2021年 11月

ダメと言われると燃える

「リツコさん、中で出してもいい?」

「いやん、ダ……メ♡」


 男は『駄目』と言われると逆に燃え上がってしまう愚かな生き物である。


「ごめん、もう出る」


 中で出した場合のリスクを考えると躊躇するものである。だが、男には引けない時が有る。


「ダメ~ッ! 中で出しちゃダメ~ッ! せめて外で出して~!」

「大丈夫やって」


 リツコさんはダメと言うが、俺にだって本能が赴くまま出したい時が有る。


「ごめん、出る」

「いやぁぁぁぁぁっ!」


 ブッ!


 悪魔の生み出した家具と言っても過言ではないだろう。一度入ると出たくなくなる、それが……コタツだ。妻と娘だけでなく、放った自らを呪うがごとき悪臭が襲い掛かり、三人でくつろぐコタツ内を汚染した。


「ウオッ! 予想外っ!」

「ふぎゃぁぁあぁぁぁっ! 私の巣がぁぁあぁぁ!」

「ふ……ふぇ……ぎゃぁぁあぁぁぁん!」


 一度コタツに入ると意地でも出たくなくなるものだ。本当なら隣の部屋かトイレでする放屁だが、俺は暖かいコタツから出たくなかったのだ。たとえ妻と娘を泣かせることになっても出たくなかったのだ。だが、被害は甚大だった。首までコタツに入っていたリツコさんは半泣きになり、コタツの中へ潜り込んでいたレイはコタツから飛び出して大泣きしている。


「もうっ! だから中で出しちゃダメって言ったのにっ!」

「とと、メッ!」


 妻と娘のプンスカ怒っている顔が驚くほどソックリで、思わず笑いそうになるのを堪えるのに必死だ。ここで笑ってしまうととんでもない仕返しが来るだろう。


「コタツはな、首まで入ったり潜ったりすると脱水症状になるかもしれんのやで」


 笑いをこらえてなるべく真剣な顔で話す俺に妻と娘は「でもオナラはイヤっ!」

「やっ!」と、そっくりな膨れっ面をした。


 人とはしない方が良いと解っているのにしてしまう愚かな生き物である。


 ダメと言われて燃え上がるのは俺だけではない。バイク修理を趣味とする者の中にはプロが「これはダメだ」と放り出す様なオートバイを買って直そうとするチャレンジャーが居る。バイクいじりを究めると『名人』ではなくて『変態』になると言われているとかいないとか。いや、こいつの場合は性癖を含めて『変態』と呼ぶべきであろう。


「どうやら九十八年ごろに製造されたらしい。思ってたより古い」

「な? そやから直さんと現状で売ったわけや」


 いつもの様に休日の前に部品を引き取り、週明けに部品を注文しに来るのはレストア趣味人の中島だ。


「ネットで『年式早見表』って出してる人が居て、照らし合わせて解った」

「そんな便利なもんが有るんか」


 そもそも型式が『C五〇』で始まっている時点で二十世紀に製造されたプレスカブだと気付くと思っていたのだが。


「二十年以上前のバイクやもんなぁ、タンクに穴が開いても不思議やない」


 燃料タンクに穴が開いていたと落ち込む中島に「あ、やっぱり。ガソリン臭いと思ってたんや」と言うと「まだガソリンの匂いがするだけマシ」と返事が返ってきた。当人曰く「腐ったガソリンの匂いじゃないだけマシ」らしい。

「予備タンクのホースが詰まってたからな、掃除をして再使用と思ってな、ピアノ線で突いたけどビッシリ詰まっててアウト。ホースを外したついでにタンクの錆び取りをしようとしてサビ取り液を入れて置いといたんや、そしたらサビ取り剤が全部流れ出てた」


 直して売り出すには点と部品代がかかりすぎるであろうプレスカブを嬉々として買い取って行ったこの男は小遣いの大半……いや、ほとんど全てを部品代に費やしている。ヤバそうやったから現状販売したのだが、想像以上の地雷だったか。


「ホースを交換しようと思ったらタンクが錆びてて、錆を落したら穴が見つかる。タンクを外してハンダで埋めて一気に完成と思ったら今度はフロントフォークが歪んでる。次から次へと直す場所が増える『悪魔の首無しプレスカブ』やで。大島ちゃん、知ってたな?」


 よく有るパターンだ。これがドツボというもので、故障を見つけて対処しようとすると別の故障が見つかるを繰り返すようになる。対処法は簡単だ、新車を買えば良い。新車が無理なら程度の良い中古車を買うのも良いだろう。どちらにせよ金はかかるが買ってすぐ走り出すことが出来る。


 肩を落とす中島に「な、だから手を出さんかったんや」と慰めの言葉をかけると「プロでも直さんような車体をプライベーターが直す、興奮するのう」返事が返ってきた。やはりこいつは変態だ、修理フェチでドMだ。


「まぁ女もバイクも素直に乗らせてくれるようでは魅力がないよな、嫌がるのを口説いて落して、でもって乗るのが興奮するんや」

「うわぁ……」


 中島は自らの信念を笑顔で話しているが、正直言って俺はドン引きしている。出来れば他にお客さんが来ないうちにさっさと部品を注文して帰って欲しい。


「なぁ中島、雪が降るまでに直るんか?」

「ん~? なぜ故に雪が降るまでに直さにゃならんのよ?」


 生命の危機を感じる暑さが過ぎ去ったと思ったらアッと言う間に寒くなった。湿った重い雪が降る冬はもうすぐ来る。


「雪が降ったらバイクは修理するのも乗るのも厳しい」


 雪が降れば道路に凍結防止剤が蒔かれる。凍結防止剤の主成分は塩化カルシウム、つまり塩だ。漁港で使われる鉄製品が猛烈に錆びるのは海水に含まれる塩分が原因だ。


「古いカブはリヤフェンダーの繋ぎ目に錆が出る。ウチで出すカブはフェンダー内にアンダーコートを吹いて防錆してるけど、それでも錆びる」


 高嶋市でもこの二十数年ほど前から大量に塩カルが蒔かれるようになった。若者が都会へ出たり、残っている住民が高齢になり雪かきが出来なくなったのが主な原因だ。車体が朽ちて廃車になったスーパーカブは数えきれないほどある。


「せっかく直しても塩カルで錆びたら悲しいやんけ、塗装とか寒いと出来んことは今のうちに済ませる。でもって冬の間は細々した部分を仕上げる」


 二級だが自動車整備士資格と数年の実務経験を持つ中島。変態であるにもかかわらず計画的かつ体と財布に無理をさせない整備スケジュールを組む男。感心して「なるほどなぁ、流石は元プロ」と褒めると奴は禿げ始めた頭をポリポリと掻いて「趣味やからな、無理せず慌てず楽しむのがエエ」と答えた。


「まぁ大島ちゃんほど手間のかかるのに手は出してないけど」


◆        ◆        ◆


 中島の言う『手間のかかるの』がコタツから出てこない。帰って早々に部屋着に着替えて「ご飯はコタツで食べたい」と駄々をこね、同じくコタツが大好きな娘を味方に付けてフニャーゴロゴロと丸くなっている。そっくりな顔が並んだ姿はまるで母猫と子猫。二人そろってコタツ布団から顔だけ出している。


「どうしてもコタツから出たくないと、仕方がない」


 俺はコタツに深く入り、腹に力を込めるのだった。

 

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