第16話 雫草 - しずくさ
「世紀末じゃねぇか」
街の各所で繰り広げられている騒ぎを見て、
「バギーと肩パットまだ用意してねぇぞ……」
「助けないと……!」
ちさが一歩を踏み出すが、瀧也はそれを止める。
「悪いが無理だ。一つ二つの集団ならなんとかなるかもしれないが」周辺の騒ぎはそれ以上だ。
「じゃあ一人でも二人でも助けてあげてください!」
「今はもうそんなレベルの騒ぎじゃねぇよ。一人でも二人でも多く助けたいなら、労力はもっと別の部分に掛けるべきだ」
「別の部分?」
「そうだ。この状況――これは明らかにおかしいだろ。日本人は本来もっと陰湿だ。目の前に
しかしこれはある種の感情爆発なのだろう。今まで人々は、暴力的な理性によって感情や自我などを強引に抑えつけられてきた――思いやりという優しい言葉を盾にした恐怖政治によって。だがそこにきてレインという“感情を発散しても許される相手”の発生。今までサイコゲームに忠実であればあるほど、今回のこのリアル炎上では暴力性が暴走してしまうだろう。
「これは目の前の問題じゃない。もっともっとマクロな社会的問題だ」
難しいことを言う瀧也。振り向けば暴力。
ちさは今にも駆け出して、暴力を受けている人を抱きしめて守ってあげたかった。しかし、瀧也の手は大きくて力強い。ちさの肩に添えられたそれは行動を制止させているのと同時に守ってくれようともしている。瀧也からの愛情が伝わってくるかのようだ。でも、やっぱり助けたいのだ。世界の役に立ちたかった。
「じゃあ、どうすればいいの?」とちさは聞いてみた。
困った顔を作る瀧也。
その時、瀧也の紋白端末が光った。ちさの目にも“call”の文字が共有される。
「由宇か?」と瀧也の声。それを聞いたちさは、なぜだろう。何かが動き出す気がした。
「どうした?」
瀧也はそう答えながら通話のスピーカーをオンにする。ちさにも由宇の声が聞こえた。
『前に僕とサイコゲームをした
「連絡先も何も隣にいるが」
『よかった。じゃあ、ちさちゃんに聞いて欲しいことがあるんです。お母さんの名前は、もしかして“
ちさは頷いた。
「そうみたいだが」と返す瀧也。
『当たりです』という由宇の声は、どうやら電話の向こうで誰かにそう伝えた風だった。
そして由宇の声が戻ってくる。『瀧也さんにお願いがあります。ちさちゃんの母親である葉子さんを、僕たちがいる寿町に――』そこまで言って由宇は言葉を止める。
「もし思い出していないようなら指摘してやろうと思ってんだが」と瀧也。
『そうだ。葉子さんはもう……』
「ちさの両親はサイコゲームで死んでる」
沈黙する電話先。
「寿町にいるんだな? とりあえず合流しよう」
『待ってます。目印は、不法投棄された粗大ごみで』
*
「これは、夜はやることやっちゃうとお怒りを買いそうだね、かじょ男くん!」
ベッドに腰を下ろした由宇の横で、いつもの明るい調子で言う白色。前髪がさらりと揺れて、いたずらが好きそうな大きな目をしている。この瞳は、今はどこを見つめているのだろう――
「誰がかじょ男だよ」
由宇が答えてからしばらくして、辻霧が戻ってきた。手にノートパソコンを持ち、
白色に比べ大人びていて身体も胸も肉付きのいい環凪だった。まだここに身を隠していたのだ。今も相変わらずタンクトップ姿で、本当に肝が据わっている女性だと由宇は思う。
環凪は、懐かしの由宇を見て穏やかな笑顔をみせる。「久しぶりですね。どうしたんですか?」
「彼らはレインだ」
そう言ったのは辻霧だった。本当であれば触れたくなかった事をさらりと伝えてしまった。
思わず固まる由宇。元気な白色も身体を強張らせる。
環凪も案の定、表情が険しくなっていた。「そう……だったんだ」と辛うじて声を絞り出し、ベッドに座っている二人を見下ろしている。「今更、なにをしに?」
由宇が口を開こうとした瞬間、辻霧が勝手に答える。
「君のようにレインに恨みを持つ人間たちから追われて逃げてきたのさ」
「二人とも?」
「そうだ。そっちの女の事を僕は知らないが」
「
「コンニチワ……」と環凪は応えるが――
ギュッと自身の腕を握って居づらそうにしたあと、すぐに部屋から出ていってしまった。
「いまの人は?」と白色が由宇に聞く。
するとまたしても辻霧が勝手に――由宇を指差して答える。「彼女はこの男とサイコゲームをしてⅢAをもらい命を落としそうになったところで、紋白端末を移植した手を切断したんだ」
「僕じゃないです。通りがかったんですよ」
「細かい事はいいさ。そして行くアテがない彼女をこの男がここへ連れて来たんだ。まぁそれはいい。あの女の事なんかより、これを見てくれ」
辻霧は部屋に備え付けられていたデスクからイスを引っ張り出してそこへ座る。そしてパソコンを膝に置いて画面を開くと、それを由宇たちの方へ向けた。
「残念ながら、罠らしい」
「罠?」
「この画面をみればわかるだろう」
辻霧が指さすそこには、黒い背景に白い文字でパソコン言語が表示されている。由宇も白色もそれを読むことができなかった。
「ここからあと一歩進めばクオリア社のコンピューターだ。この先に進めば、タグ表示関連のエラーに干渉することができるだろう。今回の問題を解決できる。だが、僕はこの先には進めない」
「アクセスを待ち伏せされてるってことですか?」
辻霧はパソコンを閉じ、満足そうに背もたれに身体を預けた。
「そういう事だ。歯車の眼の男が仕掛けた罠さ。僕が網にかかるのを待っている」
「何のために――?」と由宇。
「クオリア社を止められるのは僕ともう一人くらいしかいないからだ。だが僕も彼女も、こんな罠に引っかかるほど馬鹿じゃない」
辻霧はおもむろに立ち上がった。そしてそのままなにも言わずに去っていこうとするので、由宇はその背中を呼び止める。
「これからどうするんですか?」
「どうって?」
「今の状況を」
「諦めるさ」
「え」
「見ただろ? 僕たちが動くのを向こうは罠を張って待ってるんだよ。なんとかしたいとは思ったが、なにもできない。残念だ」
「ひどい……」思わずそう呟いた白色。
辻霧はそのわずかな声量の言葉を拾った。
「ひどいとはなんだ。僕だって止めたいさ。きっと彼女も――雫草もそう思っていることだろう。だが相手は僕たちのそれを待っているんだ。何もできない。ミッション・イン・ポッシブルのような真似をしない限りな」
「え」と由宇は顔を上げる。
「な……なんだ」と辻霧はたじろいだ。
「今、なんて言いました?」
すると辻霧は片手を放り投げる仕草をする。「冗談じゃない。僕は行かないぞ! “じゃあミッション・イン・ポッシブルのような事をしましょう”なんてことを言うつもりなんだろうが、クオリア社本社へ侵入するなんてそんな面倒事をするつもりは僕にはない!」
フンとパソコンを強く抱きしめ、しかしなぜか部屋の外には出ていかず先ほどのイスに腰を下ろす辻霧。なにか今の言葉とは別の思いがありそうだったが、由宇にとって聞き直したかったのはそっちじゃなかった。
「そんなこと言わないです! その前です! 雫草……って言いましたか?」
「あ、あぁ。……そっちか。言ったな。……僕と同じ時期に解雇された同僚だ。雫草葉子――青葉台に住んでいるらしいが、それがどうした」
「その人は、力は貸してくれないんですか? 連絡は?」
「彼女は僕に好意的だ。二人で協力すれば罠も回避できるかもしれないし、きっとそのために力も貸してくれるハズだろう。だが連絡先は知らない」
「珍しい苗字で、もしかしたら僕の知り合いの知り合いの家族かもしれません」
「なるほど、他人か」
事態が動くのならなんだっていい。由宇は頷いた。
「ちょっと連絡だけ取ってみます」
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