56.初めての告白

 あたしは――ブチ切れた。


 アインスが、子供の姿をした化け物にしか思えなくて、容赦なく殴った。ひたすら殴り続けた。


『どうした、クソガキ! いつまでも被害者ヅラしてないで、魔法とやらでやり返してこいよ! お前にとって、ニールを殺すことは正しいことだったんだろ? 殺さなきゃならない理由があったんだろ? それを証明してみせろ! あたしは間違ってると思うから殴ってんだよ! 正しいと思って、てめえを殺そうとしてんだよ! 何でニールがてめえなんかに殺されなきゃなんなかったんだって、納得いかないから殺される覚悟でてめえに挑んでるんだよ!!』


 どれだけ殴ったかは覚えてないけど、この時に吐き散らかした台詞はよく覚えてる。


 騒ぎを聞きつけた母さんとノエル姉に力づくで無理矢理止められなかったら、本当に殴り殺していたかもしれない。


『お前なんか弟じゃない! あたしに二度と近付くな!!』


 それから――あたしはアインスと口を聞かなくなり、極力顔を見ないように関わらないように、同じ屋根の下でも自分にできうる限りの距離を取って過ごすようになった。


 けれどそれ以来、アインスの悪癖はぴたりと収まった。家族に懐いたといってもどこかよそよそしい雰囲気だったのに、子供らしい明るさを取り戻し、笑顔を見せることも増えていった。


 それでもあたしは、皆に大人気ないと嗜められても、いい加減にしろと叱られても、徹底的にアインスを無視した。母さんに泣いて諭されることもあったけれど、一歩も譲らなかった。


 どれだけ反省したって、ニールは戻らない。戻らないものだってあると、思い知ればいいと思った。


 そんな状態が続いて一年ほど経った頃、アインスの母が亡くなった。自殺したそうだ。


 アインスは、泣かなかった。そう、と頷いただけだ。


 母さんはアインスを養子に迎えるつもりだったようだけれど、血統検査の結果、彼の父親が『特級禁種』と判明。同時にアインスもまた『マジナにいてはならない種』という事実が明らかとなった。


 そこで異種族保護団体がマギアで親族を捜索したところ、あっさりと父方の曾祖父という人が見付かり、アインスはマギアに送還されることが決まった。


 手続きに時間がかかるやらですぐにとはいかなかったものの、あたしはほっとした。


 もうニールみたいな目に合わされるものはいない、そんな目に合わせるものがいなくなる――アインスがいなくなるってことは、あたしにとってはそれだけの意味でしかなかった。



 それは、アインスの親族が見付かったという知らせを受けた翌日だったと思う。



 あたしが部屋でぼんやり雑誌を眺めていると、小さなノックが聞こえた。相手はアインスだとわかったけど、もういなくなるんだからいいやと思って返事してやった。


『……何か用?』


 声をかけると、アインスはおずおずとドアを開いた。


『あの、俺……エイルちゃんに、お願いがあって』


 そう言って、アインスは小さく笑った。手には、ナイフが握られていた。


 一気に血の気が引いた。最後の最後にあたしを殺る気なんだ、と本気で思ったから。


『…………これで、俺を、切ってほしいんだ』


 しかし、次に発せられたアインスの言葉は、予想を遥か遠くに飛び抜けていた。わけがわからなさすぎて、あたしは絶句した。


『今日は、ニールの死んだ日だから』


 あたしはカレンダーを見て、ため息をついた。忘れもしない、今日は愛弟の命日だ。


 アインスは悲しそうに俯いて、小さく零した。


『ニールに、謝りたいから。エイルちゃんにも』

『…………やだよ』


 あたしはそう言って、アインスから目を逸らした。


『何で?』


『そんなことしたって、ニールは帰ってこない。それに……痛いし』


『痛いのは俺だよ? エイルちゃんは痛くないよ?』


『バッカじゃないの? 見てるだけでも痛いだろうが。用ってそれだけ? なら、もう済んだな。ほら出てけ』


 手で追い払う仕草をしかけて――けれど不穏な空気を感じたあたしは、思わず顔を上げた。


 目に映ったのは、アインスが自分の手に向けてナイフを振り下ろす瞬間だった。


 止めようと飛び出したけれど間に合わず、一撃目の刄はアインスの手の甲に、次は止めに入ったあたしの掌に突き刺さった。



『エイルちゃん、痛い、痛い……痛い……』



 アインスは泣いてあたしにしがみつき、あたしも血の流れる手で抱き寄せた。


『……あたしだって痛いよ、バカ』


『エイルちゃん、ごめんね。ニール、ごめんね。ママ、ごめんね。俺のせいで……俺が、生まれたから……。生まれてきて、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………』



 あたしの胸の中で、アインスは泣きながら謝り続けた。



 泣いているところはたまに目にしたことはあったけど、こんなにも激しく全身で慟哭するアインスを見るのは初めてで――あたしはやっと、自分が大きな勘違いをしていたことに気付いた。



 この子は化け物なんかじゃない。



 どれだけ虐待されようと母親を慕い続けたのに、それが叶わなかった、哀れな子供。


 寂しくて寂しくて、愛されたくて愛されたくて、なのにそれを表現する術を知らない、不憫な子供。


 だってこいつは、生まれてからずっと、最愛の人に傷つけられることしか教わらなかったんだから――。



 あたしはアインスの小さな身体を抱き締めて、嗚咽で震える耳元に囁いた。


『ママは怒ってないよ、逆に、アインスにごめんって。痛いこと、たくさんしてごめんなさいって。アインスのことがずっと好きだったって。ニールも、もう怒ってない。あいつはそんな執念深いやつじゃないよ。もう二度と同じことをしないなら、許すって』


 しゃくり上げながら、アインスはあたしを見上げた。灰がかった青い瞳は、薄曇りの空を覗き込むようにきれいだった。


『エイルちゃんは? エイルちゃんは……怒ってない?』


『怒ってないよ』


『それじゃ好き? 俺のこと、好きになってくれる?』


 何でそうなるんだか、と笑ってしまった。


『う〜ん、そうだな、嫌いじゃないよ。だから好きになれるんじゃないかな。アインスは?』



 逆に尋ねると、アインス彼はまた顔をあたしの胸に埋めた。



『ママが好き。モルガナママもノエルちゃんもミクルちゃんも好き。でも……エイルちゃんは、怖かったから。怒ってたから』


『何だよ、聞いといてそれかよ。もう怒ってないって言ったのに。まあ、嫌われても仕方ないんだけどさ』



 あたしの小さな不平に対して、アインスは小さく頭を横に振った。そして、泣き濡れた顔を上げて微笑む。



『言ったら嫌がられるって思ってたから、言えなかったけど……、エイルちゃんのことも好きだったよ。今は、もっと好き。皆より一番、エイルちゃんが大好き!』

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