職人とスーパーカブ②
レイが頭で突き破ってしまった襖はDIYで修理できる範囲を超えていた。当初はアイロンで貼れる襖紙なんかを買って直すつもりだったが、それでは直したところばかりが目立ってしまう。キレイに直すなら職人に任せるのが間違いない。
「ん~っと、この柄(の襖紙)は……多分やけど入らへんでぇ」
破れた襖を見せると職人はカバンから分厚いファイルを取り出した。ファイルには『取り寄せ』『在庫』『廃番』のタグが付けられている。俺も仕事で部品を取り寄せているのでよく有るのだが、困った顔をする理由は大よそわかる。
「やっぱりサンプルがあるんや」
「そうや、実物を観るのが一番わかりやすいしな」
我が家は先代店主から店ごと買い取った古い建物だ。築数十年となれば当然だが建具や壁材、床板も年季が入っている。
「この柄の襖紙はかなり前に廃番になってる。多分やけど、どこにも残ってないと思う」
扱っているオートバイと同様に修理しようと思っても同じ物が手に入らない事も多い。部品なら色が違っても塗装をすれば良いが襖紙はそうもいかない。一枚だけ柄が変わってしまうと非常に目立ってしまう。
「仕方がない、この際やからこの一面をまとめて(張り替えを)頼むわ」
「最近は仕事が減ってるから助かる」
近頃は和室の無い新築住宅が増えて表具職人だけでなく建具職人も苦戦している。市内だけでは商売にならず、仕事を求めて他県まで出張る事もあるのだとか。安い物ばかりが求められる世の中、きっちり仕事をして報酬を得る職人には厳しい世の中である。
「しばらく預かるけど
雪が降るまでに何とかなればと伝えると「ああ、それやったら余裕やね」と返事が来た。
「しかし、
この表具職人は
「人生ってわからんよな、ヤンチャし放題やった
誰でも若い時は無茶をしているものだ、こいつも例外ではない。
「中ちゃんこそバイク屋の店主やもん、中坊の時は『原付やったら制限速度時速三十キロ、チャリやったら時速六十キロでも免停なし!』って言ってたのに」
もちろん俺にも腕白小僧だった頃がある訳で、面と向かって言われると少々恥ずかしい。世に言う『黒歴史』って奴かもしれない。
「ところで
文郷はなかなかヤンチャな奴で、中学を卒業してからは安曇河高校へ進学。高校を卒業してから普通自動二輪免許を取って峠道を走っては転んで数台のバイクをお釈迦にしていたと噂に聞いていた。俺の知る限りではホンダの名車CB四〇〇SFに乗っていたはず。俺も普通自動二輪の教習でCB四〇〇SFに乗った事があるが癖のない良いオートバイだった。
「いや、結婚して売った。ほら、結婚するといろいろ有るやん。嫁とか子供とか嫁とか…っていうか守るものがな、自営業やから怪我したら無収入になるやん」
結婚を機にオートバイを降りるものは多い。乗り始めると『大型自動二輪免許を取る気が起こらなくなりモデルチェンジごとにCB四〇〇SFを買って乗り続ける』と言われるCB四〇〇SFを手放すのだから、結婚は人生の大きな節目に違いない。
「そっか、じゃあ今は仕事に集中か」
オートバイは楽しいが家族は大切、仕事に励んで家族を養うのは素晴らしい事だと思う。ところが文郷は「いや、オートバイは乗ってる」と返事をした。
「小遣いがアレやから自分で修理とかメンテして乗ってる」
『アレ』は非常に便利な言葉だ。モロに言えない事をニュアンスで伝える最適な単語。
「キャブの掃除とかエンジンオイルの交換とか、基本的に自分で直して節約するからって嫁と約束してやっとこさ最近になって走れるようになった」
「嫁に逆らえんのはどこのご家庭でも一緒やな、俺も奥さんに振り回されてる」
近頃のオートバイはインジェクション化されている。自分でキャブレターを掃除する辺りからして少し古めの小さいオートバイに違いない。それも専用の道具で同調を取らずに済む単気筒だろう。
「嫁から『車検のある大きい奴はアカンで!』って言われてるし」
車検が必要なオートバイは家計に大きな負担となる。車検の要らない排気量二百五十CC未満のオートバイなら奥さんからの許可を得やすい。
「そもそも俺ら職人ってアナログな世界で生きてるやん、でもって造りとか材質の良し悪しも何となく察するやろ?」
電子制御は良いものだが、修理する側としては面倒な事もある。性能や信頼性はインジェクション車が上だが、壊れた場合にプライベーターでも修理しやすいのがキャブレター車だ。
「手入れが楽で部品が手に入りやすい、でもって嫁の許可が下りるオートバイっつったら……な?」
一般のご家庭で「オートバイに乗りたい」言えば八割方は奥さんに却下される。これは『嫁予選』とも言われ、結婚後にオートバイを買うのに大きな壁となる。ところが不思議な事にある車種だと一気にハードルが下がる。
「もしかして、スーパーカブか?」
腕利きの表具職人はニヤリとして「そうや、スーパーカブや」と答えた。
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