙織は本気で驚いたが、友之は笑ってその理由を告げた。


「以前は、母方の祖父母も同居していたからな。お祖父さんが会社の経営から退いてからは、今は伊豆で悠々自適の生活をしているが」

「なるほど。ところで松原さん。私が二十七か八だと、何か都合が悪いんですか?」

 先程から妙に気になっていた事を口にすると、彼は一瞬迷う様な素振りを見せてから、慎重に話し出した。


「いや……、都合が悪いとかじゃなくて、両親がちょっと驚いただけだから。俺も、最近ではすっかり忘れていたし」

「驚く事ですか?」

「実は、俺には五つ下の妹がいる筈だったんだが、その子は母の胎内にいる時に、母の病気が判明したんだ」

「え?」

 予想外の事を言われて沙織は戸惑ったが、友之は当時の事を思い出しながら話を続けた。


「当時、俺は子供だったから、詳細については知らないが……。後から祖母に聞いた話では、症状が軽ければ出産まで待って手術する事も可能だったが、分かった段階で早急に手術する必要に迫られたらしい。それに胎児がもう少し育っていたら、かなりの未熟児でも保育器で何とか育てられた可能性があったらしいんだが……」

「それで、どうされたんですか?」

「結局、母の命を優先して手術をして、母は助かったが、それ以後は子供が産めなくなった」

「その子供が無事に生まれていたら、私と同じ年だと」

「ああ」

「そうでしたか……」

 友之が一人息子である事から推測はできたものの、一応沙織が尋ねてみると、彼は予想に違わぬ答えを返してきた。それを聞いて沙織が神妙な顔になっていると、暗い話題を出してしまった事を反省した友之が、口調を幾分明るくしながら告げる。


「だから余計に、母は父の姪に当たる二人を、猫可愛がりにしていて。いつ泊まって貰っても良いように、客間はきちんと整える習慣が出来ているんだ」

 それを聞いた沙織は、改めて室内を見回しながら、納得したように頷いた。


「なるほど。ちゃんと机やドライヤー付きのドレッサーまで、常備されている理由が分かりました。それで、その姪ごさんってもしかすると、真由美さんが玄関で口にしていた、『女王様』と『お姫様』の事ですか?」

「正解。俺の従兄弟達の中では、彼女達の他は俺も含めて六人が男なんだ」

「男女比率が、著しく偏ってますね……。真由美さんが猫可愛がりするのも頷けます」

「最近では清香ちゃんも就職して、滅多に家に遊びに来てくれなくなってね。気が付かなかったが、母は結構、寂しい思いをしていたのかもしれないな」

 苦笑しながら友之がそう口にすると、沙織は軽く手を挙げながら問いを発した。


「素朴な疑問なんですが」

「何だ?」

「松原さんは、彼女さんを家に連れて来て無かったんですか?」

「……連れて来るような女性と、付き合って無かったからな」

「はぁあ?」

 微妙に言い難そうに友之が口にした内容を聞いて、沙織が軽蔑の色が混ざった視線を向ける。それを察した友之は、慌てて弁解した。


「いや、さっきのは変な意味じゃなくて! その、何と言うか、両親に紹介するって事は、結婚前提の相手って事になりかねないからな!」

「それでは松原さんはこれまで、遊んで捨てる様なお付き合いしかしてこなかったと」

「俺をどんな人間だと思ってる!? 全員と真面目に付き合っていたが、どうにも結婚となると違うと思って、別れただけだ!」

 その叫びを冷静に聞いた沙織は、ぼそりと口にした。


「不甲斐ない親不孝息子」

「…………」

「とまでは言いませんが」

「今はっきり言ったよな!?」

 思わず声を荒げた友之だったが、沙織は大真面目に結論を出した。


「分かりました。クールビューティー呼ばわりされた身で、何をどう出来るかは分かりませんが、こちらにお世話になっている間は、松原家の中で良い空気を保てるように、孤高の女騎士系として努力します」

 どうにも気の遣い方が微妙にずれていると思ったものの、友之は話題が逸れた事に安堵しながら、話を終わらせる事にした。


「いや、普通で良いから。とにかく、落ち着かないかもしれないが、早めに寝ろよ? 明日も普通に仕事だからな」

「はい、分かりました」

 そうして沙織の、松原家滞在の日々が始まった。

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