6.姉キレれば弟も逆ギレす
整理整頓が一段落したところで、あたしはアインスを連れて、一番近くにある二十四時間営業のフリーストアに出かけた。食料を買うついでに、歯ブラシやらボディタオルやら必要なものを調達するためだ。
レジ待ちしていると、背後にいたアインスが、何故か無料求人誌を大量に抱えていて――――瞬時にその意味を理解したあたしは、店内であるにも関わらず奴に掴み掛かった。
「やってくれたな、てめえ」
「あら、エイルさんが悪いんですのよ。いつまでもグズグズごねてらっしゃるから」
仕事が決まったとか、嘘だったのかよ!
とんだクソガキだ、許せん! 成敗してくれる!
思うが早いか、あたしはアインスの頭を怒り任せの力任せにぶっ叩いた。
「ってえな! 何だよ、ブス!」
これはこれはまた、言ってはいけないことを言いましたね。
もうね、逆鱗に触れるどころの騒ぎじゃないですよ、ええ。
頭にきたあたしは、もう一発くれてやった。すると逆ギレしたアインスが、あたしの頭を叩き返してきたではないか!
生意気な!
また叩く。返される。叩く。返される。
…………いかん、こいつほんとムカつく。ダメだ、完全に切れた!
「てめえ、アインス、表出ろ!その腐り切った根性、叩き直してやる!」
「上等だ、メガネブス! 今より見れねえ顔にされて泣くんじゃねえぞ!」
店の出入口付近からもつれるようにして、あたしとアインスは外に転げ出た。
先手必勝とばかりに、あたしは奴に平手打ちをかました。が、すぐに叩き返される。
嫁入り前だぞ、この野郎!
ならば、お次は拳だ。
と思ったけど、リーチに差がある。てことで、やり返そうと伸びた奴の左腕に右腕を絡ませて、肘折りに変更した。
アインス、悶絶!
けれど嘲笑う間もなく、腹に蹴りが入る。思わぬ鳩尾への衝撃に、あたしは手を離して蹲った。
しかし!
ただで起きないのが、あたし、エイル・クライゼだ。
蹲った体勢から、そのまま倒立前転して踵落とし!
ところが相手も同じタイミングで、バック転からのキック!
二人の足が空中で激しく衝突する。あたしとアインスは互いにダメージを与えられないまま、揃ってコンクリートに叩きつけられた。
「ってて……」
女子供は衝撃に弱い。クラクラする頭を押さえながら、それでもあたしは殺気を感じて、横へ転がり逸れた。
するとあたしがいた場所に、アインスが飛んで落ちてきた。か弱い女性相手に飛び技かますとは、本当に見下げた外道だぜ。
だがな、成功すればかなりの殺傷力だけど、失敗すれば目も当てられない。ましてやここはリングじゃない、コンクリートだ。
勝敗有り、神はあたしに味方した!
半月板を強打した激痛にのたうつアインスに引導を渡すべく、あたしは俯せる奴の身体を足で押さえ込むと、腕を取って裏十字をがっちり極めた。
「いだだだだっ! 痛っ痛い痛い痛い!」
「泣け! 喚け! あたしに許しを乞えぇぇい!」
「ごめんなさい! すいません! エイルは可愛い!いやマジ最高っす! だから勘弁して!」
「するかボケえ! まだまだこんなもんじゃ済まさねえぞ!」
「い~ったたたっ! 無理無理! ギブアップギブアップ!」
「格の違いがわかったか! あたしに楯突こうなんざ十年早いんじゃ!」
「わかった! よくわかったから!」
よし、今がチャンスだ!
「そうか、わかったか! ならあたしん家から出てけ! すぐに出てけ! とにかく出てけ!」
ここぞとばかりに我が家からの退却を命じると――のたうち回っていたアインスの動きが止まった。
あれ、気絶した?
足を緩めようとしたけれど、アインスの次の言葉がそれを止めた。
「やだ。仕事は決めるけど、出てかない」
「んだと、この猿!」
あたしはまた、腕に力を込めた。アインスの身体が苦痛にのたうつ。
「出てけ! 消え失せろ!」
「だだっ! 痛いって!」
「じゃあ出てくと言え! 誓え!」
「嫌だっつうの! 絶対出てかない!」
「出てけ!」
「出てかない!」
「出てけ!」
「出てかない!」
アインスは諦めない。必死に粘る。一つ頷くだけでこの苦痛から解放されるというのに、それでも頑として首を縦に振らない。
こいつ、腕折られても出てかないとか言うんじゃないだろうな……?
末恐ろしくなってきたところで、不意に背後から肩を叩かれた。
振り向けば、白いスーツを着た若いお兄さんが哀れみを込めた笑顔で立っている。
更にその後ろには、騒ぎを聞き付けて集まった野次馬達の姿が多数。チッ、暇人どもが。
「部外者なのにすみません。事情はよくわからないですけれど、もう許してあげてもいいんじゃないですか? 彼も反省してるようですし」
反省だけなら猿でもできるが、こいつはそれすらできない野生のバカ猿なんだよ!
……と噛み付く前に、アインスはあたしの力が緩んだ隙をついて逃れ、関節を極められまくった肘をあたしの踵にフックしてきた。
あ、やばいと思ったが時既に遅し、形勢逆転!
今度は、ヒールホールドを食らわされたあたしが悶絶する番だった。
「ぎゃああぁっ! てっだっだっ!」
「出てかねえっつってんだろ! いい加減諦めやがれ!」
「絶対に諦めるもんかぁぁぁででで!」
「膝痛めたら走れなくなりますよぅ? エイルさぁん」
それは嫌だ。
でもお猿の飼育はもっと嫌だ。
あたしは涙目になりながら、白スーツを睨み付けた。
「なぁにぃが、反省してるようですしぃ〜、だ! バカ野郎! これのどこが反省してんだよ、ええ!? 色気づいた野鳥みてえな頭しやがって! どうせ交尾相手のメス探しのことしか考えてねえんだろ! そこにいるてめえらも、全員ブチのめして山に還してやるからな!!」
「俺の命の恩人に、なんつう口の聞き方してんだよ。あ、お兄さん助かりましたあ。ありがとね!」
白スーツの野鳥頭は一瞬ポカンとした顔をしたけれど、すぐに吹き出した。そして、今度はアインスの肩を叩く。
「はいはい、君ももうやめなさいね。相手は一応、女性なんだから」
一応って何だよ!
と突っ込みたかったけれど、どうやら助けてくれようとしているらしいから、何とか飲み込んだ。
「喧嘩の原因は何? 見たところ似てないけど……姉弟、なのかな?」
やってることはガキの姉弟喧嘩、しかし片や典型的な人間女子、片やエルフの特徴が際立つ少年。
エルフの遺伝子はハーフでもなかなか受け継がれにくいもんだけど、顔面もまるで似てないんだからお兄さんが悩むのもわかる。
アインスは取り敢えず、力を緩めてくれた。しかし、あたしの二の舞を踏まないよう、抜け出せる隙は作らずに、お兄さんの質問に答えた。
「まあ……そんなもんかな。俺、今日からコレと住むことになったんだけど」
「コレとは何だ! エテ公!」
跳ね起きようとして、また膝の激痛に倒れる。ああ、不様すぎだ。
「こんな感じで。さらに仕事も決まってないから、ブチ切れられちゃって」
野次馬どもの笑い声が、地面を通じて耳に響いた。すごくムカつくんですけど。
関節をがっつり極められたままむくれてるあたしに、アインスは猫なで声で囁いた。
「ねえエイル、仕事なんて明日中に見つけるからさぁ、そんな怒んないでよぅ」
「パッパラパーのお前が、何やるってんだよ?」
「レストランとかスーパーとか、いろいろあるじゃん。あ、ここ雇ってくれないかな? 近くて便利!」
「今募集してないよ、兄ちゃん」
いつの間にやら野次馬に混じっていたストアの店長が、笑いながらアインスに告げる。
「あ、マギア語の先生とか良くね?」
「やめろ。シータ・スラングばりばりの下品な言語を教えてどうすんだよ。役に立たないだろ」
「じゃ、もうこれしかないな。魔道講師!」
「バカッ! こっちは魔法使える奴いねえんだよ! んなことも忘れたか、アンポンタンのウッキッキー!!」
「あああ、そっかぁ……マジナの人は魔法使えないんだよなぁ……どうしよう…………」
今更真剣に悩むアインスに心底呆れていると――野次馬と一緒に笑っていた白スーツが、助け舟を出してきた。
「仕事探してるなら、俺が紹介しようか?」
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