【距離:再び接近】物理的に離れても安心感があるレベル

27.王者復活

 翌日――昼前に目覚めてみれば、さすがはあたし!


 体調、完全復活! 


 指先にまで詰まっていた砂が抜け落ちたみたいに身体は軽くて、ついでに頭も軽い。軽すぎて目眩がするくらいに軽い!


 ベッドから飛び降りてカーテンを開くと、初夏の強い陽射しが部屋に満ちる。痛いくらいに眩しい光を体中に浴びると、光合成する植物みたいに気持ちが明るくなって、あたしは笑顔で跳ね回った。


 まずはロンダート一発、ついでにバック転、またまたロンダート、そして前方宙返り、さらにムーンサルト!

 うっしゃ、決まったあ!!



「……んだよ、るせえなぁ」



 不機嫌そうなお猿さんが、ベッドから身を起こす。


 あ? こいつ、何で人のベッドで寝くさっとるんじゃ?


 …………と殺意が芽生えかけたところで、そういや看病してもらったんだったと思い出した。


「キング・エイル、完全復活の儀式だ! もうバリバリ元気のモリモリ元気だぜ!」


 なのでお礼代わりに、半袖Tシャツをめくり上げて自慢の力こぶを見せつけ、全快をアピールする。ところがアインスは呆れたようにため息をつきやがった。


「ああ、そうすか。ったく、俺の方が看病疲れでぐったりですわ」

「頼んでないのに勝手にやったんだから、好意の親切ってやつだろ。当て付けがましい奴だな」


 寝起きで不機嫌な猿など構ってらんない。あたしは意気揚々と、凱旋入浴に向かった。


 熱いお湯で体中にこびりつく汗の残滓を隅々まで洗い流しせば、気分爽快。


 さっぱりすっきりしてリビングに戻ると、てっきり二度寝してるかと思っていたアインスがソファで待ち受けていた。


「本当にもう大丈夫なわけ?」


 ミネラルウォーターを口にしながら、あたしは元気よく頷いた。が、この勢いで水が器官に入ってしまったではないか!

 盛大に噎せるあたしを見て、アインスは大笑いした。


「んだよ、早え復活だなあ。心配して損した」

「し、じ、じし心配してくれなんて頼んでないし!」

「可愛くねえなあ。あ〜あ、熱出してる時は可愛かったのに」


 こここ、こいつ、それを言うか!?


 あれは熱のせいだっての。あああっ、こんなバカ猿にあんな恥ずかしいところを見られるなんて!

 悔しい、悔しすぎる!!


「抱っこしてとか言って泣いてさあ、小さく丸まってしがみついてきて。三十路になろうってのに甘えっこしちゃってえ」


「うわあああ! 聞きたくない聞きたくない聞きたくない!」


 あたしは必死に耳を押さえて、アインスの声を塞ごうとした。しかし、奴はチャンスとばかりに蹲るあたしに覆い被さり、耳元に口を寄せて、昨夜の情けない発言を暴露しまくる。


「傍にいて、一人にしないで、寂しくて死んじゃう~とか言ってさあ。トイレにも行かせてくれなくて、危うく膀胱炎なるとこだったよ。泣いて泣いて、鼻水まで垂らして、どこのガキだっての!」


 もう我慢できん!


 あたしは背後から抱きついて笑うアインスに、後頭部でヘッドバットを食らわせた。


「この野郎! 記憶をなくしてしまえ!」


 さらに馬乗りになって、徹底的に頭を拳で殴りまくる。


「いてっ、痛えって! バカになんだろ!」


「それ以上バカになるもんか! 忘れたか!? 忘れたか!? ええ!?」


「忘れた忘れた! 忘れたからやめろっての! マジ痛えから!」


 ほんとかよ、と一旦手を止めた隙にアインスは乗っかってるあたしを蹴倒した。


「でっ!」


 引っ繰り返って頭をぶつけてピヨピヨしてると、腰を抱き回して絞め上げ!


 これは……っ、苦しい!

 お互いチビでも一応男女って違いがあるんだから、体格差ってもんを考えろ! 卑怯者め!


「忘れないよぅ。忘れるわけないじゃん? あんなガキみてえになってるエイルなんて、そうは見れないしぃ?」


「やかましい! 黙れ、猿! 離せ、猿!」


 ベアプレスならぬモンキープレスを食らって必死に藻掻くあたしに、アインスは嫌な笑いをくちびるに浮かべてみせた。


「しっかし、相変わらず細い腰してんなあ。でもやっぱ、鍛えてただけあって固え! ウエストのサイズ幾つ? ついでにヒップも聞いちゃうかな。仕方ないから、バストも聞いてやるよ!」


 あたしは泣く泣くスリーサイズを白状させられ、やっと解放してもらえた。


 嗚呼、なんて不幸で可哀想なあたし……。


 ちくしょう、バカ力のバカ頭のバカ猿め! さっさと仕事に行きやがれ!


 ん? 仕事?

 ……って、そういえば仕事!!



「……ああっ! キタセンに欠勤の電話! すっかり忘れてた!」



 乙女っぽく床に崩れて嘆きのポーズを決めてたあたしは、大変なことに気付いてバネ仕掛けのびっくり箱みたいに跳ね起きた。


「それなら電話かかってきてたから、俺、出た。休むって伝えといたし大丈夫」


「おお、助かった! 猿にしては気が利くじゃん!」


「でも、まさかこんなに早く回復すると思わなかったから、今週いっぱい休むって言っちゃったよ。まずかったかな?」


 前言撤回!

 やっぱりこいつは猿以下の鳥頭だ!


「まずいに決まってんだろ、バカっ! 今日まだ火曜日なんだぞ!? クビになったらどうしてくれんだ、猿鳥犬猪!」


「血まで吐いてりゃ、誰だって伝染病か何かだと思うだろ! 病み上がりはおとなしく寝とけ、三十路甘えん坊!」


「それを言うなああ!」


 また耳を塞いで蹲りかけたけど――あたしのバカバカ、こんなことしてる場合じゃないだろ!


 すぐに連絡して、明日から出勤するって伝えねば!


 慌てて電話機に向かってダッシュして、受話器を掴んだ途端――マネージャーの顔を思い出して、波が引くように気持ちが冷めた。


 柔らかな真綿で優しく首を絞めるような懇願を、少しの間だけでも聞かなくていいなら、それに甘んじたい。ゆっくり考える時間を取れれば、冷静になって結論を導き出せるかもしれない。


 あたしはファランの自宅の電話に、迷惑かけてすまん、とだけ留守録を残して、受話器を置いた。

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