2022年 7月

職人とスーパーカブ①

 ジトジトとした湿気が漂う梅雨が明けると夏、夏になるとキンキンに冷やしたビールが美味い。


「まま、おっきして~」

「にゃふふふ……もう呑めなぁい」


 呑まなくてもお寝坊だが、晩酌でしこたまビールを呑んだリツコさんは起こすのは少々難儀する。夏になるにつれ『呑む・寝る・全裸になる』が多くなるのが毎年のパターンだ。


「やれやれ、素っ裸になってしもて」

「まま~」


 我が家では夏の風物詩が素っ裸で寝るリツコさんだ。よくこんな状態で三十路まで誰も手を付けず、汚れ無き乙女で居られたものだと感心するやら呆れるやら。多分だけど大酒のみだから誰も手を出さなかったんだな。


「レイ、ママを懲らしめてやりなさい」

「あいっ!」


 元気にお返事したレイはリツコさんのお股の前にしゃがみ、小さな手でむんずとお毛毛を握りしめた。


「にゃふ? 中さん朝からそんなところを……」


 そして「えいっ♡」と気合一閃、毛を毟りとった。流石のお寝坊さんもこれには敵わなかったようで、職場でクールビューティさから想像できない奇声をあげて目を覚ました。


「まま、おきた!」

「起きたね~」

「起きるわよっ! なんてことするのっ!」


 縮れた毛を握りしめたレイはご機嫌、お毛毛を毟られたリツコさんは「あんな起こしかたをしなくても」と、ブツクサ言いながら涙目になって股間を抑えている。ところで『少』と『毛』で『毟る』になるんやな、漢字って上手く出来てる。


「どーじょ」

「ん~ありがとう、でもお手手を洗おうね~」


 幼女の握力は侮れないものだ、けっこうな本数の縮れ毛を渡された。


「レイはリツコさんの扱い方をよくわかっている」

「わかってませんっ! 間違ってますっ!」


 レイをけしかけた俺は悪い奴だが、そもそも暑いからとパンツを履かず素っ裸で大の字になって寝ていた方にも問題があると思う。そもそも少し隠すくらいの方がエロを感じるのだ、あんなに丸出しにされると逆に萎える。これ以上毟られてはたまらないとばかりに服を着たリツコさんは髪を色っぽくかき上げて「一気に目が覚めた、ご飯」と言いながら食卓についた。


「はい、お味噌汁。暑いから塩分も摂らんとな」

「ありがと、冷たいものばかりだと内臓が弱るからね」


 正しいか間違っているかわからないが、三食のうち一食くらい夏でも熱いものを食べると夏バテしにくいように思う。朝食にも味噌汁を飲んでおくと体が少し楽になると思うのは俺だけだろうか?


「今日はいいお天気ね、やっぱり夏はこうじゃなきゃ」


 今年の梅雨明け宣言は七月に入ってすぐと例年より早めだった。ところが台風の影響か梅雨が戻ってきたのではないかと思うほど雨降りが続いた。


「やっと表具屋ひょうぐやさんが来てくれるで、なぁ、レイ」

「ひょーぎや?」


 表具屋とは布や紙などを張ることによって仕立てる『表装』の専門職だ。襖以外に布や紙などを張ることによって仕立てられた巻物、掛軸、屏風、襖、衝立、額、画帖などなど、紙や布を張る職人だ。


「あら、やっと来てくれるの?」

「雨の日は引取りしとうないらしいで」


 紙や布を扱う表具職人にとって雨は天敵。蒔き物や掛け軸などならビニール袋で覆えば何とかなるが、襖などの大物を完全に雨から防ぐのは難しい。せっかく仕立てた表具が雨に濡れては台無しになってしまう。表装に使う糊が乾かないのも困るらしい。とにかく「毎日晴れが良い、雨なんか要らん」お仕事だとか。


「雨続きやったのもあるけど、消防団の大会で怪我をしたとか言うてたし」

 

 勤務先が市内で二〇代から四十代にかけての男性は消防団に入っているものが多い。我が店の常連にも何人か消防団員が居る。年に一度『ポン躁』と呼ばれる大会があるのだが、これが団員曰く『この年になってここまで叱られまくるか?』って位に細かな所まで指摘されて嫌になるそうだ。


「俺の爺さんは建具屋でな、カブの荷台にリヤカーをくくり付けて建具を運んでたらしいわ。今はクルマやと思うけど、昔は雨やと納品が出来んで苦労したんやて」


 祖父は二十五年以上前に亡くなっている。亡くなる十数年前から認知症だったから仕事をしていたのはリツコさんが産まれる前の話。


「中さんのお祖父さんって建具屋さんだったんだ、で、建具屋さんって何?」


 建具とは障子やふすまの木工部分や窓、戸などを作る職人。


「祖父さんは窓や戸以外にちょっとした木工もしてたなぁ、俺の部屋に置いてある茶箪笥は祖父さんが作ったものやで」

「ああ、引出しにゴムが入ってるアレね。最近は使ってないけど」


 そういえば祖父が乗っていたのはカブ七〇だった。リヤカーを引くのに五〇では力不足、九〇までは要らないと選んだのがカブ七〇だったとか。よく知らないが昔は排気量九〇㏄未満と九〇㏄以上は税金も違ったとか。


「職人とカブがセットやった時代があるみたいやな」


 軽トラやワンボックスカーが普及して以来荷物の運搬にカブが使われる事は減った。今のスーパーカブは実用車として走りつつ趣味のオートバイとしても使われている。


「私の世代だとピンと来ないわ」


 建具職人に表具職人、職人と共に働くスーパーカブも減っているのだろうか。

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