Ⅱ-7 鳶爪の誓いは立てられた

 昨日の今日で思い立ってやって来たのがベルトラン町長の邸宅だ。エルネスティーがクランと新薬の開発に勤しんでいる中、散歩をすると言って出て来たのだ。しかし鉄門はぴしゃりと閉じられており、わたしの付け入る隙がまったくない。


 ベルトラン町長はいつでもここに入れるように図らっておくと言っていた。あれから日にちが経ってしまったから、次なる来訪を諦めてしまったのかもしれない。


 残念だけど、こりゃ帰るしかないかな。


 そう思った途端、後ろから馬車の走る音がした。振り向くとやっぱりあの豪華な装飾の馬車があり、馬の手綱を握っているのは執事のギヨームさん。そして客車から飛び出してきたのはやはりかな、満面の笑みを浮かべるベルトラン町長だった。


「ああっ、来てくれたのだな! さあさあ中へ入ってくれ。すぐにとびきりの料理を振る舞ってあげよう」


 ギヨームさんが馬車から降りて門を開けると、そのままわたしは背中を押されて邸宅の敷地内へと入った。ぐいぐい押されるのは別に構わないけど歩きづらい。


 駆け足気味で中に入ると、すぐさま食堂へと向かって半ば無理やり座らされた。長いテーブルの上座の位置にベルトラン町長が座り、わたしが座っているのはすぐ隣。そして、ベルトラン町長も同様に椅子に座ると、今度はどっしりと構えたのだった。


「して、今日は何故なにゆえひとりで訪れたのかね。秘密のお願いかな」


 ベルトラン町長は備え付けのフルーツの盛り合わせとナイフを一瞥すると、盛り合わせのひとつのリンゴを手に取ってナイフで器用に切り分け始めた。傍らに重なった小皿を寄せ、切り取ったヘタや皮や芯を置いていき、切り分けられたリンゴはあっという間に真っ赤な耳がぴんと立ったかわいらしい見た目になった。


 これは何と訊いてみると、うさちゃんリンゴさ、とわざわざウィンクしてカッコつけたように言う。なるほど、うさちゃんリンゴ、かわいいから後でエルネスティーにも切ってあげよう。


 うさちゃんリンゴを受け取りながら、先ほどの質問に答える。


「ベルトラン町長に頼みたいことがあるんだ」


「ほう、頼み事とは」


「この町にどれだけの病人がいるか、調べてほしいんだよ」


 ベルトラン町長は眉をひそませた。「マルール殿の考えがわからないのだが。詳しく教えてくれないだろうか」


「うん」


 わたしはエルネスティーについて昨日のことを話した。他の人に理解してもらうのは嬉しい、しかしそのためには自分の力以上に運や機会も大切なのだということ、そして、エルネスティーはそれらが決して訪れないと思って諦めていること。


 そこで、ベルトラン町長は気づいたようにわたしの言葉を慌てて遮り、わたしが言おうとしていたその先の言葉を続けてみせた。


「待て。わかったぞ。即ちその運や機会とやらの創出のために病人を探してもらいたいということだな。この町の医師では治せなくとも、エルネスティー殿だからこそ治せる病があれば、彼女はその病を治療して信頼を得、それを切っ掛けに町の者たちに理解してもらおうと」


「うん。そういうこと」


 察しのいいベルトラン町長の気っ風に感嘆の溜め息を漏らしながら、うさちゃんリンゴをひとかじりする。甘くて瑞々しく、しゃりしゃりの歯応えがすごく美味しい。


「ベルトランさん、どうにかならないかな」


「どうにかならないこともないが……。アンルーヴは数千人規模の町だ。町の住民全てを把握している訳でもないし、中には病気だという事実を隠す者もいるからな」


「それはエルネスティーと同じ扱いをされると思うから?」


「それもあるかもしれない。だが、もしも自分が重篤な病気だとして、わざわざ人にその負い目を披露するものだろうか」


 わたしは手を顎に当てて唸った。確かにベルトラン町長の言う通りだった。


 エルネスティーもLegion Graineによる黒い模様と不老不死はひけらかしたくないだろう。わたしにだってあの一件があってからようやく打ち明けてくれたのだ。それがその人にとって負い目だというなら、人目に触れたり気づかれたりというのは、できるなら避けたいことに違いない。


「でも、わたしはいつもエルネスティーの近くにいるから、もう町の人には大体顔を知られちゃってるし、他の仲間にはそんな暇ないだろうし……。ベルトランさんだけが頼りなんだよ」


「うむ。しかし町での大規模な調査を実施するとなると、町民の反発も多かろう。そんなことをして何を考えているのかと。……待てよ。そういえば」


 ベルトラン町長は突然思い出したように立ち上がり、一言告げて食堂を出て行った。


 だだっ広い食堂のテーブルでひとり席に着いてうさちゃんリンゴを食べていると、いつの間に伝えていたのだろうか、食堂の扉のひとつがばたんと開かれ、ギヨームさんに連なって料理が続々と運ばれてきた。すぐに食堂全体が美味しそうな香りで包まれる。


 一番先に入ってきたギヨームさんが「おや」と声を上げた。他の侍従さんたちが料理を並べている間、わたしへと近寄って尋ねてくる。


「ベルトラン・バラデュールはどこに行かれてしまったのでしょう」


「ベルトランさんなら食堂出てっちゃったよ。どこに行ったかまでは知らない」


「さようでございますか。何も言わず客人をお待たせしてしまい申し訳ありません」


「気にしなくていいって。それよりもわたし、早く料理が食べたいな。すっごくいいにおい……」


 目の前に並んだズッキーニのスープやら鮭のソテーの香りなんかで、一気にお腹が鳴った。それを聴いた周りの侍従さんやギヨームが笑みを浮かべる。


「随分空腹でおられたのですね。ベルトラン・バラデュールへはわたくしから言付けておきますので、マルール様は先にお召し上がりになっていてください」


「わかった。よろしく」


 ギヨームさんが後ろに下がって一礼すると、既に料理を並べ終えて後ろに下がっていた侍従さんたちも深々と一礼して食堂を後にした。


 そうして美味しい料理にいちいち唸りながらしばらく待っていると、急に扉が開いた。出て来たのは上着のスーツを脱いでシャツ姿になったベルトランさん。息を切らし、手に分厚い本を持っていて、紫色の革に金箔の題字と背表紙が張られている。彼が急いで元の席に戻るのを見届けると、どうやら彼のシャツのところどころが汚れて傷んでいるのがわかった。そして、彼の手の内にあった本のようなものはシャツよりさらに汚れ傷んでいた。


「おかえりなさい。それは?」


 ベルトラン町長は息を整えながら答えてくれた。


「これは二十年ほど前、私の父が町長をしていた頃に実施されたアンルーヴ町勢調査の記録だ。この町に関するあらゆる統計が掲載され、周辺の森や林の土壌状況や生態系、貿易に関する商品項目や貿易額から、町議会における支出や歳入などについても事細かに網羅している。それで、今さっきこの存在を思い出した。その頃の私はアンルーヴ以外の町で帝王学を学んでいたため、詳しい事情は何一つ知らなかったのだ」


「へええ。じゃあさっそく見てみよう」


「うむ」


 わたしたちは一旦食事を横に寄せ、調査書を置けるだけのスペースをテーブル上に作った。そして、紫色の表紙を開く。


 一ページ目には表題があって、その次に編者、企画者である前町長と実行者たちの名前が書いてある。そして、次のページには町勢調査を実施するにあたっての言葉が載せられ、その次のページには目的の目次があった。ちらりと最後の章の部分が目に入る。どうやらこの調査書は七百ページ以上あるらしい。


 わたしたちは医療分野に関する目次を探しだし、目的の章のページを開くと目を通してゆく。けれども書かれているのはどうしてかアンルーヴ以外の町や都市の医療状況に関してのみで、アンルーヴの町の医療の実態や統計などについては一文字も書かれていない。それからもページをぺらぺらめくりながら病気や病人について懸命に探してみるも、結局手掛かりは何も見つからなかった。


「やっぱりないみたいだ」


 わたしがページを力無くめくりながら諦め気味にそう呟くと、ベルトラン町長は低く唸った。


 どうしよう。仮に地道に探していくにしても、どこに病気の人がいるのかわからないし、その中でエルネスティーの力を借りたいという人がいる保証はどこにもない。もしかしたら、そんな人はこの町にはひとりもいないかもしれないのだ。


 この町には……。


「そうだ、ベルトランさん。この町の病人事情がわからないなら、他の町の知り合いに聞き当たって、この町からの患者を抱えているお医者さんがいないか探してみるってのはどう?」


「ふむ、知り合いの医者か。それはいいアイデアかもしれないな」


 少し回りくどい方法になってしまうが、思いつくことといえばこれしかないような気がする。なるべくならベルトラン町長の力を借りないほうがエルネスティーとの連携が取りやすいのだろうが、協力しようとせっかく申し出てくれたのだから。


「この辺りで一番近い町にお医者さんの知り合いは?」


「いるぞ。別の町に私の親友がひとりな。おそらくこの町の人間が外部に通院しに行くとなると、彼にかかる可能性が高いはずだ」


「わたしが代わりに行ってくるから、親書を書いてくれると嬉しいんだけど……」


「いや、その必要はない」


「え?」


「私の自慢のペットを見せてやろう。ついてきてくれ」


 おもしろそうなことを言いながら不意に立ち上がるベルトラン町長に、つられてわたしも立ち上がる。そうして食堂を一旦あとにした。


 食堂を出てしばらく通路を歩いた先にあるのは、なんの変哲もない木製の扉の前だ。しかし、どことなく扉からは獣臭いというか、森臭いというか。


 要するに、色々な野の香りがする。


「ベルトランさん、一体この中って」


「君に紹介しよう」


 ベルトラン町長は不適な笑みを浮かべながら扉横に掛けられたグローブを嵌めると、ドアノブに手をかけた。


 そして、開け放たれた部屋の扉。


 解き放たれるは野の香り……。


「えーと……うわっ!」


 ベルトラン町長の後ろから部屋の中を覗こうとすると、突如ばっさばっさと羽ばたくような音が聴こえて、部屋の中から大きな黒い影が滑空しながら突進してきた。そして、その黒い影はきれいにベルトラン町長の差し出した腕に降り立った。茶色い大型の鳥。足は太く筋肉で大いに盛り上がっていて、爪や嘴は鋭く鉤状になっている。ぶれない瞳は精悍なもので、ひとめで猛禽の類いだとわかった。


「おお、とっと──シャンタル、今日も元気でよろしい」


「シャンタルって名前なの」


「うむ。正式にはこの鳥は鳶と言い、上空を気流に乗って旋回しながら獲物を探すので、猛禽の中での飛行の持久力は随一なのだ。伝書鳩という伝達専門の鳥もいるが、時たま他の猛禽に襲われていけない」


「もしかして、このシャンタルって子に親書を届けてもらうの?」


「ご明察だ。ここで少し待っていてくれたまえ。自室で親書を書いてくる」


 ベルトラン町長は腕に乗せていたシャンタルをグローブごと押しつけるようにわたしの腕に移すと、妙ににこやかな笑顔のまま部屋を出て行った。


 シャンタルは初めて見るはずのわたしを前にして微動だにしない。その眼光は鷹や鷲のように鋭く、遠くを見据えているようにも見える。猛禽は目がすこぶる良いから、きっと何か見つけたのだろうとわたしもそちらを見ると、大きな窓。


「シャンタル。何見てるの」


 鳶のシャンタルに問いかけたところで返事などしない。仕方なく窓の向こうに何があるのか自分の足で歩いて近寄ってみた。


「あれは……」思わず顔を窓に近づかせた。窓から見えたのは裏庭だ。でも、とても色鮮やか。「もしかして、アンルーヴの町章?」


 わたしはブナの木の葉と鷙の影の形をした町章を眺めながらシャンタルを見た。シャンタルはそれでも町章をじっと見つめ感慨深そうな様子。わたしもしばらく花壇の花たちで象られた町章を眺めることにした。


 それから少しして、ベルトラン町長が戻ってきた。


「んん。シャンタルが人見知りしないとは珍しい」


「ベルトランさん」わたしはシャンタルの足に親書の筒を括り付けるベルトラン町長に「そうなの?」と問うた。


「ああ。普通は暴れて乗りたがらない」


 どういう意味だろう、とシャンタルを見た。そしてベルトラン町長が足に親書を括り付け終えると、シャンタルは腕から離れて窓際の縁に降り立ち、その足をわたしに差し出してきた。


「なんと……」


 それを見たベルトラン町長が驚きの声を上げた。


「どうしたの?」


 ベルトラン町長が驚いたまま答えてくれた。


「さっき窓から見ていたと思うが、アンルーヴの町章が鳶とブナをモチーフにしているのはわかっただろう。アンルーヴの町の長は象徴として血統付きの鳶を飼う慣例になっているのだが、重要な契約事を交わす時のみ鳶の体の一部を差し出す慣例になっているのだ。だが、これは本来町長が判断し町長が受け渡す役目。しかも材料は主に羽根だ。鳶自身が爪を差し出すなど……」


「なるほどね。足を差し出すってことは、爪をわたしに預けてもいいってことか」


 シャンタルはこちらの顔を見つめながら、さっさとしろとでも言うようにさらに足を差し出してぺしぺしと地団駄した。


「わかった。ベルトランさん、ナイフ持ってきて。この子本気みたい」


「あ、ああ。シャンタルがその気なら」


 ベルトラン町長は急いで部屋を出ていき、どこかへ行ってしまう。その間、わたしはシャンタルに問い掛けてみた。


「どうして見ず知らずの初対面のわたしに爪を預けるの」


 しかし、シャンタルは微動だにしない。


「シャンタルはわたしに何かしてほしいの」


 するとシャンタルは頭をこちらに向けた。そしてじっとこちらを見つめる。けれども真意はやっぱりわからない。


「とりあえず肝に銘じておくよ。貴い誓いだもんね」


 そこまで言うとベルトラン町長が再び戻ってきた。手渡されたクラフトナイフでシャンタルの一番外側の爪に添えて力を入れる。クラフトナイフは見た目以上に切れ味が良く、何度か動かすだけで簡単に爪を切り落とすことができた。湾曲した鋭く黒い爪はやはり猛禽のものだ。


 わたしは切り落とした爪をしっかり手に持って「ありがとう」と告げた。


「親書が届いて返事が来るには少し時間がかかる」そこでちらりと、ベルトラン町長は視線をこちらに向け、息を短く吸った。「必要な資料はさすがにシャンタルにも預けられんだろう。マルール殿に資料を取りに行ってもらうことになるがいいかね。馬車はこちらで用意しよう」


「うん。それでいいよ。親書が届いたらエルネスティーに気づかれないようにわたしに伝えて。心苦しいけど、エルネスティーはベルトランさんをあまり信用できてないみたいだから……」


「無理のない話だ。しかし、それは彼女の抱える病と同様の性質を有しているとは言えないだろうか。我々は言わば互いの身の潔白を証明できないまま動く相互契約者なのだからな」


 ベルトラン町長は堂々とした表情で言い切った。どうやらベルトラン町長も少しちぐはぐした今の状況に察しがついていたらしい。


「それではシャンタルよ。なるべく早く届けるのだぞ」


 ベルトラン町長はそう言いながら窓を開けると、シャンタルの背を素早くひと撫でした。するとシャンタルは「ピー」と甲高く鳴き、ばっさばっさとやかましいほど翼を羽ばたかせ、窓の縁から勢いよく飛び立っていった。


 その影が空高く舞って豆粒サイズになると、ほどなくして晴天の青の中に消えていった。


「さて」ベルトラン町長が向き直り「食事の続きをしたいかね。それとも今日はもう帰るか」


「食事はもちろんだけど、この爪をペンダントにしたいんだ。工具か何か貸してくれると嬉しいな」


「なるほど。お安いご用だ」


 わたしは借りた工具で手際よく穴を空け、紐を通して首から下げた。食事は少し食べてから頃合いを見て中断し、食器を下げてもらって、わたしはベルトラン町長の邸宅をあとにしたのだった。

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