10.失えど戻らず、嘆けど還らず
「ではまず、身分証明書の提示と認証確認をお願いします」
女性職員の言葉に従い、あたしは財布からIDカードを取り出して、指紋認証機に手を置いた。
他国に比べていろいろと遅れているマーブルとはいえ、役場を始めとする一区にだけは最新設備が揃っている。
マジナ界中央国家『マカナ』が全国に強制配布なさるからだ。
マジナのちょうど中央に聳える巨大な塔『マカナ』は、それ自体が一つの国であり、内部には政府の機関やら軍隊やらが存在していて、関係者達が家族と共に暮らしている。
あたしも前職の関連で何度か行ったことあるけど、本当にマーブルと同じ世界なのかってくらい超進化してて、見たことない店やら何に使うのかもわからない品物やらに溢れてた。正直、マギアに初めて行った時よりぶったまげたもんだよ。ていうか、マギアって意外と何もないからね。
久々に触れる何かすごいメカに、何かすごかったマカナを思い出して感慨に耽っていると、女性職員は機械で読み取ったあたしの経歴の確認に移った。
「ええと、エイル・クライゼさん、ですね。所持している技能は『マギア語検定一級』『世界地理学博士号』『世界生物学博士号』『総合格闘技能A級』『武器取扱技能A級』……」
アインスのマジナ居住届と魔法使用許可証を申請するためには、何よりマジナでの身元保証人が必要となるらしい。
持つべきは資格と金持ちの血統というように、就職と役場の手続きに関してはそのどちらかを持っていればいろいろと捗るのだ。
母さんがアインスをあたしに押し付けたのは、このせいもあるに違いない。資格の取得数に関しては、自信がある。母さんが持ってる『アンダーウエア・フィッティング検定三級』だけじゃ、心もとないもんな。
「『生物医療免許』、そして世界公認技能の『特級ハンター免許』『メディカルハンター免許』……以上ですね」
数十種類もある資格をいちいち全部読み上げるのは、非常に面倒だったことだろう。ごめんな、仕方ないんだよ。『メディカルハンター』はそんだけの技能取得して、やっと受験資格が与えられるラスボス的な存在だからさ。
あたしは自分より年下と思われる女性の労をねぎらい、大きく頷いてみせた。
「失礼ですが、経歴によると今のお仕事はメディカルハンターではないようですが……」
「怪我して辞めました。必要なら病歴を参照して下さい」
もう吹っ切れたと思っていたのに、言葉に出すとちくりと胸が痛んだ。胸と連動して、左肩肩甲骨もしくりと悲しく疼いた。
「かしこまりました。確認し次第すぐにご要望の件を申請いたしますので、もう少々お待ち下さい」
女職員に促され、あたしは席を立って待合所にいるアインスの元へ向かった。
すると、奴もやけに暗い顔をしている。
「どうした? 何か問題でもあった?」
あたしが隣に座ると、アインスは俯いたまま、ぎゅっと手を握ってきた。
「オルディンのこと、思い出して…………役所の人と一緒に書類確認したらさ、当たり前だけどオルディンの名前のとこにバツ印ついてたんだ。オルディン・エスト・レガリアはこの世にいないんだなって……そう思ったら、胸が苦しくなって。もう、三ヶ月になるのにな」
オルディン・エスト・レガリアは、アインスの実の祖父だ。
オルディンの息子であるアインスの実父は、今も行方知れず。妊娠発覚前に消えたというから、アインスという子がいることすら知らないだろう。
けれど無責任な父親に代わり、祖父である彼はアインスの引き取りを申し出てくれた。
マジナに居住が許されない『マギア特級禁種』だと判明したアインスは、あたし達と暮らすことが許されなかった。血が繋がっていなくても家族なんだとどれだけ訴えても、これだけはどうしようもなかった。
親族が見つからなかった場合はマギアで里親を探すか、施設に入れるか、という状況の中、救いの手を差し伸べてくれたのがオルディンだ。
『心配しなくても大丈夫だよ。私は君達からアインスを奪うわけじゃない。彼を幸せにするための手助けをするだけだ。アインスを愛し慈しみ育てる、そんな君達家族に、私も仲間入りさせてほしい』
初めて会った時にあたし達に向けられた、オルディンの柔和な笑みを思い出す。
白く立派な髭とふくよかで大きな体をした、絵本に出てくる正直者の老人そのまんまって感じのじいさんだった。
でも彼は『魔族』に属する者であり、マジナどころかマギアでも暮らす場所が限られた種族なのだと、あたし達に素直に打ち明けた。
優しそうに見えて、実は超怖いのか? と思っていたらそれも違って、アインスが言うに『何をしても怒らない。いつも笑って許してくれる。いつも自分の味方でいてくれる。魔族だなんて信じられないくらい穏やかで優しくて、でも芯の通った最高で最強のジジイ』だったそうだ。
嘘つけ、と疑ってたけど、一度だけマジナの彼の館に訪れた時に、それが本当だと知った。
『アインスはとても良い子だよ。たまに無茶をして私を困らせることもあるけれど、理由のない暴挙に出ることはない。しっかりと自分自身の正義を持っている。こんな素敵な子に育ったのは、君達家族のおかげだ』
そう言って優しく微笑んだオルディンは、アインスの言った通り、もうこの世にいない。三ヶ月前――二月の終わり頃に亡くなった。
そのため、唯一の肉親として傍にいたアインスは葬儀やら相続やらに追われて、マジナ歴三月初日から七月末までに開始しなくちゃならないマドケン実技試験にギリギリ駆け込めるかといった状態だったはずだったんだけど――。
「こんなに早くマジナに来られたのも、オルディンのおかげなんだ。オルディンが、全部手続きしておいてくれてたから。俺を困らせないように、俺がマジナに早く行けるように、夢だった一級魔道士になれるように、って」
最後の最期まで、孫バカだったらしい。
あたしはアインスの手を強く握り返して、反対側の手で頭をわしわしと撫でてやった。
「だったら、意地でも受かんないとな! オルディンのためにも、あたしのためにも。ジジイ泣かせて美女まで幻滅させるような真似、すんじゃねえぞ」
「ちょ、痛いっての! どさくさ紛れに美女とか言ってんじゃねえよ、メガネブス」
言ってろ言ってろ。頭撫でられたくらいで照れてるくせに。
一生懸命目ぇ逸らして誤魔化そうとしたって、エイルお姉様は欺けませんわよ?
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