87.意地悪看護士を退治せよ

 退院の日は、何と夏季長期休暇の前日!


 お見舞いに来てくれたキタセンの同僚達に謀ったかのようだと散々言われながらも、あたしはその日を迎えた。



 本来なら今月一杯は入院するところだったそうだが、そこはさすがのエイル・クライゼ!

 驚異の回復力を見せ、予定よりも早く退院できることになりました!!



 ヒャッハー! つまんねえ病院生活ともクソ感じ悪いババア看護士とも、ついにおさらばだぜえええ!!



 病室で待機していると――来た来た、クソババア様のお出ましですよ!


 他の看護士さんには心から感謝してるけど、お前だけは除外だからな?


 背中の傷開くぐらいのバカ力で身体拭くわ、また腫れるんじゃないかってくらい顔にガーゼ押しつけるわ、文句言ったら逆ギレするわ、怪我人相手に好き放題。


 もちろん、このままおめおめと泣き寝入りするつもりはない。



「…………クライゼさん、ついに退院、ですか」



 ババアは、やけに深々と肩を落とした。あんなに目の敵にしてくれていたのに、だ。


 とはいえ、これは演技などではない。



 そう、何とこのババア、カミュに恋しちゃったらしいのだ!



 カミュがいる時には時間でもないのに検温に来るし、無駄に病室に長くいるし、意味なく化粧濃くなるしと、実にわかりやすい行動を取って下さっておりました。


 そこだけは楽しませてもらったよ、そこだけはな。



「ええ、お世話になりました」


 なのであたしは、笑顔で心にもない言葉を吐いてみせた。


「今日は、あの……いつもいらしてた、お友達は……?」


 彼氏って言いたくないんだよ!

 恋人って思いたくないんだよ!


 あたしは優しい微笑みのまま、攻撃を開始した。


 さあ、最後のお楽しみだ。退院土産に、必殺技をくれてやるぜ!



「ああ、カミュですか? カミュなら、車に荷物を運びに行きました」


「……いつも、お車、で?」



 ババアが息を飲む。


 だよな、車は高級品だもんな? 

 イケメンで、更に金持ちだぞ? 堪んねーだろ?


 羨め羨め、もっと羨め!!



「はい、今日は赤の車なんです。目立って恥ずかしいから、少し遠くに停めてもらって……そのせいで時間がかかってるのかな? いつもは黒か、銀の車なんですけれど」



 更に複数台持ちと聞いたババア、唖然と固まる!


 そうしてると魔除けの像みたいで、なかなかありがたみがあるぞ! いつもそうしとけ!



 あたしは笑いを必死に堪え、更に続けた。



「今日はあたしの退院祝いに、パーティを企画してくれたらしいんですよ。このままドレスを買って直行するつもりみたいで、主役が地味な車じゃ格好がつかない、なんて言って。おまけに、ホテルのスイートまで予約しちゃったとか……本当、言いだしたら聞かないタイプで困ってるんです」



 はい、ここであたし恥ずかしそうな顔をする!


 ババア泣きそう!



 うけけけけけ、まだまだあ!!



「今日のパーティで、婚約披露するんですって。あたし、さっき知らされて…………もう、カミュったら何でも一人で決めちゃうんだから。でもこういう強引なところも、彼の良さなんですよね」



 ババアからの返事はない。どうやら屍と化したようだ。


 よっしゃぁああ!


 ババアを倒した!

 経験値が一上がった!

 賢さが一上がった!



 さて、もう用は済んだな。



「あ、ごめんなさい、お忙しいのに長話しちゃって。本当にお世話になりました。結婚して子供ができた時は、またこちらの病院でお世話になりますね!」



 魂の抜けたババアに背を向けて、あたしは声も出さずに笑った。病室の外で待っていたカミュも、苦笑いしている。


 あたしに楯突こうなんざ百万年早いわ!

 これからは嫉妬なんてくだらねえもんに振り回されず、しっかり責務を全うしやがれ!!




 カミュとエレベーターに乗って一階に降り立ち、さあいよいよ外の世界へ!

 ……と飛び出そうとしたあたしは、しかし、凍り付いたようにその場に固まってしまった。



「エイルさん? どうしたの?」



 急に動かなくなったあたしに、カミュが声をかける。


 あたしはカミュに向き直って、その胸にマンションの鍵を押し付けた。


「先に行ってて。用事できた」


 早口で告げると、カミュは頷いて一人で正面玄関を出ていった。


 均衡の取れた姿勢の良い後ろ姿を見送ってから、あたしはまた視線を戻した。



 相手も、あたしを見つめていた。

 車椅子の上から。

 両手が不自由なのか、その背後には介助のための看護士が付いている。




「…………お姉さん」




 包帯やらガーゼに包まれて、ほとんど見えない素肌の隙間から、彼女――リリムちゃんは、低く擦れた声であたしを呼んだ。




 真夏の直射日光を避けて、病院の敷地内にある屋根付きの休憩所に、あたしはリリムちゃんが乗る車椅子を停めた。休んでいる人が何人かいたけれど、ミイラみたいなリリムちゃんを見るとみんなそそくさと出ていった。


「やあね、失礼しちゃう。こんな可愛い子が来たのに、挨拶もなしだよ」


 リリムちゃんはそう言って笑ってから、ため息をついた。


「……まあ仕方ないかあ。今じゃ元の顔に戻れるかどうかもわかんないくらい、顔面破壊されちゃったからなあ」


 ガーゼで覆われてはいるけど、どうやらくちびるを尖らせてみせたようだ。そして背もたれに身体を預けて、ハンドルを握るあたしを仰ぎ見た。


「でも良かった、お姉さんが生きてて! お姉さん殺してたら、マドケン受験資格永久剥奪くらいじゃ済まなかったよ。刑務所になんて入りたくないし」


 あたしは曖昧に笑うしかなかった。


 それからリリムちゃんの車椅子をベンチの端にロックし、あたしも隣に座った。


 眩しい太陽の光に輝く新緑になど目もくれず、リリムちゃんは取り留めのない話を続けた。


 今年は泳ぎに行けないやら、可愛いデザインの包帯を考えてくれたらいいのにやら、よくもまあ、考え付くよってくらいのダラ話。


 それが三十分以上も続くと、あたしは相づちを打つのにもうんざりしてきた。


「あれぇ、もしかして退屈してるぅ?」

「してる。話のネタは悪くないけど、膨らみが足りない。だから話が飛ぶんだよ。少しは考えてから話せ」


 あたしのアドバイスを聞いて、リリムちゃんは笑った。老婆のようにしゃがれた笑い声に、あたしは一応尋ねてみた。


「その声も……やられたの?」


 リリムちゃんは、笑いながら首を横に振った。


「違うよ、これは地声。私、一番最初に整形したのが声帯なの。昔、事故で喉やられちゃって、ずっとコンプレックスだったからさ。まあ、親父の『魔法虐待』のせいなんだけどね」


 彼女の父親の存在を思い出すと、あたしは重い気持ちになって俯いた。


 けれどリリムちゃんは変わらず、あっけらかんとしていた。


「気にしないでよ。そんなに恨んでないって言ったじゃん? あれ本音。親父は本当にどうしようもない奴でさ、ガキの私使って体売らせてたんだよ。初めての相手も親父。つっても、血の繋がりはないんだ。私、拾われっ子だから」


 あたしは思わず顔を上げ、リリムちゃんを見つめた。


「早くいなくなれって思ってたし、それが叶ってホッとしたよ。でも不思議なもんだね……見殺しにした奴を前に実際に目の前にしたら、足が震えた。一応ね、顔は知ってたんだ。どんな奴らの前で最期を迎えたか知りたくて」


 彼女の口調は、次第に虚ろなものへと変わっていった。


「愛はなかった、でも情はあったのかもしれないね。私の中に、あいつに対してそんなものがあるなんて、許せなかった。それを排除したくて、お姉さんを消そうとしたんだ」


 でも、とリリムちゃんは感傷を振り切るように声を強めた。


「お姉さんを消したって、変わらない。だって、あいつを倒すために習得した魔法に、ずっと拘ってきたのは私なんだもん。あいつはもういないのに、それでもあいつだけは超えてやるって一級目指してさ、バカじゃん? 何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろ? 私は自分で、自分を縛ってたんだよね」


 だから、これまでの素行をまとめた調査書類をハーノルム名義で魔法庁に提出され、第一級のみならず、全階級に於いて世界認定魔道士資格検定の受験資格永久剥奪の通知を受け取った時は、落胆するよりすっきりした――とリリムちゃんは笑った。


「この病院で、血統濃度調査っていうのを初めて受けたんだ。それが聞いてよ、私、エルフの血が混じってるんだって! 残念ながら、ほとんどがホブゴブリン系らしいから、マジナには住めないそうだけど……退院してマギアに送還されたら、自分のルーツを探す旅に出ようと思う」


 これが、彼女が初めて自分の意志で抱いた夢。

 ここから彼女は、本当の自分の人生を歩いていくんだろう。

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