Ⅱ-10 訪ね歩き町長の昔馴染みの旧き友人
「インパチェンスにサルビア、ステラレッド! 夏の花が咲き盛り! 愛しのあの子にも! 麗しのあの娘にも! 情熱的な夏の赤は今が一番鮮やかな時だよ!」
昨日の夕べにカナーレに着いたのはちょうど片付けの時間で活気はまあまあだったが、今朝はまるで祭りのような騒がしさがあった。
エルネスティーに綺麗な花を買ってあげたいなあ……なんて思うけど、とりあえず今はバジーリオさんの家へ向かわなきゃ。帰りに何か買っておみやげにしてあげよう。わたしのエルネスティーへの愛は、そりゃもう
「マルール様。どうかされましたか」
「えっ、なんでもないよ。急ごう」
「さようですか」
別荘から徒歩でバジーリオさんの所へ向かう道中、顔が緩んでいたみたい。だってエルネスティーにわたしから愛の花を渡せるなんて、想像だけでもすごくロマンチックだもん。
そんな訳でギヨームさんにも「大丈夫でしょうか。先程から熱に浮かれたような表情ばかり繰り返しておいでですが……」と心配をかけてしまう始末。大丈夫だよ、と慌てて返事をした。
危険な人物に会いに行くのだからもう少し緊張感ってものを持てないかな、と自分でも思ったのだが、いかんせん花のいい香りが気分を浮つかせる。この中をエルネスティーと一緒に歩けたらなあ……。
『あのピンクの花はなんて名前?』
『あれはハナミズキよ。花言葉は、わたしの想いを受け止めて』
『想いを……よし』
『どうしたの』
『ちょっと待ってて!』
『……?』
『──はいっ!』
『どういうつもり』
『花言葉の通りだよ……わたしの想いを受け止めて』
『マルール……』
そして、このロマンチックな花の市で熱いキスを交わして、周囲の祝福を浴びながら二人の愛は大団円!
「マルール様?」
「はっ」
すごく心配そうな声をしたギヨームさんに呼び掛けられて我に返った。
「あっ、えっと、大丈夫だよ?」
「体調が優れないのでしたら、わたくしからバジーリオ様に言付けておきますので、今日は別荘でお休みになられたほうがよろしいのでは……」
「いや、ほんと大丈夫。行こう」
「不測の場合はいつでもお申し付けください」
「うん。わかった」
バジーリオさんの住む家はカナーレの花市の大通りから離れた場所に位置していて、言うなればそこは町の外れだ。わたしとエルネスティーの家も入り口が町の外れにあるから、実質似たようなものだと思うが、外観は至って普通で、レンガの家屋が並ぶ町並みによく溶け込んだ家。
「もっとおどろおどろしい家に住んでるかと思った」クランみたいに。
と言うと、ギヨームさんは玄関の扉の前に立ちながら「彼もまた貴族としての慎ましさは忘れてはいないのです」と微笑んだ。本当はベルトランさんの誇張にわたしが振り回されているだけなんじゃないか。
などと思ったのも束の間、玄関の扉が開いた。
中から顔を出したのはベルトランさんより若そうに見える男の人。小さな丸メガネをかけて、髪は黒くちょっと伸びているのをポマードでオールバックに固めていた。
「どちらさん?」
貴族の身分とは裏腹に声はすこぶる若くてぶっきらぼう。手紙で感じた雰囲気と大違いだ。
ギヨームさんが一歩前に出て挨拶した。
「お久しゅうございます。バジーリオ様。ベルトラン・バラデュールの執事にございますギヨームであります。以来、お変わりないようで、安心しております」
「ああ、ギヨームか。久しぶり。ベルトランは元気してる?」
「ええ、もちろん」
「良かった。それで、そっちの物騒なものを抱えたお嬢さんは?」
念のためライフルを持って来ていたのだが要らなそう。わたしはライフルを下ろして自己紹介した。
「手紙で聞いたはずの、魔女の伴侶の……マルールって言います。よろしくお願いします」
「ああ、この娘か。よろしく」
すっと差し出された手に、わたしも快く手を差し出し返した。そのままわたしたちはがっちりと握手を交わす。
「三十七・五度。微熱だな。気分は?」
「気分? 何の話?」
「違和感は?」
「ううん」
「これはまた……興味深いな。とりあえず二人とも入ってよ。茶と菓子くらいは用意できる。問題の患者のカルテってやつもね」
わたしたちはバジーリオさんに促されて家の中に入った。リビングもキッチンもごく普通で、ヤバい箇所なんてひとつも無い。こうなるとギヨームさんのお話にも信じがたいものがある。
それでも、わたしは持ってきた注意の書簡をバジーリオさんに渡した。
それを読んだバジーリオさん。
「相変わらずベルトランは心配性だな。僕だって自我を保つ方法くらい心得たよ」
え。
「あ。じゃあやっぱりバジーリオさんて……」
「マルール様」
真剣な表情で、しー、と人差し指をゆっくり口に当てて口止めをうながすギヨームさん……。それで、わたしは本能で気づいた。
バジーリオサン、ヤバイ。
「きみ、なんか言ったか」
「いえ、全然まったく」
「そうか。とりあえず茶にしよう。先に腰掛けてて」
本能で危険を感じ取ってしまったが最後、もう普通の目でバジーリオさんのことを見られない。いくらギヨームさんがいると言っても、あのギヨームさんが至極真剣な表情をわたしに向けてきたのだ。あの表情を考慮しないでバジーリオさんと接することは、もはや不可能だ。
ギヨームさんは彼との交流に慣れているからか、かなり流麗な様子でソファへと腰掛けるが、わたしの方は何となくギクシャクした動きでギヨームさんの隣に座った。
「あまり不自然な動きをされると、バジーリオ様の興味を引いてしまいます。どうか平常心で、落ち着いてください」
そんなこと言ったって、もう玄関の一件でわたしに興味津々だ。それでもなってしまったものは仕方ない。いつもバカねとエルネスティーに罵られるわたしだって、頑張れば常識人と同じレベルになれるんだというところを証明してやる。
そう意気込んだ矢先、キッチンからバジーリオさんが戻ってきた。手にはいくつかのカップとソーサーとクッキーの袋。しかし、いっぺんに持ちすぎやしないだろうか。まるで今にも落としそうな……。
「あ」
言わんこっちゃなくて。
カップが。
ひとつ。
落ち──
「──とうっ!」
「おおっ!」
わたしはとっさにソファから飛び出すと、床に落ちる間一髪のところで、そのカップを片手でスライディングキャッチして立ち上がる。
「ったく危ないなあもう。……あ」
立ち上がってわなわなと振り向いた先には、目を妖しく煌めかせたバジーリオさんが手に持っていたすべてを床に落として──「わあっ!」──佇んでいた。
「マルール様……」
カップソーサーが割れるけたたましい音とともに、ご愁傷さまです、というギヨームさんの心の声がはっきりと聞こえた。
「バジーリオ、さん?」
わたしは固まったままぴくりとも動かずに佇むバジーリオさんに声をかけた。声をかけちゃいけない場面なのはわかっていたけど、じっとしているわけにもいかない。
すると、ゆうらりと、わたしを見たバジーリオさん。
「マルール。きみは、人間か」
「人間、なんじゃない。ですか」
「マルール……」
そして、ゆうらりとわたしの前までおぼつかない足どりで向かってくるバジーリオさん。
「きみを……」
「……」
「きみを調べてみたい」
言っちゃったよ。
「きみは魔女のところで厄介になっている。つまり病気をその身に宿しているかもしれない。聞くところによると、魔女にはパンダのような模様があるらしいが、きみにはそれが現れていない……。つまり感染性の病気ではないんだ。しかし、植物には黒斑病というものがある。それと同じものだとして、人間に感染するとしたら新種の病気になるな。ああ、是非とも解剖して調べてみたいが……まずはマルール。僕は人間離れした動きを見せたきみからがいい」
まずい。
逃げなきゃ。
「なあんてね」
「へ?」
急にけらけらと笑い出したバジーリオさん。わたしもギヨームさんも呆気にとられて反応できない。
ただ、すごく怖かった。
「や、やだな、もう……。はは、はは、は……は……くっ……ギヨームさんん……!」
「バジーリオ様。マルール様を泣かせてしまうような真似は慎んでください」
「ああ、ごめん。大丈夫。自我を保つ方法くらい心得たって言ったろ」
つまり、自我を保たなければならないくらいには本気だった訳だ。
「気分悪くなってきた……」
「大丈夫ですか。やはり体調が悪いのではありませんか」
「ううん大丈夫……。早くお話しよう」
早めに終わらせて、早めにこの場から切り上げたい。このバジーリオさんて人、やっぱりヤバい。
「先に床の掃除をしないと。先にこっちを片付けるから、手伝ってくれないか」
「うん……」
床を掃除しているあいだ、バジーリオさんはソーサーの大きな破片を目に留めるたびにわたしの方に振り向いて、いつ襲いかかられるかを考えたわたしはもう掃除中気が気じゃなかった。
そして床の掃除を終えた後、バジーリオさんは患者のカルテを見せようと言って向こうの部屋に一旦姿を消してから、一冊のファイルを持ってきた。とても分厚く、それだけで医者としての信頼は絶大なのだと思い至ったのだが、彼のあんな一面を思い出しては、どうしてこんなヤバい人にわざわざかかろうとするのだろうと考えてしまう。彼に比べたらエルネスティーのほうがずっと健全で、医療の腕も確かなはずなのに。
じとりとした視線をバジーリオさんに向けていると、彼は患者を探しながらそれに気づき、わたしに目だけで視線を送り返してくる。すぐに視線をカルテ探しのためファイルに戻すと、また探し始めた。
「あった。この人だな。そちらさんの患者は」
ファイルから一枚の紙を取り出し、わたしたちの前に差し出す。手渡された紙を受け取って見てみると、その患者は名前をドナルド・ルフェーブルというらしく、少しお年を召している。四十九歳。
「この方がバジーリオ様にかかる患者でお間違いはありませんか」
「間違いない。この人。何ヵ月か前に高熱と咳の症状でこっちに来た。一回診たきりで、今どうしてるかは知らん」
「高熱と咳だけなら普通の風邪と変わらないよね。医者にかかるとしても、どうしてアンルーヴの医者にかからなかったのかわかる?」
わたしはバジーリオさんにそんな質問をしてみた。すると、彼はちょっぴり驚いたように目を丸くして、「なるほど。洞察力もいい」とつぶやく。
「単純に、彼は普通の風邪とは明らかに違う症状があったからだ。アンルーヴの医者には手に負えなかった、と」
「違う症状って」
さらに聞く。
バジーリオさんは言った。
「体が腐敗したように酷く化膿して黒ずんでいた。他に例が無い新しい症状だった。彼は黒いクロークで体を隠しながら来ていた。肺炎だということだけはわかって薬を処方したが、それ以来、彼は来ていない」
「肺炎をこじらせてるなら感染性の病気ってことになるね。病原体かなんかはわからなかったの?」
「病原体かは分からんが、彼の変異した皮膚の一部をサンプルとして保管してある。見たいか」
「うん」
「じゃ、こっち来てくれ」
わたしたちは彼に連れられて、別の部屋へと導かれた。
ここだ、と彼が言って扉を開けた先には、六人は一緒に食事ができそうな大きな木製テーブルが二つ置いてあり、壁には大きな棚、そこに色々な薬品の瓶が並べられている部屋があった。いつもエルネスティーが実験をする部屋と似ている。
そして、二つ置いてあるテーブルの一方は白い顕微鏡の他、たくさんの医学書で満載になっている。バジーリオさんはそちらのテーブルにさらにわたしたちを呼びつけると「覗いてみろ」と言った。ギヨームさんと軽く打ち合わせをし、わたしが先にその顕微鏡を覗いてみることにした。
「ん?」
「驚いただろ」
わたしは覗いたままつぶやいた。
「呼吸しているみたいだ」
その黒ずんだ皮膚は脈動していた。わたしはおもむろに顕微鏡から目を離す。次いでギヨームさんが覗き、後はわたしと同様だ。
「バジーリオ様、この皮膚はまるで生きているようで」
「その通り。その皮膚は生きている。体から完全に離れたいま、とっくに皮膚としての活動は停止していてもおかしくない。けど、その皮膚はなぜか生きているんだ」
それに、と彼は続ける。
「日増しにその皮膚は増殖している。顕微鏡で見える部分は増殖したサンプルから採取したものだ。大元のサンプルは……持ってこよう」
そう言ってバジーリオさんは一旦奥へ消えると、再び戻ってきた。その手には子どもの頭くらいの大きさの黒い袋が抱えられていた。あれは皮膚だ。しかし、黒いドロドロの重油のようになってしまった皮膚にその面影は見えない。
「原因は?」
テーブルに袋をそっと置いたバジーリオさんは言う。
「ウイルスのようなつくりをしているのに、大きさは細菌以上。古い文献でしか見たことないやつだ」
「どういうこと?」
「基本的なウイルスと細菌の定義は大きさと機能で決まると言われている。けど、細菌の大きさを上回るウイルスがこいつの正体だ。ウイルスはDNAかRNAの一方しか保有せず、細菌より小さいってのが主な定義だ。つまりこの患者に取り憑いているのは新しいドメインの生命体ということになる。これまでの定義を引っくり返すような……」
わたしもギヨームさんも、ただ頷くしかなかった。言っている内容は大体わかったが、これに対してどんな手を打てばいいのだろう。エルネスティーにこの患者を診てもらうには最大限の情報を明らかにしておく必要があるのだ。
「とりあえず、そのサンプルの一部と患者のカルテの写しをわたしにくれないかな。必要なんだ」
「そりゃベルトランの頼みだからな。別にいいよ」
そこでバジーリオさんが手を勢いよく合わせた。わたしたちはそんな彼を見、一体どうしたのかと訊ねた。すると、彼。
「こんな気色悪いものは後回しにして、とりあえず飯でもどうだ。ちょうど昼時だ。何か腹に入れるにはちょうどいい」
昼時という言葉を聞いて途端にお腹が鳴った。空腹に我慢しかねて彼に同意すると、ギヨームさんも同じく賛成してくれる。
サンプルは帰るまでにこちらで準備しておくとのバジーリオさんの提案で暇が出来たわたしたちは、しばしのランチタイムにすることにした。バジーリオさんの料理の腕前は相当なもので、軽くでいいと言ったわたしたちの言葉を無視して彼はフルコースを作り、わたしたちはそれをお腹いっぱい食べたのだった。
そして、後はサンプルを手に帰るだけとなった。
と、いうところまで覚えている。
「……あれ?」
「目が覚めたみたいだな」
目の前にはやけににやついた表情をしたバジーリオさんの顔。しかし、なぜか重力がお腹側にかかっている。つまり、仰向けにされている?
しまった。
迂闊だった。
しかも、体が動かせない。
「まさか、料理に睡眠薬を?」
「あんまり食べるものだからころっといくと思ったが、なかなか耐えたな。その分長い間眠ってくれて好都合だが」
「ギヨームさんも?」
「きみたち緊張していたんだ。ランチですっかりそれが途切れて安心して、眠りこけてしまった訳だ」
馬鹿らしくて話にならない。でも確かにお腹いっぱい食べて安心しきっていたような気がする。バジーリオさんのお手製料理が、すごくおいしかったあまりに。
「どうするの?」
「勿論調べるさ」
「わたし、死んじゃうよ?」
「死んだらそれはその時だろう」
「離してバジーリオさん。わたし、殺されたくない」
「殺すだなんてとんでもないな。調べるだけだって。万が一死にはするかもしれないけど、殺すつもりはない」
「誰かの手で死ぬことを殺されるっていうんだよ! やだあ! ギヨームさん助けて!」
「ここは地下だ。声は届かない」
「ううう……」
ようやく合点がいった。ギヨームさんから聞いた話もこれで納得がいった。しかし事態は急を争う。なんとしてもここから脱出しなくてはならない。けれども体は動かせない。
焦りに冷や汗を流し考えてみるが何も思い付かず、視界の端でバジーリオさんが準備を整えているのが見えるばかり。わたしは小さく溜め息を吐くと瞼をすっと下ろした。どうせ逃げられないのなら甘んじて受け入れてやろうではないか。
ここで左腕の関節あたりに鋭い痛みが走った。
「ねえ、何してるの……」
しばらくそんな様子だったから、わたしは訝しく感じて彼に問い掛けた。
「まずは採血、それから粘膜の採取。体温が高い理由も知りたいから簡易の検疫も行いたいな、この街にこれ以上新型病原菌は持ち込みたくない……」彼はそこから続けた。「それと寝ている間にレントゲンで調べさせてもらったが、きみの体に見たことの無い臓器がある。腫瘍……癌のようなものが、そこから触手のようなものを君の全身へ行き渡らせている」
そう言うバジーリオさんの言葉にわたしはぎくりとした。
「それ、もしかして右の脇腹辺りにある?」
「ああ、そうだけど」
Legion Graineだ。
しかし、腫瘍だ。あの一件後に聞いた話では、エルネスティーのLegion Graineから移植したそれはごく薄い切片程度のものだと聞いている。それが癌のような腫瘍程度になっているとなると、Legion Graineはあれから大きくなってるってことだ。
目眩のような感覚。エルネスティーがそれを知ったら彼女はどんな反応をするだろう。やはり移植などするべきでなかったと自分を責めるだろうか。この先Legion Graineがわたしにどんな影響を及ぼすかなんて目に見えている。そして仮に成長しているのなら、わたしがエルネスティーのようになってしまうのも時間の問題だ。時間が経てばこのことは自ずと明らかになってしまう。
エルネスティーが悲しむところ、見たくない。
「バジーリオさん」
「なんだ。忙しい」
「それ、調べてよ」
がばっ、とバジーリオさんが顔を上げた気配。
「そのつもりだよ」
するとバジーリオさんはわたしの右脇腹に新しく何かを注射した。痛みに顔を顰めていると「局所麻酔」と手短に告げられ、少ししてから細長い管のようなものを台の下から引っ張り出してわたしの右脇腹辺りを触り始めた。しばらくして「これを見ろ」と言われ、わたしはゆっくりと視線を向けた。
「それが腫瘍?」
「その一部だ」
バジーリオさんが目の前に差し出したそれは赤黒く、脈打つように気味の悪い光を放ち、見た目にはかなりグロテスク。まるで化け物の心臓みたい。
彼に調査を依頼できればこれについてなにかわかるかもしれない。それに少なくとも、成長を鈍化させる必要がある。
「バジーリオさん。その腫瘍、触手が伸びてるって言ったよね。具体的にはどんなふうに?」
「具体的に……。例えるならそうだな。ウニだ」
「ウニ?」
「海の生き物だ。黒く丸い体に無数のトゲが生えている。この腫瘍はそんな感じで、その触手がきみの器官に無数に伸び、まとわりついているんだ」
「触手が器官にまとわりついてるって」
どういうことだろう。しかし、それだけ考えていても仕方がない。
「バジーリオさん、頼みがあるんだ」
「なんだ」
「その腫瘍を切り取って」
「それは……」
バジーリオさんが一瞬だが目を見開いた。
「問題あるの?」
「僕にもあるし、きみにもあるかもな。触手が器官にまとわりついて寄生しているようだ。本体である腫瘍を取り除いたら、最悪きみは死ぬ」
息を飲んだ。彼の言う「死」が、本質的なものか否かの判断がつかなかったからだ。しかし、少し考えてみればまた生き返ることのできる死であると考えるのは難しい。だってわたしのこの命はLegion Graineによってもたらされたものなんだから。
生きていても、死んでしまっても、いずれきっとエルネスティーを悲しませてしまう。
「バジーリオさん。少し、考えたい」
「いいだろう。きみの命はどうでもいいが、こんなに特殊な生きたサンプルを失うのは僕も悲しいからな」
そう言うと、バジーリオさんは処置をした脇腹をガーゼで塞ぐと、少し血に濡れた手袋を脱いで部屋を出ていった。
首を軽く横に向けると、そこには本体から切除されたLegion Graineの切片があった。わたしが死んだ時エルネスティーは自らの体からそれを取り出してわたしの体に移植したのだ。
エルネスティーが危惧していた事態になるのはいつになるだろう。永遠の生。体に模様が浮き出ること。いずれわたしも彼女のようになって、彼女にある自責の念を一層大きくさせてしまう。わたしという存在がもはやどれだけエルネスティーを悲しませているかを考えた時、それを無視することも恐らくできはしない。
だから、わたしはまた彼女に隠し事を重ねてしまう。
「バジーリオさん」
部屋の外にいるバジーリオさんに呼びかけた。すぐに彼は入ってきて、「文字どおり腹を据えたか」と言う。
「ううん。このままで……。腫瘍を半分だけ切り取って。バジーリオさんにあげるから」
「へえ。まあいいだろう」
「ただし、その腫瘍を絶対に悪用しないで。他の生き物に移植するなんてのもしないで。調べるだけ。それが約束」
「どうして」
「拡がれば拡がるだけ、わたしもエルネスティーも悲しくなっちゃうから」
そう言うと、バジーリオさんは目を細め、次には「保証はしないが、約束はしよう」と言ってくれる。少し呆れ気味で、だけどきちんとわかってくれた声。性格に拠らず義理固いようだ。
「ありがとう。バジーリオさん」
「ありがとう、か。言われ慣れてるな」
つまらなそうに答え、彼はLegion Graineの切除に取りかかる。それで、わたしは安心して目を瞑ることができた。
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目を覚ますと、目の前にはギヨームさんの心配そうな顔があった。「ギヨームさん……」
「お目覚めですね」
わたしはごく普通に上体を起き上がらせてみた。
「あれ?」
体が治っている。傷跡も何も無い。
「夢……?」
「夢などではございません」
ギヨームさんがそう言うと、バジーリオさんが部屋に入ってきた。神妙な顔だ。
「まったくすごい回復力だ。きみの体、もう跡形もなく傷が治ってる。二日と経ってない。あの腫瘍の機能のひとつだろう。今まで気付かなかったのか」
気付かなかったのかと言われても、最初から気付いていたとは口にしづらい。この異常な回復力がLegion Graineによるものだと、言えるはずがないのだから。
「本当にきみは特殊な人間だ。一体どんな経緯でそんな腫瘍が出来てしまったのか知りたいところだけど、それはまた今度にしよう。一日以上経ってしまったのは否めないし、聞いた話では、きみ、魔女をうまく
「そういう訳でございます。わたくしから説明させていただきました」
「ああ、うん。わかった。……帰ろう」
わたしは一旦彼らを部屋の外へ追い出し、綺麗に畳まれたわたしの服に着替えた。洗剤のいい香りがして、洗ってくれたのだとわかった。
着替え終えると、わたしたちはバジーリオさんの恨めしそうな視線を背中に受けながら、歩いて別荘へと舞い戻る。その道中、花市が開かれていたところを通りがかった。
そういえば、エルネスティーに花を買ってあげようと思っていたっけ。
バジーリオさんのもとへと向かう道中でそんなふうを思っていた事を思い出し、わたしはギヨームさんに断りを入れてから適当な店先で色とりどりの花を見た。
「この花……」
その中で一際魅力的に映ったのが、大きな白い花弁が八枚ついた花だった。
「お嬢ちゃん、いい花に目え付けたねえ。その花はカザグルマっていうんだ」
花のリヤカーの持ち主だろうか。近くで花を並び整えていたおばさんが声をかけてきた。
「カザグルマ?」
「そう。花言葉は心の美しさとか高潔とか……。少しミステリアスに疑惑っていうのもあるよ。何か秘密でもあんのかい」
秘密。
秘密。
秘密はある。
「このカザグルマっていうの、六輪くれるかな。ラッピングはしなくていいよ」
「また微妙な数買うもんだね。まあいいさ。ありがとうね。代金は一エールと五百エクだよ。なるべく早く花瓶に差してね」
「はい」
「どうもねえ」
その後適当な紐で束ねてもらって、わたしはギヨームさんの元へ戻った。カザグルマを見たギヨームさんは「マルール様……」と気付かうような声をかけてくれる。
「わたしは大丈夫。後は怪しまれないようにウサギを二羽買うから。いい?」
「ええ、構いません……」
なおも心配そうなギヨームさん。思うに、注意すべきとわかっていながらわたしを守れなかった事実と、わたし自身の事実についてその境遇を哀れんでいるにちがいない。だけど、もうわたしはエルネスティーのために生きているようなものだから、エルネスティーが悲しみさえしなければ他の人の心配は無用だ。
「ギヨームさん。ごめんね」
「それは……」
「わたしも油断してたし。ほら、お腹いっぱいで寝ちゃうなんて。気を付けていたとはいえ、本当馬鹿だよね。ギヨームさんのせいじゃないから、そんなに重く考えないで」
ギヨームさんは黙っていた。口に出せる言葉が無いという様子だった。
いつも通りの方がよっぽど居心地がいいのに、ギヨームさんついに何も話さなくなった。そのままの調子で別荘に着いて、馬車に乗り込んでからも、ギヨームさんはだんまり。
そして、わたしたちはまた半日ほどの帰路に着く。
━━━━━━━━
「待っていたぞマルール殿。バジーリオには何もされなかっただろうな?」
「うん。一応大丈夫」
わたしはちらっとベルトランさんの後ろに下がったギヨームさんを見た。やはり何も話さないでいてくれる。おそらくギヨームさんはわたしの意図に気付いているのだろう。
「目的のものは手に入ったのか」
「ばっちりだよ。でも、一人しかいなかったみたい。これがまたちょっと奇妙な病気にかかってるみたいで、尚更エルネスティーの出番だと思うよ」
「それはよかった。今日はもう帰るのか」
「うん。長い移動でちょっと疲れたし。帰ったらエルネスティーの手料理で元気を充填してもらわなきゃ」
「そうか。では、また後で」
「うん。ベルトランさんも町民大会の準備、がんばってね」
そして、わたしはその場を後にした。
「エルネスティー。帰って来たよ」
家に着いたのはすっかり夜になってからで、リビングに向かうと、いつものように紅茶を飲みながら本を読んでいるエルネスティーがいた。
「お帰りなさい。そのウサギが仕留めたものかしら」
「うん。何があったのか、森であんまり動物を見かけなかったんだよね。だから二羽しか仕留められなかった」
平気で嘘を吐けてしまうのは自分なりの開き直りなんだろうか、とそんなことを思いながら、わたしはウサギをテーブルの横に置いた。
「疲れた……。お風呂、お湯張ってる?」
「ええ。夕飯は?」
「エルネスティーの手料理ならいつでもオッケーだよ。じゃあわたし、お風呂入ってくるね……と、その前に」
わたしは後ろ手に持っていたカザグルマの花束を、エルネスティーの前に差し出した。
「パテンスね。森に生えていたの」
「うん。あんまりきれいだったから、エルネスティーに渡したくて……。花言葉は心の美しさとか高潔とかだって。ぴったりだよ」
「そう。……すごく嬉しいわ、ありがとう。花瓶に差して飾っておく」
「うん。よろしく」
「服は後で私が洗っておくから、脱衣場の籠に入れておいて」
「りょうかーい」
そう言って一旦自室へ行き、折り畳んでポケットに入れていたカルテをベッドと骨組みの間に挟んだ。そして疲れきった体を癒すため、お風呂場へと向かったのだった。
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