30.猿による女子力向上支援

 さて、今度こそ服だと気合を入れたのに、次はコスメだと聞かされ、あたしは脱力してしまった。


 服だけのつもりだったから、そんなお金持ってきてないよ……トホホ。


 けどアインス曰く、大人の女性なら、最低限のメイクくらいきちんとするのはマナーだとのこと。


 戦に挑む相手は、恐らく百戦錬磨と思われるショウ・フエスさんだ。数々の女を見てきているだろうし、審美眼が磨かれているに違いない。争奪戦は必須、あたしも根本の女子力を高めねばこの戦闘に勝ち目はない。


 足りない分はアインスが出してくれるというので、あたしは有名人御用達というコスメブランド店に足を踏み入れた。


 お洒落な椅子に座らされ、肌色と顔立ちと雰囲気に合うカラーをあれこれ試すこと一時間――ゴールドをベースにした、ミステリアスな大人レディなるものがようやく完成した。



「ええと……これだと、吊り目、強調されすぎじゃない? 何か、きつく見える気がするんだけど……」



 鏡に映る自分は自分じゃないみたいで、改造計画並みの変貌に面食らいながら、あたしは隣に立つアインスに尋ねた。


「いいじゃん、深い意志を秘めた芯の強い女性って感じで。エイルは自分の吊り目、あんまり気に入ってないみたいけどさ、他にはない武器だと思うよ? 下手に隠すより、思い切って強調した方がカッコイイって!」


「そう? そうかな……そうかも……そうだな! よし、じゃあこれでいこう!」


 ベースやらファンデやらパウダーやらも合わせると、合計五万ゴールド超え……。服買う金がないと肩を落としかけたけれど、アインスが半分払ってくれることになった。


 イエーイ! 持つべきはグラズヘイムで荒稼ぎしてる猿……いや、弟だぜ!!


 ありがとうありがとうありがとうありがとうとウザいくらいに礼を言ってから、次なる店へ。いよいよメインの服だ。


 しかし、これは想像以上に早く決まった。アインスが、最初から目をつけていてくれたそうで。


 ところが、三階にあると言って連れられたのは、あたしですら聞いたことのある有名高級ブランドショップ。


 いやいやいやいや! 待って待って待って待って!

 あたしの手持ちじゃ、このお店のキーホルダーすら買えませんって!!


 気が遠くなりかけたあたしに、アインスは金なら気にすんなと笑いかけた。


 マジか……グラズヘイムって儲かるんだな。今の仕事クビにされたら、あたしも雇ってもらおうかな?


 と、どうでもいいことを考えて戦々恐々とした気分を紛らわせつつ、あたしはアインスに促されて敵陣に侵入した。


 内部は照明も陳列も洗練し尽くされた雰囲気で、古着のTシャツとデニムという情けない戦闘服姿のあたしは、地雷を踏まないように怯えながらアインスの後についていくだけで精一杯だった。


 すると、見るからに紳士って感じの紳士店員がさりげなく現れた! 怖い!


 ハゲージャーも紳士風だけど、こちらはふっさりと髪がある! 怖い!


 柔らかな口調で、嫌味なく商品の説明がされる! 怖い!


 小兎みたいに怯えて震えるあたしに代わり、お猿様があれこれサイズやらカラーやらの注文をしてくれた。


 幾つかのドレスにダメ出しをして、やっとアインスのお眼鏡に叶うものが見付かったようで、ついにあたしは試着室という名の絞首台に上らされてしまった。



 これは…………最っ高に、怖い!



 化粧がつかないようにクロスとかいう被り物を駆使して何とか着替えたものの、外に出る勇気が出やしない。


 くそ、こんなとこ連れて来やがって。めちゃくちゃ緊張するじゃねえか、猿め!


「おっせえな! ウ○コでもしてんのかよ、チビッコ筋肉マン!」


 うおあああ!

 こいつ、こんなとこで何てこと言いやがるんだあああ!!


 あたしはカーテンを一気に開くと、外で待っていた猿の顎目掛けて、鋭いハイキックを見舞った。しかし躱される。くそ、身軽な猿め!


「うわ、すげえ……」


 ハイキックの話ではなく服の話だとわかると、あたしは急に恥ずかしくなってしょんぼりしてしまった。


「何か……エイルじゃないみたい。俺の想像以上なんだけど」


 何だよ、想像以上って。良いのかよ悪いのかよ。

 スカートなんて、数年履いてないよ。ひらひらしててスースーしてて、落ち着かなくて恥ずかしいよ。



「その、何だ、正直に言ってくれて構わないんだけどな……に、似合ってる、のか?」



 恐る恐るアインスの目を見ると、奴は猿の玩具そのものみたいに何回も頷いた。背後で待機していた、紳士店員も穏やかに微笑む。


 そこであたしはようやく安堵の息を吐き出し、背筋を伸ばした。ついでにくるりと回ってみせる。するとダークバイオレットのドレスの裾が、空気を含んで柔らかに膨らみ、そよ風のように流れた。


「うわあい、おっもしろいなあ! これぞ女の特権てやつだね!」


 目が点になる二人をそっちのけでくるくる何回転もしていると、ふと、全身が映る姿見が目に入った。


 ホルターネックタイプになった背中には――過去の栄光を嘆く、傷んだ翼。


 ちょ……丸見えですやん!


「いか〜ん! アインス、これは駄目無理! 背中見えてんじゃん!」


「何で? いいじゃん、別に隠すもんじゃねーし」


「そりゃ、お前みたいな穴あけマニアからすりゃそうかもしれないけど!」


「穴あけマニアぁ? これは成長の証だっつってんだろ!」


 剥き出しの皮膚に穿たれた金属を指差して猿が吠えるが、知ったこっちゃねえ!


「ワンポイントの入墨ならまだしも、これは普通に引くだろ! だって、認定印崩れだよ!? こんなの背中にある女、誰がもらってくれるんだよ!!」


「いえ、素敵ですよ」


 優しく割り入ってきた紳士の声に、あたしはアインスに掴み掛かったまま固まった。


「事情は存じ上げませんが、貴方様の生きた証なのでしょう? それを否定する方など、こちらから願い下げておやりなさい。何でしたら、良からぬ相手を識別してくれるお守りだとお思いになってはいかがでしょうか?」


「そうそう! そんなの気にするような器のちっせえ奴なんざ、さっきみたいにハイキックで蹴散らしちゃえよ。ショウ・フエス……なら、そんくらい余裕で受け容れてくれるし!」


 紳士店員の穏やかな微笑とチビ猿のバカ笑いに後押しされて、あたしはそのワンピと一応の保険にシフォン素材のショールボレロ、そしてゴールドのアクセにバッグにミュールまでお買い上げした。勿論、お見立てした張本人に支払いを任せて。


 来たついでとばかりに、あたしは普段着になりそうな服をアインスにいくつか見繕ってもらって購入した。だって、出会って恋に落ちて、さあデート……となったら困るじゃん? 着てく服ないからって、お断りするわけにいかないじゃん?


 こうしてお買い物は終了。


 アドバイスをくれた上に散々金を出してもらったお礼としてはささやかすぎるけれど、あたしはアインスに夕飯を奢ってやることにした。

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