58.カラオケなんて大嫌い
高級店やVIPルームを備えた店ならモニターがあるんだけど、ここは見た目は立派でも中身は庶民向けの格安店。なので防音材を壁に仕込んだ室内に、歌の入っていない音楽がスピーカーから流れる機械を置いただけという簡素な造りだ。
二人がけのソファに隣り合わせで座り、まずはオーダーしたドリンクで乾杯。カミュは車の運転をするからアイスティー、あたしはもちろん生ビールだ。
景気づけに一気に飲み干すと、カミュがおかわりとおつまみを注文をしてくれた。部屋に備え付けられた電話で奴が話している間に、ささっとリモコンを操作して曲を送信する。
注文を終えてソファに座り直したカミュは、流れ始めた音楽を聞いて目を点にした。
構わず、あたしはマイクを握り締めて熱唱した。
全マジナ民、誰もが知る『マジナ界歌』を。
親族友人知人達曰く、外見を大きく裏切る妹系激萌えボイスだという、キラッキラの歌声で。
「…………だって覚えらんないんだよ、流行りの歌。どれも同じに聞こえるから」
隣で激しく笑い転げるカミュに、一応言い訳してみるも、効果なし。あたしが歌うと、皆こうして悶絶の道を辿る。慣れたけど、やっぱり腹立つわ。
「……っ、すごい、すごいよ。エイルさん、今度ウチの店で歌ってよ。絶対、皆……っ」
「笑うってんだろ、バカ!」
もういいや。こいつの笑いが収まるの待ってたら、時間が無駄になる。開き直ってこ。
あたしは次なる持ち歌、『カラフル大陸愛唄』を送信した。一声放っただけでカミュは吹き出し、ソファに顔を伏せて、一人地震に耐えるみたいにずっと痙攣していた。
「エイルさんみたいに面白い人、見たことないよ!」
ああ、そうかよ。良かったな、楽しんで下さったようで何よりだ。
ぶっ続けで五曲歌ったあたしは、追加した果汁サワーを飲みながら休憩中。
カミュは笑いに笑い、笑い死ぬってくらい笑って、今ようやく復活したところだ。
「選曲は置いとくとして、可愛い声だね。歌も上手だ」
「そうかな? 初めて言われたよ。何か覚えりゃいいんだろうけど、覚える前に新しいのどんどん出てくるから、わけわかんなくなるんだよね……で、諦め続けて今に至る、だよ」
「なるほどね。それなら、一緒に歌おうか。エイルさん、音感良さそうだからワンフレ聞いたらツーフレ一緒に歌うって感じで。無理そうなら、サビだけでも」
おお、そいつは名案だ!
あたしは笑顔で頷いて、カミュと歌本を覗き込んだ。
そこからは、もんのすっごく楽しかった。
カミュが曲も歌詞も歌いやすいものを選んでくれたおかげだ。知らない歌でも上手にリードしてくれたし、気に入った歌は何度もリピートしてくれた。
さすがはグラズヘイムのオーナー、楽しませ上手の帝王だ。
カラオケそんなに好きじゃなかったけど、カミュとならまた来てもいいかも。というか行きたい。
「いやあ、楽しかった! 曲も幾つか覚えられたし、これで付き合いでカラオケ連行されても恥かかずに済むよ」
カラオケ店を出ると、空は夜明け間近の紫を帯び始めていた。いつもならそろそろ起きて、ランニングの準備をしている時間だ。でも今日は走らなくても、体が大満足している。アホほど歌い狂って踊り狂ってきたからね。
「俺もすごく楽しかったよ。エイルさん、また遊んでくれる? 暇してたら、いつでも呼んでほしいな」
「マジ? あたし、今日から二連休なんだよ。何もすることないから、空いてたらまた面白いとこ連れてって!」
すると、車を運転するカミュの整った横顔に、明るい笑みが広がった。
「じゃあ二連休とも、俺とデートしようよ。プラン考えておくから、エイルさんも行きたいとこあったら言って。どこでも連れてってあげる」
「ほんとに!? やったね! でもあんまり仕事サボるなよ? 戻ったらオーナーの椅子、なくなってるかもしれないぞ?」
「椅子に齧りついてたって、お客様を楽しませるアイディアなんて浮かばないよ。まずは自分が楽しまなきゃ……って言い訳で、遊ばせてもらいます。さ、着いたよ」
マンションに到着すると、またカミュが扉を開いてくれた。
ずっと不思議だったんだけど、この行為、何か意味あんのかな? いくら車に慣れてないっつってもドアくらい普通に開けられるんだけど……あ、ぶつけて傷つけないように気遣ってんのか。修理するのも高そうだもんな。
と、自分なりに納得して車を降りたあたしは、カミュに手を振って、コンクリート製のショボいエントランスに入った。
いつものように突き当たりにある階段に向かったその時、上から下りてくる足音が聞こえて――あたしは思わず、階段裏の狭いスペースに身を隠した。
何故って……だって一応、男と遊んで朝帰りなんだよ? 誰かに見られて噂されたら恥ずかしいじゃん!
特に階下のババアは要注意だ。あいつ、ゴミ出しにもうるさいからな。
ところが、下りてきたのは意外な人物だった。
――リリムちゃん。間違いなく、リリムちゃんだ。
あたしは物陰に身を潜め、息を殺しながら、彼女の後ろ姿を見送った。
アインスに、関わるなと言われたからじゃない。声をかけられるような様子ではなかったのだ。
姿形こそ同じだったけれど、彼女の表情はひどく陰惨で陰欝で――とても冷酷に見えた。天使のように笑っていたリリムちゃんからは、想像もできないほどに。
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