Ⅱ-19 憂き瀬と際、思い知る
「エルネスティー!」
家に着き地下へと降り、わたしは医者たちを連れて実験室へと向かった。
「マルール。町の様子は──」
エルネスティーは目を鋭く向けた。クランもソフィも同様だ。
「エルネスティー殿。久しぶりだ。町長とマルール殿の強い要請により召喚された。我々にも助力できる事は無いだろうか」
作業を止めたエルネスティーに会長が訊ねる。町の医師会の面々が突然訪問したかと思えばそんな突飛な申し出をして、さしもの彼女も作業を止めざるを得なかったのだろう。
「エルネスティー、今ここへ戻っている合間にもたくさんの人が苦しそうに町をさ迷い歩いてた。早くこの人たちと協力して薬を造って」
わたしが彼女に言うと、「マルール、あなた……」と言い損ねた。代わりに町医者たちへ向き直り、「わかりました。薬の製造に協力してもらいます。この病気は感染能力が高く、既に多くの罹患者が見られ、事態の悪化は避けられません。次の波が訪れる前に手を打ちます。この病気の特徴について知っている人は」
エルネスティーが簡潔に主旨を言い、町医者たちは投げ掛けられた質問に首を傾げる。すると、ひとりの町医者が手を上げた。
「感染症の病原体は通常のウイルスとは少し違うようです。マイコプラズマのような一連の特徴を有する事から、恐らくその類ではないかと」
それを皮切りに次々と病気の特徴を述べていく。体が黒くなり、どろどろになり、ついには炭化したように硬くなる。そして、まるで酷い肺炎になってしまったような息づかいをする。言語障害、歩行障害、麻痺症状。どれもこれも彼女がひととおり知り得ているであろう情報ばかりだ。しかし、ここでひとり、若い医者が手を上げた。
「町の人々を見て思ったのですが、まるでみんな、太陽を求めているようでした。黒いクロークを羽織るのは体温を保つため。日の光を浴びれば症状が和らぐのでしょうか。不思議に思って発言させていただきました。それだけです」
「太陽、日の光を望む、体温を保つ。新しい情報ね。けれど日没病のような特徴」
「ああ、日没病そっくりだ。だが日没病ではない。どういう事なんだ」
そもそも、町で初めてこの病気に罹ったとわかるのは恐らくドナルド・ルフェーブルさんだ。わたしはソフィに訊ねる。
「ねえソフィ。パパは病気にかかる前、どんなお仕事をしたり、どんな場所に出掛けていたりしたの?」
突然話を振られて肩を震わせた彼女だったが、「えっと、おしごとは木こりで、出かける場所はいつも森だよ。木を切ってまきにしたり、たてものの柱とか屋根にするんだって」と切り返す。
「森……細菌……ウイルス……」
エルネスティーが呟いた。
「エルネスティー。もしかしてあの狼が……ずっと前から狂犬病ウイルスにかかっていて、何かが原因でパパさんに感染したんだとしたら」
「狂犬病は刺激を極端に嫌う。だから太陽光を自ら浴びるために外出するなんて考えられない。それに皮膚異常の説明がつかない」
それきり彼女は口を閉ざす。他の医者たちも言える事が無いのか、ぐっと唇を噛みしめたままだ。
「もしかして、植物病の一種か」
そう声を出したのは先程新しい情報を出した若い医者だった。
「植物病が哺乳動物に発症するなんて前例が無い」
「いや、有り得るかもしれない」
確認されている細菌がもし昆虫や植物にしか感染しないものなら、何らかの形で哺乳動物を宿主とできるよう変異し、それが食物連鎖の長い過程を経てルフェーブルさんの身体へと紛れ込んでしまったという推測だ。その医者が言うには、彼らのどろどろとなり炭化してしまった皮膚は植物における
「植物病ならファイトプラズマが原因の可能性があるわ。でも話が飛躍し過ぎている。それに一切の感染経路がわからない推測を当てにする訳にはいかない」
「だが、それを言うならかつての日没病もまた従来の病原体には無いものだった。可能性があるなら懸けてみる価値はある」
医者のひとりが言った。エルネスティーは黙り込む。
わたしはと言えばもっと別の何かが引っ掛かっていた。例えばどうして半年以上も生き延びていられたんだろうとか、あのアパートに閉じ籠りっきりで症状がそれほど速く進行していなかったんだろうとか、その辺りの事情だ。
わたしはその場を後にした。もし木こりの仕事をしている最中に感染してしまったのだとしたら、その現場に行ってみるのが一番だ。
部屋を出る直前、片隅でじっと話を聞いていたギヨームさんがわたしを呼び止めた。
「マルール様。これをどうぞ」
「これは」
手渡されたそれはベルトランさんの私物だろうか、小さな革の首輪だった。
「きっとマルール様は森へ入ろうというのでしょう。それでしたら、どうぞシャンタル様をお連れになってください」
「この首輪は?」
「代々バラデュール家の
「わかった。ありがとう」
首輪を受け取り家から出ようとすると、外への出入り口近くにはシュトート。
「君も行きたいの」
「キッ」
「よし、じゃあ行こう」
わたしはシュトートを肩に乗せベルトラン町長の邸宅まで馬を走らせた。シャンタルに首輪を取り付け、借りたグローブを嵌めた腕に乗せる。そして一路、森へと馬を疾駆させる。森の中程へ到着し、馬を軽く体を撫でてやると走った息も整ったのか、足元の草を食み始めた。
わたしはシュトートとシャンタルに向き直った。
「町で起こってる伝染病は知ってるよね。植物病っぽい症状で、もしルフェーブルさんがこの森で感染したなら、きっと森のどこかにも異変がある筈。それを探して来て欲しいんだ、わかった?」
シュトートが「キキッ」と、シャンタルが「ピー」とそれぞれ鳴き声を返してくれた。すぐに彼らは二手に分かれ、一方は森の奥へ、一方は遥か上空へと向かう。わたしも踵を返して彼らとは別の方向に探しに行く。向かう先は狼と遭遇した場所。
もしかしたらあの狼は既に感染していたのかもしれない。ぱっと見では狂犬病かもしれなかったが、よく調べていないから厳密には定かでない。狼の亡骸の場所は死んだ獣のにおいを辿ればわかる。
しばらく歩いて目的地に着いた。そこにはひと月ほど前にわたしが撃ち殺した狼の亡骸があって、雨風に打たれ、死肉は他の獣に貪られたのか、ほとんど骨と皮しか残っていなかった。適当な木の枝を使って亡骸を調べる。ひっくり返してもみるが、見た目にはただの腐ってしまった屍体。鷲にでもつつかれてしまったのか、もしくはガスが一杯になって破裂したのか、その腹には大きな裂け目があった。そこをこじ開けてみる。
こじ開けた腹にはたったひとつ、大きくどす黒い炭のような塊があった。他の器官は食べられたのか残っていない。枝で叩くとこつこつ音が鳴り、かなり硬いものだとわかった。狼はやはり感染していたのだ。草食の小動物を狙う狼は感染していた小動物を食べた。その小動物は植物や木の実を食んでいる。同様に、それらを食べた人たちは──「もしかして」
ここ最近木の実や山菜や捕った動物なんかを食べた人は、実はもう感染しているのかもしれない。
そこで、甲高く長い鳴き声が上空から聞こえてきた。見上げると、そこにはちょうど舞い降りようとしているシャンタルの姿。グローブを付けた腕にバサバサと降り立ったシャンタルの鋭い嘴には、葉が数枚生った枝が咥えられていた。そして、その葉はよく見るとモザイク状の黒い模様と共に、まるで一部が捻れたかのようにぶくぶくと盛り上がっていた。葉が皮膚病にかかってしまっているようにも見える。
「シャンタル。これ、どこで?」
訊ねて、シャンタルは再び舞い上がる。上空へ到達すると数回旋回した後ある方向へ進路を変えた。いつかエルネスティーと木の実を拾いに行った方向だ。わたしは彼女を見失わないようそちらへ走った。
そして、辿り着いた先は。
「これは」
捻じ曲がって黒々とした葉が茂り、枝の先は今にも腐り落ちてしまいそうなブナの樹。
そこは一面真っ黒だった。黒い森だった。
真っ黒な葉を注意深く見てみると、シャンタルが持ってきてくれた葉と同じだった。このブナの樹がきっと病気の大元に違いない。わたしはさらに樹を調べてみた。葉にはモザイク状の黒い模様、捻じ曲がっている。しかし、幹の方はこれといって変化が無い。
樹の幹の中に異変が生じているのだろうか、そう思い持って来ているナイフで幹の表皮を削り取るが異常は無かった。ただ樹の末端部分、葉や枝だけが異常を来たしている。
と、ここでシャンタルが舞い降りてきた。腕の用意をしていなかったので、突然の飛来に「うわあ!」と尻餅。「ピゥー」と言うシャンタルの鳴き声はどこか人を小バカにしたような感じだ。
「まったく……。ちゃんと声で合図してから降りて来てよ。危ないでしょ」
小言を吐きながら彼女を腕に乗せる。そこでふと気付くものがあった。
胸元の「貴い誓い」。そのためにわたしに託してくれた彼女の鉤爪。
意味深に、庭木で象られた町章を見つめていた彼女。
鳶とブナの樹のモチーフ。
ブナの樹。
秋の空から差し込むわずかに力強い太陽の光を浴びた木々は、たった数ヶ月の間だけ、自らが生きるに最大限の光合成をおこなうことで栄養を蓄え、再び訪れる冬に備える。この地域の特殊な環境に適応した特殊なブナの樹──そう言ったのは、わたしの前を軽快に歩いていたドックスおじさん。
秋になれば周辺の森の木々たちは一斉に芽吹き、森は青々とした若葉で覆い尽くされる。アンルーヴ周辺の森は土地に根差した特別なブナで構成されている──そう言ったのは、木の実を採りに行った時のエルネスティー。
「まさか……」
わたしはシャンタルに「シュトートを馬の場所まで連れ戻してきて。すぐエルネスティーたちの所に帰るよ」そういってブナの幹の破片と葉を持った。「ピュー」と返した彼女はバサバサと飛び立つ。そして、わたしも馬の場所へと戻った。
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走って戻ると、そこには既にシュトートとシャンタルが待っていた。しかし様子がおかしい。彼らの元へ行くと、ここまで来るのに乗った馬が倒れていた。とてもつらそうに息をして全身汗で濡れている。
もしかしてさっき食べた草で──そう思ったが、いくらなんでも感染と症状の出が早すぎる。馬に乗れなくなった今、ここから徒歩での帰路は早くて一時間は掛かってしまう。起伏のある森で全力を出しても大きな差はきっと無い。
「シュトート、シャンタル」
それぞれ「キッ」、「ピュウッ」と返事。
「この葉と幹の破片をエルネスティーに届けて。これを渡せば彼女なら気付いてくれる。お願いできる?」
すると、シャンタルが長い鳴き声をした。
わたしは首に下げた鳶爪のペンダントを前に掲げた。
「シャンタル、君はすごいね」
そう言ってわたしはペンダントを首から外し、樹の幹の破片をさらにナイフで細かく削ぎ、葉で巻き、きつく紐でまとめ、最後に鉤爪で留め具の代わりにした。紐の余った部分でシュトートの首に下げ「落とさないように、さあ行って。頼んだよ」と告げる。
シュトートはシャンタルの背に飛び乗った。背に乗せられたシャンタルはシュトートに首を向けてひとつ鳴く。シュトートががっしりと体を支えたのを確認すると、大きな翼を力一杯羽ばたかせ始めた。そして少しも落ちる気配無く、彼らはわたしの視界から町の方へ向かって消えた。
残されたのは苦しげな馬と、わたし。
馬は茶色い美しい毛並みの合間に黒い膿のようなものが浮かび始めていた。
「……」
馬はひいひい息をするだけだ。わたしは馬の傍らで膝を着いた。
「エルネスティー。ごめん」
そう言ってベストとシャツを脱ぐ。右の腹にナイフをあてがった。真一文字に横に引き、わたしはそこに手とナイフを突っ込む。体温よりも熱いLegion Graineの切片を取り出し、痛みに歯を食いしばって、馬を見た。
「ほんの少し、我慢してね……」
わたしは馬の横腹にナイフを宛てがい深めの傷を付けた。苦しげに呻き四肢を乱暴に動かす。蹴られないようにしつつ、切片をその傷に突っ込んだ。そしてすぐに離れる。獣のように一度ぐううと鳴いた馬はぐったりして、荒い呼吸だけを繰り返した。
これできっと大丈夫だろう。でも、今はわたしも、ちょっぴり痛い。
これを知ったら彼女はすごく怒るかもしれない。それにバジーリオさんに他の動物に移植するなと釘を刺しておいたわたしが、率先して移植してしまうなんて。
「本当に……」
わたしは馬の傍らに寝転び、しばらく目を閉じる事にした。
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