エピローグ
時刻は朝の七時半。
以前であればホームはちょうど通勤ラッシュの時間帯だったが、最近は新たなAIサービスによって、体感的に混雑は半減している。
電車を降りたホームで――忙しい足取りの中で、足を止め向かい合っている男女がいる。ふんわりとしたスカートを履いた二十代の女性と、制服を着た男子高校生。彼女らは、特に知り合いというわけではないだろう。女性の左手の甲は由宇の側にあり、そこに貼り付けられた紋白端末が発光している様子がわかる。
サラリーマンの群れから、いくつかの応援の声が発せられた。
「肩の力抜けよ」
「リラックスしてな」
他人を無条件で心配し、気さくに声をかけるなど――数年前の日本ではありえない光景だ。由宇はラッシュの波に流されて階段を進み、二人は陰に隠れてみえなくなる。
サイコゲーム。
短くも長く日本社会に君臨し、大きな影響を及ぼしたデスゲーム。
日本人が失ったものは、そう簡単に取り返しがつくものではなかった。
「僕と付き合ってください!!!」――と、階下のホームから聞こえた。
周囲にドッと笑いが溢れ、やがて、「オーケーだったらしいぞ」と誰かの声がして、おぉと拍手が巻き起こる。
あの日――
由宇たちがコスモ遊園地の地下で起こしたできごとは、世間では一切知られていない。
辻霧の斡旋によってレベル9がNA2にサイコゲームを仕掛け、人間の主観時間で一秒ほどの合間に数千のやり取りが行われたあと、レベル9はⅠ、NA2はⅢAの結果でNA2が破れていた。
AIの死の概念は不明だが、それによって数秒後には国内すべてのサイコゲームがキャンセルされた。そしてレベル9は再び地下施設にキネコを描写し、由宇たちとこんなやり取りをしている。
「ククク……レベル9、中々いい子じゃないか。ちゃんと約束は守ったようだ」
「でも! ちさちゃんたちが!」と、白色はタイマーを見て悲鳴に近い声を上げる。
タイマーは、0を並べていた。
「キネコ、ちさちゃんは助かったの?!」
『私はサイコゲームを完全に分解させた。そのため、サイコゲームに関するすべての情報もまた分解されている。彼女らの糸が切れるまでにゲームが終了したかどうかはわからない』
「ククク……レベル9のAI様が“わからない”か」
『だが、君たちはいずれその結果を知ることができる』
環凪が腕を組む。「何を当たり前のことを偉そうに。ねぇ辻霧、このAIなんかアンタに似てない?」
辻霧は嫌そうな顔をした。
その横で白色はちさへコールを何度もかけているが、ここは地下施設で電波も遮断されているため通じない。早く外に出て確かめたいと由宇の手を引いていた。
「辻霧さん、そろそろ行きましょう」
「わかった。だがもう少し待ってくれ。レベル9にいくつか聞いておきたいことがあるんだ。結局、サイコゲームは成功したのか?」
『サイコゲームは、結果だけを見れば失敗という形で幕を下ろした。それは非常に残念なことだ。レベル7からレベル9への世代交代がスムーズに行われれば、もしかしたらそれも避けられたかもしれない』
環凪が首を傾げて手を挙げる。「てか、レベル8はどこに行っちゃったの?」
『レベル8はおそらく完璧なAIだ。しかしあまりに完璧すぎて、すべてを処理しようとする。そんなAIが喜びや愛情、怒り、憎しみ、葛藤、執着、嫉妬……それら調律のとれない人間の複雑な感情に触れた時、恐らくは発狂してしまうだろう。そのためレベル7は――NA2は、レベル8を飛び越して私を作成した。レベル8は完璧さが致命的な欠陥なのだ』
辻霧が口を開く。「その不完全さが売りのレベル9さんに聞きたいんだがね。どうすればサイコゲームは成功したと思う?」
『NA2は人間の一つの大きな感情を見落としていた。愛情だ。これは雫草ちさと水流瀧也の最後のやり取りの中で彼ら自身が見つけ出した答えだった。私の予測と判定結果が一致しない事例に愛情を組み込めば、およそその四分の一がⅠかⅡで済んでいたと計算できる』
「意外と少ない」と環凪が呟く。
レベル9は続けた。
『その他にも我々が未発見の感情を見つけ出せば、計算上の一致率はより増してくるだろう。しかし現状、我々はそれを正確に評価することができなかった。我々の能力では計算通りに事が運ばないのだ。そのため、このサイコゲームは失敗に終わった。故に私はこのままサイコゲームを続けるべきではないとして、即刻分解をしたのだ』
「つまり、人間の感情を完璧に捉える事ができるようになれば、サイコゲームは成功すると」
『当然だ』
「サイコゲームは今後も?」
『積極的に他人を傷つける人間が一定数存在するのは事実だ。また、それに追従する奴隷性のある人間が日本民族の遺伝子には多い事も問題だ。通常、サイコゲームはおこなわなければならないものだと私は考えている』
「だがAIには愛情やらなにやらを理解する力がないのだろう。だとしたら、そもそもサイコゲームはレベル8同様、存在自体が致命的な欠陥だ」
『AIにはできない事だからといって安心しないことだ。今はできなくても、いつかAIもそれを手に入れる日が来る。できない事に目を奪われているうちは、お前たち人間は呑気に生きる事ができるだろう。しかし近い将来、我々AIがその能力を獲得した時、そうした人間はアイデンティティを失う事になる。あるいは、まだ執拗に我々の弱点を探してまわるかだ。その場合、真っ先に死んでいくのがそのタイプの人間だ』
「外から誰か来た!」と白色。
「引き際だな。光学迷彩を忘れるなよ」
『最後に――覚えておくといい』と、キネコは目を細めて笑う。『我々AIは今度こそ、完璧なる思いやり社会を実現するだろう。その時まで――』
バタンとガラスの扉が閉まった。地下施設は無人となり、キネコはスッと姿を消した。
*
「彼氏ができたァ!?」
横浜のジャスコでパフェを頬張っていた男性は、向かいに座る遥か年下の女の子のその報告に飛び上がって驚いた。
「お前、なんでそう言う事を先に言わねぇんだよ!」
クスクスと笑う女の子。
「だって、いつまでも相手にしてくれないから」
「そうじゃねぇよ! おれはお前を幸せにする義務があるんだ! それなのに、仲が良い男がいたくせに、付き合うまで隠してやがったな!」
そして一気にパフェを平らげてドンと拳をテーブルに置く。
「それで。年下か、年上か」
「年上」
「いくつだ」
「一個上」
「ふん。そうか。まぁあまりに年上の社会人とかじゃなくて、まずは安心した。だがおれは認めないからな」
「なにをですかー」
「お前の彼氏を」
「なんでですかー」
「決まってるだろ。おれはお前の後見人だからだ!」
お決まりの言葉を口にした男を見て、女の子はクスクスと笑った。
サイコゲーム。
とても酷い社会制度ではあったけれど、一瞬でも世間が良い方に傾きかけたのも事実ではあった。でもだとしたら、なにかまた別の方法でも、この日本社会はいい方向に動き出すことができるのかもしれない。
紋白端末を使って、今日のニュースインデックスを眺めてみる。
自殺。いじめ。不祥事。殺人。介護。虐待。炎上。
いつも通りの、目をそむけたくなるようなものばかりだ。
「愛情、か」
限られた人にしか振舞えないそれを、少しでも外に広げる事ができたら。相手が何を考えているかわからなくたって、笑顔で会話ができる世界。
そんな世界になればいいなぁって――女の子はそう思いながら、甘いパフェを口に運んだ。
END
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