51話 ファーストキスは

 しばらく沈黙が続いた後、不意に、夏輝くんが尋ねました。



「こうちゃんはさ、僕と付き合ってて楽しい?」


「勿論、楽しいよ。どうしたの、急に?」


「聖たちのことがあって、もしかしたら僕の告白をOKしたのも、本当はこうちゃんの意志じゃなくて、『イエス』って言わされたんじゃないのかなって…」



 何を言い出すのかと思いきや、不安そうな顔でそういう夏輝くんに、思わず笑いながら答えました。



「そんなこと、誰からも頼まれてないよ」


「ホントに?」


「大体、朋ちゃんの場合は事情が違ったわけでしょ? まあ、結局は失敗に終わったけど」


「そうだけど…」


「どうしたの? なっちゃん、さっきから変だよ?」



 すると、じっと私の瞳を見つめ、心配そうな顔で言ったのです。



「こうちゃん、最近、何か元気がないような気がしてさ」


「え? 全然そんなことないよ?」


「体調でも悪いのかな、とか、何か悩み事があるんじゃないのか、とか」


「だから、そんなことないってば」


「やっぱり、仕方なく僕と付き合ってるだけだから、何も言ってくれないんじゃないのかって」


「ネガティブか!」



 あまりにも真面目に悩んでいる夏輝くんに、思わずそう突っ込んでしまった私。


 普段から大抵のことにはサバサバしているのに、自分が大切にしているものにはかなりの執着心を見せるところがあり、どうやら私に対してもそのようです。



「なっちゃんの考え過ぎだよ。私はなっちゃんのことが好きだから、こうして付き合ってるんだし、何かあれば、ちゃんと相談するから」



 すると、少し照れたように微笑んで、こっくりと頷いた夏輝くん。



「良かった。安心した」


「分かってもらえたなら、私も良かった」


「でも、何かあったら、隠さずにちゃんと話して。約束だよ?」


「分かった。約束する」



 そう言って指切りをすると、ようやく納得したのか嬉しそうに笑い、今度は、趣味で描き溜めた絵を見せてくれると言って、クローゼットの中から出して広げ始めた夏輝くん。


 水彩画、パステル画、スケッチやイラスト、本格的な油絵まで、よくこれだけ描いたものだと感心するほど。


 そのどれもが、優しい色使いと柔らかなタッチで描かれていて、彼の穏やかな性格がそのまま絵に表れているといった印象です。



「あ、これ、懐かしい!」


「覚えてた? 幼稚園の頃、三人で一緒に描いたやつ」


「よくこんな昔の、とってあったわね」



 そこに描かれていたのは、まだ幼かった私たち三人が、それぞれ自分の姿を描いたものでした。


 色んな色を使って描く夏輝くんに対し、あまり色を使わずに描く私。冬翔くんに至っては、黒一色しか使わず、見かねた夏輝くんが、私たちの絵に着色してくれたほどです。


 ただ色を付けただけなのに、無機質だった私たちの絵は、命が吹き込まれたように生き生きとして見え、子供心に夏輝くんは絵の天才だと思ったのでした。



「あの頃、自分ではすっげー上手く描けてると思ってたけど、こうしてみると、やっぱ下手くそだよね」


「そんなことないよ。天才の片鱗を感じるもの」


「マジで??」


「うん。将来は画家になるとか」


「画家か~! こうちゃんに言われると、ちょっと本気で考えちゃうかも」



 冗談とも本気とも取れる言い方で、夏輝くんは嬉しそうに笑ったのです。


 広げた絵を片付けながら、ふと、クローゼットの中に、布が掛けられたイーゼルを見つけ、尋ねました。



「ねえ、あれは何の絵?」


「あっ! それは…!」



 私の質問には答えず、焦って奥に押し遣ろうとする様子に、逆に興味をそそられてしまい、



「どうして隠すの? 何の絵なの?」


「別に、何でもないし」


「何でもないなら、見せてよ?」


「まだ完成してないから、完成したらね」


「別に、今見せてくれてもいいじゃない? 何で隠すの?」


「そういうわけじゃ…」


「さっき、隠し事しないって約束したよね?」



 あまりの私のしつこさに、少々困惑した顔の夏輝くんでしたが、閃いたように、勝気な笑みを浮かべて提案して来たのです。



「分かった。じゃあ、今から10数える間に僕を捕まえたら、見せてあげる」


「え? 何、それ?」


「ほら、始めるよ! 1! 2!」


「そんなの、勝手にズルい!」


「3! 早く捕まえないと!」


「待ちなさいよ!」


「4! 嫌だよーん! 5!」



 必死で捕まえようとするのですが、ひらりと身をかわして逃げられ、まったく捕まえられず。


 かといって、無理に飛び掛かって、流血の惨事にでもなったら一大事。どうしても見せたくない彼にとって、それも計算に入れた上での作戦なのでしょう。



「なっちゃん、卑怯よ!」


「6! 諦めるんだね! 7!」



 むこうがその気ならば、こちらも手段は選んでいられません。


 追いかけるのを止め、その場にうずくまるようにしゃがみ込むと、



「…い!」


「8! どうした? もう諦めた?」


「…お腹痛い…!」


「9! …って、こうちゃん? ちょっと、大丈夫!?」


「ごめん…駄目かも…」


「マジか!? しっかりし…!」


「はい、捕まえた~!」



 心配して駆け寄った夏輝くんの腕を、しっかりキャッチしてそう言った私。


 一瞬、きょとんとした顔をした次の瞬間、嘘だったことを理解した夏輝くん。



「びっくりした~! 仮病だったの!?」


「だって、こうでもしないと、捕まえられないでしょ?」


「もう、驚かさないでよ! 本気で心配したんだから!」


「ごめん、ごめん。でも、ちゃんと10数え終わる前に捕まえたんだから、あの絵見せて」


「駄目駄目駄目! こんなズル、無効だよ!」


「ズルしちゃいけないなんて、言わなかったし」


「そんなの、言わなくても当然のルールじゃん!」


「というわけで、私の勝ち~! 勝手に拝見しまーす」


「あ、こらっ! 駄目だって言ってるだろ!」



 そう言って、クローゼットに歩き出した私の腕を掴み、引き戻そうとして強く引っ張った瞬間、



「!」



 お互いの顔と顔が、今にもぶつかりそうな距離に接近。


 驚いて、咄嗟に顔を背けようとしたとき、夏輝くんの右手が左の頬に触れ、固定されたような状態で動けなくなりました。


 正しくは、動けなかったのではなく、動かなかったのだと思います。


 心臓の音が聞こえるのではないかと思うほど、早まる鼓動を抑える術もなく、ゆっくりと、さらに近づいて来る彼の顔を直視することが出来ず、そっと瞳を閉じて、その瞬間ときを待つ私。



 少しの躊躇の後、そっと触れた柔らかな感触は、唇ではなく、おでこでした。


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