71話 お別れのとき

 当日が日曜日ということもあり、学校で人気者だった夏輝くんの葬儀には、小学校や幼稚園時代のお友達も大勢参列し、お焼香だけで予定時間を大幅にオーバーしてしまうほど。


 同級生や上級生たちの手で運ばれる棺を、桜淵の生徒たちによる校歌斉唱で送られながら、住み慣れた自宅を旅立ちました。



 桜淵の制服に身を包んで眠る夏輝くん。



 棺の中には、みんなで書いた彼への手紙と、全員で一緒に映った写真、いつもジュース・デーで好んで食べていたお菓子と、大好きだったバニラの香りを滲み込ませたハンカチ。


 そして、以前に冬翔くんに切られ、その後夏輝くんが大切に保管していた私の髪の毛と一緒に、他のみんなも少しずつ自分の髪をカットして入れました。自分の肉体の一部を、亡くなった人と一緒に火葬すると、三途の川までお見送り出来るという言い伝えを、祖母から聞いたからです。


 出来ることなら、遺体でもいいので、このままずっと一緒に居たいと願うものの、現実にそれが許されるはずもなく、最後にもう一度、5人で彼の身体に触れながらお別れをし、荼毘に付される夏輝くんを見送りました。


 火葬中、隣接する斎場で参列者に精進落としが振る舞われる間、火葬炉の前に佇んだまま、ずっとお互いに手を繋いでいた私たち。そうしていないと、不意に感情が崩壊してしまいそうで、自分を保つことで精一杯でした。


 火葬が終わり、運ばれた遺灰は白く脆く、それを箸渡しする自分たちが、酷く質の悪い夢の中にいるようで、骨壺に収まった夏輝くんは、冬翔くんの胸に抱かれ、再び住み慣れた自宅に戻って来たのです。





 居間に仮拵かりごしらえした祭壇に、夏輝くんの遺影と遺骨を置き、もう一度みんなでお参りをした後、



「それじゃ、私たちはこれで失礼します」



 そう言うと、一足先に帰路に付く笹塚母娘。


 小夜子さんは23日からの地方公演を控えており、その後息つく間もなく、26日早朝には、アメリカでのニューイヤー公演の準備のため、朋華ちゃんを伴い出国しなければならないというハードスケジュール。


 ニューイヤー公演には多くの世界的権威が招待され、そこでゲストとして朋華ちゃんも演奏を披露することになっており、その実力を知らしめる実質的なデビューの場でもありました。


 いかに天才とはいえ、ここ数日のレッスン不足が与える影響は少なからず、それを補うには、もうこれ以上一秒たりとも時間を無駄にすることは許されません。



「朋華なら、絶対大丈夫!」


「自信持って、実力を見せつけて来て」


「ありがとう! 頑張ってくるわね」

 


 玄関まで見送り、エールを送る私たちに、真剣な表情で答える朋華ちゃん。次に会えるのは、公演が終わって帰国する年明けです。



「さてと、うちもそろそろ失礼しようか?」


「あ、うん」



 父親に促され、名残惜しそうな顔で頷いた木の実ちゃん。未だ母、征子さんは自宅に戻っておらず、一時的に父親の所へ身を寄せることにしたのですが、結局、木の実ちゃんが征子さんと再会したのは、お正月が明けて、新学期が始まった日でした。


 始業式を終えて帰宅すると、まるで何事もなかったかのように、シレッと自宅に戻っていた征子さん。余計なことを言えば、また家出してしまうため、何も触れないまま、再び母娘ふたりの生活に戻った次第です。



「おい、行くぞ」


「ちょ、待てよ、ブス! こっちにも準備があるんだよ!」


「じゃあ、おめーは歩いて帰れ!」



 冬翔くんを心配して、しばらくの間、北御門家に泊まり込むことにした聖くん。明日は学校があるため一度帰宅し、準備をしてすぐに戻って来るのですが、その送迎をする茉莉絵さんと、毎度お約束のいがみ合いです。


 はるばるドイツから来日していた彼らの祖父母、リヒトホーフェン夫妻も、孫の親友で、自社製品の顧客でもある夏輝くんの葬儀に参列しました。本来なら今頃は、家族とともに日本のクリスマスウィークを満喫していたはずが、まさかこんな事態になるとは想像だにしなかったことでしょう。


 異国での慣れぬ儀式に戸惑う夫を、甲斐甲斐しくサポートする妻。そんな両親を気遣い声を掛けるフランツさんとは対照的に、まったく側に行こうともしない嫁、ひろ子さん。


 あからさまな態度に、茉莉絵さんからツッコミが入ったものの、本人は全く悪びれる様子もなく、そればかりか、この状況に配慮して、新年まで日本で過ごす予定を切り上げ、明日帰国することにしたと聞き、ほくそ笑む始末。



「ほんじゃ、すぐ戻って来るから!」


「行ってらっしゃい」「気を付けてね~」



 聖くんと茉莉絵さん、フランツさんの乗った車の横を、足取りも軽やかに、一人歩いて帰宅するひろ子さん。明日、義両親が帰国するというのに、今日も自宅には戻らず、ここから徒歩数分の距離にある実家へ泊まるそうです。


 そして、私の家族はと言いますと、当初から喪主側にいた祖父母は別に、親族であるにも関わらず父が告別式に参列しただけで、母と弟妹は顔すら出さず。


 あの晩、北御門家の居間で暴言を吐いた母が、いったいどの面下げてやって来るかと待ち構えていた小夜子さんとひろ子さんでしたが、予想をはるかに超える母の非常識さに、開いた口が塞がらず、ふたりが母の悪口で大いに盛り上がったのは言うまでもありません。





 一方、北御門家に残った国枝氏と瀬尾先生、祖父母たちで、今後の冬翔くんのことについて、話し合いがなされていました。


 今は元気そうに見えますが、彼が心に負った傷はあまりにも大きく、また、父親や祖母の状態を考えると、一旦自宅を離れ、治療に専念したほうが良いというのが、瀬尾先生の専門家としての意見でした。


 ただ、国内にはそうした場所がなく、カリフォルニアの大学で、虐待を受けた子供たちに関する研究と治療に携わり、親友でもある博士に相談したところ、冬翔くんを受け入れて下さるとのこと。



「勿論、冬翔くん本人の気持ちを優先した上でですけどね」


「あの子にとって、それが一番良い方法であれば、是非お願いしたい」


「金銭面のことなら、僕が全面的にバックアップしますよ!」


「ありがとう、かっちゃん」「先輩、恩に着ます!」


「むしろ、それくらいしか出来ない自分が、心苦しいくらいだ」



 他にも、保さんや千鶴子さんのことなど、大人たちが北御門家の今後について話し合っている間、私と冬翔くんは、二階の夏輝くんの部屋にいました。


 室内には、至るところに夏輝くんが生活していた痕跡が残っていて、



『ただいま~! バニラエッセンス、買って来たよ~!』



 と言いながら、今にもドアを開けて入って来るのではないかと思うほど。でも、彼がここに戻ることは、もう二度とないのです。


 何気なくクローゼットを開けた冬翔くんと一緒に中を覗き込むと、隅のほうに布が掛けられたイーゼルが目に入りました。



「なっちゃん…」


「これ、夏輝の作品?」


「うん…」



 そう、その絵はあの日、夏輝くんに『未完成だから』と、頑なに見せることを拒否された絵でした。


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