28.ダブルセブン・ディスティニー

 電話を終えてリビングを振り返ると、アインスの姿はなかった。出て行ったのではなく、シャワーを浴びに行っただけらしい。


 その間に、あたしは除菌スプレーと消臭スプレーの二刀流でソファを念入りに消毒した。


 くそ、このソファ高かったのに、場所も弁えずやり狂いやがって!


 自慢じゃないし当たり前だけど、生であんなもん見るのは初めてだったんだぞ!



 経験すらない乙女には厳しすぎる映像は、はっきりくっきり動画として頭に刻み付けられてしまっていて――うえ、思い出したらまた気分悪くなってきた。


 あたしはあらゆる細菌を皆殺しにする勢いで、スプレーを吹きつけてクロスで擦りまくった。



「…………エイル、何やってんの?」


「見りゃわかんだろ、大切なソファをきれいにしてるの。どっかの獣が、こんなとこで交尾するから」


「ふうん、そりゃ大変っすね」


 他人事みたいに笑う年中無休発情中に、あたしは空になったスプレーを投げ付けた。


「笑い事じゃねえ! 連れ込むのは構わないけど、邪魔にならないならって約束だったろ、低能発情猿! やるなら自分の部屋か山でやれ! それと!」


 あたしはさらにもういっちょ、使いきったスプレーボトルを投げ付けた。


「連れ込むならもっとマシな声出す奴にしろ! あれじゃ、捨てられて飼い主求めて彷徨い歩く可哀想な犬だ!」


 アインスは二つのスプレーボトルを手にして頷いてから、ワンテンポ遅れて吹き出した。


「犬! 確かに! わかった、もうアレは連れ込まねえよ」


「負傷しつつも闘志だけは失っていない猫ってのもナシだからな」


 あたしの言葉がまたツボにハマったらしい。アインスは声にならない声を上げて、激しく笑い転げた。



 ツボ押しによる笑いの効能で猿が悶えている間に、あたしはコーヒーを淹れた。渋々のしゃーなしで、アインスの分もカップに注いで持っていってやる。だって、あたしのせいで仕事休ませちゃったからね。


 テーブルにカップを置くと、アインスは笑いすぎて涙で潤んだブルーグレーの目をこすりつつ、ため息をついた。


「やっぱ、エイルといるとおっもしろいなあ。ショーフェスも楽しかったけど、ずば抜けてエイルの方が面白えわ」


「誰、ショウ・フエスって。仕事仲間?」


 真顔で聞いたのに、アインスは盛大にコーヒーを吹き出した。


「きったねえな! かかったろ!」


 怒鳴ってみたものの、アインスはまたフローリングで悶絶していて、聞いていないようだった。


 何こいつ、意味わかんない。あんまり笑い転げて回るから、テーブルの足に頭をぶつけやがってるし。


「すげえ! エイル、最高!」


 何がすごいのかわからないけど、相手が猿でも褒められれば嬉しい。やっとあたしの素晴らしさがわかったかと頷いていると、アインスが飛び起きた。


「そうだ! エイルとショーフェスって、よく考えりゃ最強の組み合わせじゃね!?」


「は? あたしに聞くな。ショウ・フエスなんて奴、会ったこともないんだからわかんねえよ」


 アインスがまた仰け反って笑う。


 何かバカにされてない? 軽く腹立ってきた。


「悪い悪い、怒んなって。じゃ紹介してやるよ、その、何だ、ショウ・フエス……を……」


 何が面白いんだか知らないけど、自分で言って自分で笑ってりゃ世話ないよ。猿のツボはよくわからん。



 あたしは猿笑いの合間から語られた情報で、ショウ・フエスという奴の人物像を頭の中で作り上げた。



 ショウ・フエス。年齢不詳、どんな美女美男子よりも魅力的で精力的。老若男女を魅了し、全国で奴を知らないものはなかなかいない有名人。優しく美しく、時に荒々しく激しく、人々の心を揺さぶり掴み続ける、時の人。


 ただ、ちょっと気分屋なとこがたまに傷。


 アインスも最近知り合ったばかりで、素性はよく知らないらしい。でも一時触れ合っただけでその素晴らしさを思い知り、感動したってんだから、これ、かなりレベル高い相手なんじゃない?


 あたしは俄然わくわくしてきた。


 三十路前に、年齢イコール恋人不在歴に終止符を打つ大チャンス、キタコレ!


 見た目については聞かなかった。だって、あたし面食いじゃないもん。顔だけが取り柄の極悪を間近で見てりゃ、首なんかついてりゃいいって気にもなるだろ。


 要は中身! 中身が素敵な人がいい!


 ショウ・フエスなる御方は、それを軽々クリアした、いわば理想的の人物のように思えた。



「ねえ、アインス! いつ紹介してくれんの、ショウ・フエスさんに! あたし、やる気全開だよ!」


 アインスは笑いを堪えながら、答えた。


「慌てんなって。そうだなあ、明後日がいいかな」


 あたしは壁にかかっているカレンダーを見た――明後日は、七月七日。


 ラッキーセブン、ダブルでキタコレ!


 いい!

 出会いの日を覚えやすくていい!

 記念日祝う時に忘れなくていい!


「明後日ね、了解! うわあ、楽しみだなあ。何着てこ? 髪とかも何かした方がいいかな? おいアインス、ショウ・フエスさんはどういうのが好みなんだ? 教えろ!」


 アインスはもう笑いの虫が治まったらしく、呆れたみたいにうんざりした顔をしていた。


「すっげえがっつきようだな、どっちが猿だよ? ていうかさ、七月七日が何の日か、覚えてないわけ?」


「ダブルラッキーセブンに祝福されたあたしの運命の日」


 手短に即答したら、アインスはため息をついてあたしの肩に手を置いてわざとらしく笑った。



「エイルちゃぁん、まさか可愛い弟分の誕生日、忘れたわけじゃないよねえ?」



 うわやべ、そうだった。どうでもいいから、忘れてたよ。


 そうか、こいつもついに二十歳になるんだな。



 出会ってから十五年――天国のアインスの母上、オルディン、喜んでますか?


 傷だらけで陰欝な目をしていた少年は、今やその面影もなく、パッパラパーのちんちくりんの能天気バカになってしまいましたよ。


 さぞ楽しいでしょうね、こんなバカを上から見下ろして笑ってるだけでいいんですから。


 あたしは恨みますよ。いつかそこへいく日があれば、絶対に殴り倒してさしあげますからね。



 両手を組んで祈り、というより呪いを捧げていると、背後から組みついたバカ猿がまた肩固めをかましてきやがった!


「うげっ! んがっ! もうこれやんないっつったのに! 嘘つきい!」


「俺の誕生日、忘れてるエイルが悪い! 記憶力すら衰えたか? 甘えん坊やってる場合じゃねえだろ、三十路筋肉バカ!」


「ほざけ、エロ猿! 至る所で発情しやがる節操なしの分際で! 居候って立場弁えろ! この公衆下半身露出狂!」


「んだとブス! 相手いねえからって、僻んでんじゃねえよ! ならショーフェスの話はナシな! こんな獰猛な筋肉バカ、連れていけるか!」


 その瞬間あたしはぴたり、と口を閉じた。


 糸が切れたように静かになったあたしに、アインスが鬼の首を取ったとばかりに畳み掛ける。


「あれぇエイルちゃん、もう毒は吐き尽くしちゃったんですかぁ? そりゃ良かったですねぇ。そうやっておとなしくしてりゃ、女に見えなくもないですよぅ?」


うおお、ムカつく! 腹立つ! 殴りたい!


「そうそう、やっぱり男って、女らしい女性が好きだからねぇ。今から練習しとくのもいいんじゃねえの? 付け焼き刃でも、やんないよりはマシだもんなぁ?」


 腕を絡めたまま、至近距離で笑うアインスを横目にしながら、あたしはぶつけられない拳を握り締めて堪えるしかできなかった。

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