超訳(二)

 兄貴は公平な人だ。軍を統括するに当たって、ルールに厳しくて、表彰するにも処罰するにも私情をさしはさまない。


 タコ金の寨への襲撃という危険な任務に成功すれば必ず、出し惜しみせずにボーナスを支給した。階級にかかわらず、だ。


 ルールに反した者は軍法に従って処罰。これも階級関係なし。


 そんでもって、言ってしまえばお偉いさんである兄貴だけど、下っ端の兵士とも苦楽をともにしたがるんだ。


「よし、今日は寒いから酒を支給する! あったまれよ!」

「うぇーい!」

 こんなふうだ。


 襄陽の公営の酒庫では、一日あたり一千か二千びんの儲けになるくらいの酒が造られているんだけれど、兄貴はそれを売り払って金儲けしようなんてこれっぽっちも考えていなかった(*1)(*2)。


 酒は全部、現場の兵士たちに振る舞った。出撃するときに寒い目に遭いそうなときは、即座に酒を支給。一緒に飲もうぜ、ってときもあった。


 包囲開始より前、タコ金軍は漢江の浅瀬のところに鹿ろくかくを作り、深いところには大きな石に拒馬をつないで、船を通さないためのバリケードにした。


 兄貴は当然、その百余りの拒馬を引っこ抜いて鹿角も全部壊すよう、命令を出した。


「船が自由に行き来できないんじゃあ、襄陽は息が詰まっちまう。襄陽にとって、水は鎧であり、武器でもあるんだ」


 ところが、その鎧が機能しなくなる事態が発生。


 この冬は異常気象気味で、長らく雨が降らなかった。このままじゃあ濠の水が涸れてしまうんじゃないかって不安があって、兄貴は対策を講じた。


 漢江と濠が接する東西の堤防に、水量調節のための水車を造った。水車を使って濠に水を入れたおかげで、以後、濠が干上がる心配がなくなった。


 心配といえば。


 籠城するときにいちばん心配なものって、食糧だ。場所によっては水不足も心配しなけりゃならないだろうけど、襄陽の場合は、ひたすら食糧。


 襄陽にかくまっている民間人はけっこうな数に上った。その日暮らしだった貧しい家の人間は、ほっといたら飢え死にしてしまう。


「給食所を設ける。城内の四隅に役人を置いて、公営倉の米で炊き出しをするんだ」

 城門を閉ざしてすぐに、兄貴はその案を実行に移した。


 人が飢えないように。食糧が尽きないペース配分で。そうやって慎重に気を配っていたから、包囲が三ヶ月に及んでも、飢え死にした民間人は一人もいない。


 飢えないとか当たり前だと思うかもしれないけど、避難民の受け入れと生活の補償ってマジ大変で。


 襄陽では、タコ金の侵攻に怯えた人たちをあちこちから受け入れた。城内に頼る相手のいない人は、役所で全員キッチリ管理して、生活費と食糧を支給。病気の人がいれば、医者にもかからせた。


 で、すごい人口密度になった(*3)。しかも、この冬は晴れてばっかりで空気が乾燥していた。こうなると、火事の危険性がめちゃくちゃ高い。


 兄貴の発案で、みずがめを用意したり、区画を決めて火の用心の当番を作ったり、しつこいくらいの防火対策をした。


 おかげで、包囲が解けるまで一件のボヤの見落としもなく無事で、民間人は安心して眠れたってわけだ。



――――――――――



(*1)

公営の酒庫


 特産品として、官が造酒業をおこなっていた。

 南宋の事実上の首都である臨安のにぎわいを記録した地理書『夢梁録』には、有名な官営酒造や酒造併設のレストランなど、当時の風俗や食文化が生き生きと描かれている。



(*2)

一千か二千緍


 緍は貨幣の単位。銭一千文。

 貫もまた銭一千文を表す単位で、おそらく緍とは由来が違うから二つの名称があるのだろうが、ざっと調べてもよくわからず。通史的に経済や税制を調べるというのは超絶大仕事なのでご容赦されたし。



(*2)

すごい人口密度


 避難民を含めた民間人の人数は記録に残っていない。戦闘要員の数は一万人余りだった。

 小説版である『守城のタクティクス』では、城内の人口について、以下のような設定とした。


[趙家軍3000、地元の敗残兵1500、敢勇軍7000、民間人1万5000人。人口26500]


 襄陽の城壁は周回約五.六キロメートルなので、ざっくり四で割って、一辺約一.四キロメートル。面積約一.九六平方キロメートル。一平方キロメートルあたりの人口密度を計算すると、


[人口密度13520/1km2]


 なお、二〇一七年十月時点で同じくらいの人口密度を有する自治体は東京都江戸川区や大阪市鶴見区など。


https://uub.jp/rnk/k_j.html

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