閑話・桜の季節

 春と言えば桜、桜と言えば花見。滋賀県高嶋市には桜の名所がある。


「薫さん、それって明日のお弁当用? ちょっと多くない?」


 浅井家のキッチンでは大量の食パンを切り分ける薫の姿があった。


「お弁当だけじゃないよ、夜桜見物に持って行くサンドウィッチ用」

「夜桜? 海都大崎かいづおおさきは混んでるから行かないって言ってなかったっけ?」


 蒔野まきの海都かいづといえば桜の名所として全国的に知られている。毎年桜の季節になると通行規制がされるほどの大混雑の名所としても有名な地域である。


「大島さんが隠れた名所を知ってるんだってさ、リツコさんから連絡行ってない?」

「仕事中は携帯を見ないから、あ? 来てた」


 仕事中の晶は携帯電話を手にすることが無い。運転中に携帯電話の操作をする不届きなドライバーを取り締まる白バイ隊員、通称『高嶋署の白き鷹』だからだ。


「お料理はおじさんが作るんだ、じゃあ安心だね」

「じゃないと危ないんだってさ」


 晶は親友が料理しない事に安堵した。


「ところで、サンドウィッチは良いとして……耳は?」

「耳は揚げて砂糖ときな粉をまぶしてあるよ。レイちゃんのおやつだね」


 浅井夫妻は仲良し夫婦だが、お互いに譲れない物事がある。


「端っこの全部耳のところは?」

「焼いて食べた」


 食パンの端っこ、全部が耳になった部分はトーストするとサクサクとした歯触りで非常に好食感。仲良し夫妻の薫と晶だが、毎回食パンの端っこ部分を巡って負けられない戦いが繰り広げられる。


「くっ……私が居ない間にっ!」

「ふっ……ここが食べたければ、この食パン一斤をすべて切り分けるんだな」


 食パンを切り分け終えた薫は天使のような微笑みを浮かべた。天使のような微笑みだが薫は男性である。ピンクのエプロンと三角巾が似合う無自覚天然可憐男の娘は『焼きたてパンのお店 パン・ゴール』の看板娘(?)


「具はリツコさんのリクエストでツナに卵、ハムやカツ。そしてハムカツ」

「肉っ気が多いわねぇ」


「レタスサンドもあるよ」


 そんな無自覚天然男の娘の妻である晶は『高嶋署の白き鷹』と呼ばれる滋賀県警高嶋署の名物イケメン女性白バイ隊員。世の中は上手く出来たもので、大島サイクルが縁となって生まれたのが、無自覚天然可憐男の娘と無自覚天然男装の麗人の夫婦である。


「リクエストが有ったら出来る範囲で作るよ、何かあったら……あっ」


 薫を背後から抱きしめた晶は「私が食べたいのは薫さんのフランスパンだな……」と耳元で囁いた。薫は顔を赤らめて「ミルクフランスだね」と答えたのだった。


 その夜。


「ふふっ……美味しそうなミルクフランスだな……いただきまぁす」

「ああっ晶ちゃん……」


 晶はカリッと焼き上がった薫のミルクフランスを(以下カクヨム規定に抵触)


 滋賀県北西部で局地的に震度計で計測されない程度の微細な揺れが有ったと無かったとか。


「ママにしてあげる」

「やぁん、熱いのが……」


 揺れはともかく、未来に影響する夜であったことは間違いない。


◆        ◆       ◆


 滋賀県高嶋市で桜の名所と言えば、蒔野町に在る海都かいづ大崎が有名だ。もちろん否定はしない。否定はしないが好みであるか否かは別問題だ。観光地然とした提灯や屋台は純粋に桜を見たいと思う者にとって邪魔以外の何物でもない。


「おっ花見お花見っ! にゃっふふふふ~ん♪」


 桜の絶景ポイントは蒔野町以外の町にもある。安曇河町あどがわちょうなら堤防に、高嶋たかしま町や朽樹くつきの場合は公園や広場に桜が植えられて春になると見事な花を咲かせる。


「ママはにゃんにゃん?」

「にゃんにゃんかもしれんなぁ」


 今都町は土地が合わないからか、桜は植えても枯れてしまうらしい。ならば他の地域へ行って花見をするかと言われればそんな事も無い。今都町に住む六城君曰く「今都町住民は(高嶋市を除く)県内の(桜の)名所は出入り禁止になってます」とのことだ。


「湖岸の桜がねっ! すっごくキレイなのっ!」


 高嶋市の中でも真旭町といえば住民の桜好きで有名な地域である。ふるさと創生事業だか何だかで支給された一億円で湖岸道路沿いに植えられた桜は当初こそ「もうちょっと役に立つことに使えなかったのだろうか?」と批判されたものだ。


「でもね、ゆっくり眺められる場所が無いの」


 桜の苗木に全予算をつぎ込んでしまって駐車場まで整備できなかったのは旧新旭町の詰めの甘いというか先の見通しが甘いというか。あ、甘いものと言えば花見団子も用意してある。リツコさんは花より団子だからだ。黙って静かに桜を眺めていれば文句なしでイイ女なのに。


「わ~お! ローストビーフじゃない! 中さん特製のポテトサラダもあるっ!」

「花見団子もあるで」


 桜の話を志麻さんにしたら「ほな、ウチの庭ですればよろし」と言われ、お邪魔するだけなのは申し訳ないと、料理を持ち寄ることにしたのだ。


「志麻さんのお家って金ちゃんのお家の敷地内に有るんだっけ?」

「そうやで、けっこう離れてるけど敷地内やって」


 金一郎の名前が出たからか、レイは「金ちゃん!」と大はしゃぎ。


「浅井夫妻は直接行くって、クルマはどうするんかな」

「あ、あの二人は今は断酒中」


 リツコさん曰く、「赤ちゃんが出来るように願掛けだって」とのこと。


「そうか、あの二人の子供やったら……考えるだけで怖いな」

「男の子は母親に、女の子は父親に似るって言うから……」


 一般的に男児は母親に、女児は父親に似ると言われている。その割にレイは俺に似ていない気がする。俺の遺伝子はどこへ行ったのだろう?


「レイはちっこいリツコさんにしか見えんけど」

「大きくなるまでわからないわ」


 我が家の事はともかく、浅井夫妻からは美男美女しか生まれない気がする。

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