38.野獣同士、美人同士
「だっ!」
思わぬ不意討ちに、あたしはテーブルにのめってしまった。殺意の漲る目で振り返れば、やけにリアルな類人猿がファイティングポーズの構えで立っている。
この場でこのあたしに対して、こんなバカやるのは一人しかいない。
「ほう、わざわざ自ら殺されにやってきたってか? いい度胸してんな、てめえ」
着ぐるみだか魔法だか知らないけど、変装なんかしなくたって十二分に猿のくせに!
あたしはリリムちゃんとの恋も忘れて、類人猿にハイキックを食らわせた。
しかし、奴は倒れない。着ぐるみが衝撃を吸収しているのか? ならば、次の手だ!
あたしは一気に相手に組みついて、一本背負い……と見せかけて、そのまま背後に押し倒した。
バカ猿、見事に策略にハマって後頭部からモロ転倒!
けけけ、ざまあぁぁぁぁ!!
倒れた奴の胸板をヒールで踏みにじり、笑ってやろうとしたら……そこにアナウンスが流れた。
『KO! 本日の飛び入り余興、獣人と女、どちらが勝つでショー、決着有り! 勝者、女!! 獣人より強いって、本当に女は怖いですねえ。皆も気を付けて下さい!』
アインスの笑い混じりの声に、会場から大爆笑が巻き起こる。
今の今まで気付かなかったけれど、あたしのいる場所はいつのまにかスポットライトに照らされていて…………慌ててベランダから顔を出してみたら、舞台真上にある巨大スクリーンに、あたしの姿が映されているではないか!
え、てことは……あたしがぶちのめしたのは……。
恐る恐る振り返ると、皆に介抱されながらよろよろと立ち上がるバカ猿……と思い込んでいた対戦相手の姿が目に映った。
「軽く脳震盪になったよ……女性相手だから軽く驚かせるだけのつもりだったのに、まさかこんなあっさりやっつけられるとは。いや、本当に女って怖いね。皆様も、見た目に騙されると僕みたいに痛い目に遭いますよ!」
敗者のコメントに、またまた会場が笑いに湧く。
気ぐるみでも魔法でもなく…………真っ赤な他人の獣人族さんだったらしい。
あたしはひたすら頭を下げ、非礼を詫び倒すほかなかった。
けれど獣人のお兄さんは大変紳士で笑って許して下さり、『素晴らしい戦いだった』とあまり嬉しくない褒め言葉までいただいた。
そして固い握手を交わし、彼に促されるがまま、あたしは引き攣った表情でチャンピオンポーズを取らされ、もちろんこの映像もスクリーンに映し出されるわけで――会場が更なる笑いに包まれたのは、言うまでもない。
横目に覗えば、リリムちゃんもお腹を抱えて笑ってる。こうして、あたしの束の間の恋は終わった。
「お姉さん、強いんですね! 私にも護身術教えて下さい!」
よろよろと席に戻ると、リリムちゃんは目を輝かせてあたしの手を握ってきた。
柔らかくて暖かい感触――何て優しくていい子なんだろう。ああ、ささくれだった心が癒されていく……と、そこへ今度は背後からバックチョーク!
クソが、今日は格闘祭かよ!!
「エイルちゃ~ん、さすがでしたねぇ。あの獣人の方、格闘家さんだったのに軽く蹴散らすなんて」
振り向いて姿を確認するまでもない、奴だ!
「てめえ、マジ殺す! ショウ・フエスの話もまるっきり嘘じゃん! しかもあんな恥かかせやがって! 死ね、死んで詫びろ、このバカ猿!」
アインスはあたしの首に抱きついたまま、平然と耳元に囁いた。
「何でよ? 楽しんだんだからいいじゃん。にしても可愛い弟に、死ねはなくね? そっちこそ謝りなさい! じゃないとモルガナに告げ口すんぞ、三十路甘えっこ!」
「元はと言えばお前のせいだろ、チビモンキー……って、酒臭っ! またバカ飲みしたな? ほんとに限度の知らない空っぽ頭なんだから!」
「るせえな、ブス!……あれ、友達?」
言われて向き直ると、リリムちゃんがきちんと座って、こちらを見ている。心持ち、頬が赤い。ああ、やっぱりあたしじゃ駄目なのね。
あたしは胸で少し泣いてから、首に手を回す猿に命令を下した。
「ちょっとアインス、座れ」
「何、紹介してくれんの?」
命令するとアインスは腕を抜いて、半円形のソファの真ん中に座った。図々しいったらない。
リリムちゃんは俯いていたけれど、思い切ったように顔を上げた。
「あの、私、リリムっていいます。突然お姉さんのところにお邪魔して、すみません!」
「あ、いいっていいって。こいつ、友達少ねえから仲良くしてやって」
このバカが……貴様にあたしの交遊関係がわかってたまるか!
しかも当たってるから余計ムカつくだろ!
「私、アイさんの大ファンなんです。いつも見てました。それで……あの、これ!」
リリムちゃんはプレゼントボックスをアインスに差し出した。給料何ヵ月分、生活も切り詰めた、想いの結晶。
「今日、二十歳になられたんですよね。お誕生日、おめでとうございます! 大したものじゃないですけれど、良かったら受け取って下さい!」
「あ~……今日っていうか昨日、だけどね」
あたしは慌てて腕時計を見た。現在の時刻、午前零時四十五分。
リリムちゃんもお店の時計で時刻を確認したようで、がっくりと肩を落としていた。
「すみません……誕生日に渡したかったんですけど、間に合わなかったですね。せっかくお姉さんも協力してくれたのに……」
リリムちゃんの瞳がどんどん曇っていく。
あわあわと見ていたら、ついに宝石みたいなブルーの瞳から大粒の涙が零れて――あたしはアインスの頭をひっぱたいて睨んだ。
アインスはあたしの無言の叱責に首を竦めてから、リリムちゃんの肩を抱いた。
「いやいや、うん、日付なんて関係ないよな! ごめん、悪かった。ありがとう、気持ちだけでもとても嬉しいです。えっと……開けてみていい?」
リリムちゃんが小さく頷くと、アインスは片手で器用に包みを開いた。そこに現れたのは、重厚な銀のリング。
「え、え? これ超高かったんじゃない? 雑誌で見たことあるよ? こんなすごいの、もらっていいの?」
軽く焦るアインスを見て、リリムちゃんは潤んだ瞳のまま笑顔で頷いた。
「うわ、サイズもピッタリ! すげえ、どうなってんの!? でも……こんなの、俺にはもったいない気が……」
「いえ、すごく似合ってます! 少しでも喜んでいただけるなら、私もすごく嬉しいです!」
…………よし、後は若い二人にお任せだな。
あたしは二人を邪魔しないよう、そっと立ち上がった。しかし、気配を察知したアインスが顔を上げる。
「何、エイル、トイレ?」
この野郎、ほんとにデリカシーねえな!
「そう、トイレ。じゃ、ごゆっくり」
殴りたいのを堪え、精一杯の作り笑顔で答えてから、あたしは静かにボックス席を出た。
するとあら不思議、ほんとにトイレに行きたくなってきちゃった。
そんなわけであたしはまず化粧室に向かい、用を済ませると一階のホールに降りた。
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