34.今日だけはレディ
こうして建物を眺めている間にも、様々な人間が吸い寄せられるように中へと入っていく。年齢層はばらばらでも、彼らが今夜、最も自分を美しく装飾してきているという点だけは、共通していた。
「よし、じゃエイル、行くか!」
アインスに肩を押されたあたしは、何度か深呼吸を繰り返して覚悟を決めると、内部へと踏み込んだ。
重厚な扉を開けば、ふわりと穏やかな音楽が芳香のようにこぼれ出る。そして、体を包む柔らかな光。
構造は、アインスに聞いていた通りだ。
けれど、その豪華さはそんな想像を遥かに超えていた。
中央は吹き抜け状になっていて、円を描くように様々な店舗が軒を連ねる。うまく説明できないけど、マンションのベランダが湾曲して連なってるような感じ。恐らく、この吹き抜けでの催し物が見やすいこちら側が一等席なんだろう。
その催し物が行われるらしい一階正面にある舞台と思われる場所は、今は準備中なのか暗幕で覆われ、警備員によって立ち入りが禁止されている。しかし貼られたロープの手前には、既に多くの人が集まって、ドリンクを片手に談笑しながら開幕を待ちわびていた。
天井に輝くきらびやかな巨大シャンデリアに照らされたグラズヘイムの全容は、劇場というより舞踏会を開くお城の中のような様相で――――あたしは歓声を上げることもできずに、ただ圧倒されて立ち尽くした。
「お客様……お客様? 御予約されていた方でしょうか?」
やっと呼びかけられているのが自分だと気付いて我に返り、視線を向けてみれば、白のスーツに身を包んだ若い青年が三人穏やかに微笑みかけている。
初めて遭遇する、グラズヘイムの従業員!
珍獣でも見るかのように不躾に眺め回してから――あたしは叫んだ!
「お前っ! マオリとかいう猿!」
茶金ヘアが優しい笑みを崩して、驚愕とばかりに目を見開く。
「え? え、えええ!? ア、ア、アイちゃんの姉さん!? 嘘!? 何この特殊メイク!」
「何だと、この茶色猿! 人間に擬態してるお前の方がよっぽど特殊メイクだろうが!」
「いやいや、俺、お猿さんじゃありませんし。姉さんの劇的ビフォーアフターこそ、猿から人間に進化するよりすごいことになってますよ!」
「お前、客に向かって何だ、その言い方は! 姉さんパンチ姉さんキック姉さんパイルドライバーでシメたろか、ああ!?」
などと言い合いしていると、残る二人の従業員がアインスに耳打ちし始めた。
「すごい……聞いてはいたけど、噂以上の姉さんだね」
「アイさん、今日はお姉さん専属ってことでいい?」
「え〜、やだよ。あんな貧乏人」
聞こえてるっつうの!
あたしは一発アインスに拳骨をお見舞いしてから、蹲る耳元に口を寄せた。
「ねえ、ショウ・フエスさん来てんの?」
アインスはまた笑いの虫がぶり返したようで、人差し指を噛みながら言った。
「ぶふっ、うん……ショウ・フエスな。まだみたい。ちょっと席座って待ってて。俺、いろいろ支度あるから行かなきゃなんねえんだわ。マオリ、この荒馬連行」
「りょ! ではお客様、僭越ながら私がお席へご案内させていただきます」
マオリ猿はわざとらしくエスコート役の仮面を被り直し、恭しく頭を下げると、あたしの店内へ導いた。
吹き抜けに面している部分は明るいけれど、右手側にある階段を登り通路に入ると、いきなり薄暗くなった。
店舗内も然り。通路や客席などは下から照らし上げる仕組みのようだ。
その方が吹き抜けになってるホールが際立つし、顔を合わせたくない奴に遭遇しても誤魔化しやすいし。お金持ちだと、いろいろ出会いたくない面倒な奴も多そうだもんね。
こういった絶妙な配慮も、グラズヘイムの魅力の一つなんだろう。
マオリはエントランス真上に当たる、三階の何だか小難しい名前をしたお店にあたしを案内した。そこからは本来なら店舗スタッフと交代するようなんだけど、奴は『アイちゃんに頼まれたんだから、最後まで責任持って届ける』と言って聞かず、吹き抜け際にあるボックス席にまで連れてってくれた。
チャラそうに見えて、意外と責任感が強いタイプらしい。
ふわふわした頼りない革製のソファに腰を下ろしたところで、あたしはようやく一息ついた。
「よし、これにて任務完了。今日は楽しんでって下さいねえ」
席に送り届けたくらいで、成し遂げたような顔してんじゃねえよ、と文句を言いかけたあたしだったが、ふと大切なことを思い出して、慌ててマオリの背に声をかけた。
「おい、ショウ・フエスさん来たら教えろよ!」
「は? ショウ……何すか?」
振り返ったマオリが、不思議そうな顔をする。何だか嫌な予感がした。こういうのは当たるんだよね!
「クライゼ様、ようこそ。お久しぶりです」
あたしがマオリに問い質そうとしかけたところに現れたのは――柔らかなウエーブヘアを無造作に流した、これまた男フェロモン満開の男。
誰だ、こいつ。どっかで会ったか? いや、記憶にないな。
あたしが嫌味なくらいに、お前なんか知らんオーラを出しまくってみせると、そいつは笑顔で答えを教えてくれた。
「もう覚えていらっしゃらないかな? 野鳥頭、山に還してやるって公開殺人宣言されてから。」
「ああ、あの時の! 胡散臭さ大爆発だった、クソお節介野郎!」
「思い出していただけて、光栄です。お忘れになっていらっしゃるようですので、もう一度自己紹介させていただきますね。グラズヘイム、オーナーのカミューゼル・シファーです」
カミューゼル・シファー! そうそう、そんなような名前だったわ!
そのシファーとやらの背後で、何故かマオリが頭を抱えている。
「姉さん、オーナーにまでそんなこと言ったんですか? ありえなさすぎのすさまじすぎですよ……もう」
「大丈夫大丈夫、気にしてないから。ほらマオリ、仕事に戻って。今日は忙しいんだから」
「す、すみません! では失礼します」
マオリは急に真剣な眼差しになって、きちんと礼をして戻って行った。ふうん、ああやってると人気キャストってのもわからなくもなくもないな。
「すみませんね。毎度ながら、この時ばかりは慌ただしくて。あ、遅れて申し訳ない。飲み物はどうされます?」
あたしは財布の中身を思い出してから頷いて、きっぱり言った。
「水でオナシャス」
シファーは目を丸くして、一瞬間を置いてから笑いだした。
「ああ、気にしなくていいから。アイのお姉さんですし、頑張って奢らせてもらいますよ」
あら、第一印象がイマイチだった割には、なかなかいい奴なんじゃない?
しかし、運命の出会いの前に飲んだくれるわけにはいかないよな。
「じゃ、おまかせで」
おお! 我ながら素敵な台詞を吐けたんじゃないか?
やるじゃん、エイル・クライゼ!
カッコいいぞ、エイル・クライゼ!
なんて、自画自賛してる場合じゃない!!
「ねえ、シファー……さんは、ショウ・フエスさんと仲良し?」
「ショウ・フエスさん?」
飲み物をオーダーして席に着いたシファーが、きょとんとして尋ね返す。
おいおい、オーナーのシファーも知らないんだったら、こりゃさすがに嘘だろ。ふうん、アインス君、そんなに殺されたいのかなあ?
「ショウ・フエスさん、やっぱ知らない? アインスがあたしとショウ・フエスはお似合いだって言ってたから、まあ顔は大したことないかもしんない。でも、何かカリスマみたいな感じですごい人なんだって」
殺人もとい殺猿にあたり、その動機付けの最終確認のため、あたしは詳しい説明を試みた。これで知らないなどと言われたら、あの猿、今度という今度こそ許さん!
シファーは考え込むように顎先に手を当てて俯き、暫くしてから顔を上げて笑った。
「ショウ・フエスね、うん仲良しだよ。もう来てるかな? でもまあ……忙しい奴だから、ゆっくり待ってて」
あたしはシファーの言葉に安心した。アインス君、嘘ついてたわけじゃなかったのね……疑ったりしてごめんよ。
うわあ、ショウ・フエスさん、もう来てるのか!
ボトルとグラスと氷がテーブルに運ばれると、あたしは逸る気持ちを抑えきれず、ニヤつきながらシファーと乾杯した。
そのグラスのぶつかる繊細な音が合図だったかのように、吹き抜けの照明と音楽がフェードアウトした。
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