なんとなく最近、他人への思いやりを持たない人が増えてきたような気がする。
そんなことをここ数年、感じていた。
僕は長年商売をやっているが、自分を神様だと信じ込んでいるお客は増える一方だし、街に出てもなんだかちょっとやれやれって感じの人が多くて困ってしまう。
みんなが少しずつでも他人への思いやりを持てるようになれば、今よりずっと生きやすい社会になるのに……そう思わずにはいられなかった。
だから今作のあらすじを見た時、強く惹かれた。
思いやりを持てないと死んでしまうとは物騒だが、「相手を思いやる気持ち」という、今の競争社会では忘れられがちな人間性で生死を決めるのは、実に小説らしくて魅力的な設定である。
なによりそうして生まれ変わった世界を見てみたいと思った。
そして僕は今作をのめりこむようにして読んだ。
サイコゲームによって作られた思いやり社会、同時に生まれた矛盾と不安。やがて思いやりとは逆の感情に支配されていく世界に、「思いやり」というのは強いられるとむしろ毒薬になるものだと知った。
それはサイコゲームのような過激なシステムのせいだけではない。
きっと「思いやり」は他人に強制したり、そのように仕向けたり、教育する類のものではなく、まずはひとりひとり自分自身がそれを意識する事でしか始められないからだろう。
今作をカフェで読み終えた後、外に出ると自転車置き場が満車になっていて、ひとりの女性が自転車から降りて困っていた。
「あ、今出ますからちょっと待ってて」
慌てて自分の自転車を出してスペースを空けると、女の人は笑顔を浮かべて「ありがとうございます」とお礼を言った。
それだけでほんの少し世界が良くなった気がした。
多分、そういうものなんだろう。
他者の気持ちを慮る。それは現代社会に必要とされるスキルなのかもしれない。しかし、それが社会システムによって管理され、判定され、慮ることができなかった人に死を持って制裁を下す社会ならばどうだろうか?
この作品はその問題に真正面から向き合った作品である。死をもたらすこのサイコゲームは、必然的に殺人という現象を引き起こす。そうなれば被害者と加害者が生まれることも、また必然である。加害者になってしまったレインや主人公たちは、このサイコゲームの真相に迫っていく。
何が正しくて、何が正しくないのか。もしかしたら、今までの我々の常識は、いつでもひっくり返る可能性を秘めているのではないだろうか。
考えれば考えるほど背筋が寒くなる。恐怖のゲーム。
貴方は生き残れる自信がありますか?
舞台は、「相手の気持ちがわからなければ死ぬゲーム」が
政府によって導入された近未来の日本。
(詳しいルールは本編をご覧ください。)
いきなりどう考えてもまともじゃない政策なのですが、
この歪んだ世界観を説得力のあるものたらしめる設定の作り込みが、本作の魅力。
読み進めていくうちに、ディストピア感溢れるこの社会に入り込めてしまうんです。
魅力的なキャラクターもその要因の一つでしょう。
個人的に注目すべきは、大人の事情で初っぱなからショッキングな運命に翻弄されつつも、持ち前の勇気と行動力で切り抜けていく、中学生のちさちゃん。
時に見せる歳相応の可愛らしさで、シリアスな展開続きでも、彼女がいるとなんとなく、場が和む、そんなアクセント的な人物でもあります。
『危険分子』の存在。そして、暴動。
伏線をちりばめ、気になるワードを提示しながら、物語は突き進む。
わからないこと、それってそんなに悪いこと?
わからないことが怖い、それなら私たちは、どうするべきか、
何を考えるべきか。
彼らの出した答えと、このデスゲームの結末、ぜひお読みください。