パンとコーヒーのお店『パン・ゴール』
新高嶋市で学生たちが集う店と言えば国道一六一号沿いの大手ハンバーガーチェーン。ところがこのハンバーガーチェーン店にはオートバイを停める場所が無い。安曇河町や高嶋町から真旭にある高嶋高校へ通う学生ライダーが寄り道するのは安曇河駅から少し離れたパンのお店『パン・ゴール』だ。
「この玉ねぎパンって本当は『サラダパン』なんやって」
「知ってる。でもお父さんが『マルエムのおっちゃんも玉ねぎパンて言うてた』って言ってた」
女子高生二人の話題に出た『マルエム』とは昭和の時代に「美味しいパンで勝負をする!」と野心を抱いて高嶋町から安曇河町にやってきた青年が開いたお店である。マルエムは小学校の給食や安曇河高校の購買へパンを卸すまでに成長したが、店主の高齢化や設備の老朽化、そして駅前のスーパーが閉店となって人の流れが変わった事を機会に、新しい店『パン・ゴール』として平成初期に現在の場所でリニューアルオープンした。
「漬物入りのパンがサラダパンな所があるんやって」
「それは違う滋賀県の名物やな」
滋賀県名物で沢庵のみじん切りをマヨネーズであえてパンにはさんだ『サラダパン』がある。ところがそれは琵琶湖の東側の名物であって、琵琶湖の西側の新高嶋市では馴染みのないパンである。パン・ゴールでも『湖東地域のサラダパン』は何度か店に出したが思ったほど売れず、漬物を挟んだパンは淹れたてコーヒーの香りを楽しむ常連からの不評もあって販売は取り止めになっている。
「私はこっちの名物の方がエエわ」
「私も、なんか最近グッと良くなった気がする」
焼きたてのパンと淹れたてのコーヒー、そしてパン工房で働く若いパン職人。焼きたてパンとコーヒーの香りと味を楽しみ、パンを焼くイケメンで目を楽しませるのがパン・ゴールである。
「何かな、楓君の色気が増した気がするねん」
「あんたなぁ、楓君って彼女が居るんやで? 諦めときや」
この数か月、レイと一夜を過ごしてからの楓は男の色気がグッと増して『晶様ほどではないが男の色気を感じるようになった』と常連の奥様方に言われるほどになった。
念のために説明するが『晶様』は楓の母親であり、旧高嶋署で『高嶋署の白き鷹』と呼ばれたイケメン無自覚男装女性白バイ隊員である。今都市歌劇団の男役トップスタアが霞むどころか浄化されて灰になって「燃え尽きちまったぜ……真っ白によ……」と役者を諦めて故郷へ帰るレベルの『男装の麗人』であり男装の麗人集団『滋賀県警察女性白バイ隊・星組』の元隊長でもある。
「私って清楚系の美人やしイケると思わへん?」
「無理無理、大島先生の娘さん相手やで? 勝てるわけがないやん」
休日にデートを兼ねた買い出しで連れ添うレイと楓は美男美女のカップルとしてご町内の皆様の間で有名だった。
「キレイやもんな……大島先生って」
「アレで五十代半ばやったっけ? 三十代でも通じるで」
五十代半ばになっても若々しく美しい大島リツコ、そしてその大島リツコそっくりな大島レイは高嶋高校で有名な美人親子だった。
「大島先生と同じように……」
「キレイなままで楓君を虜にするんやろうなぁ……」
スタタタタ……。
噂をすれば何とやら、駐車スペースに止まったのは億田金融の外周り用のスーパーカブ。約二十年の年月を得てすっかりくたびれた外見だが、エンジンと足回りは絶好調。そして乗っている大島レイも絶好調。楓に「レイちゃん、いらっしゃい」と迎えられたレイは「会長におやつのパンを買ってこいと言われたんや、あんパン有る?」と、店内を眺めた。
「な? 楓君は見て楽しむもの。彼女になろうなんて無理無理」
「あんたはウチのオカンみたいなことを言う……」
◆ ◆ ◆
「レイちゃんってさぁ、お客さんのところへ行くたびにウチに寄るよね」
私はお客様のところへ出かけようとするたびに「おやつにパン買うてきて」と会長から五千円札を渡される。初めての時、五千円分のパンを買って来たら「全部パンにしてどうするねん」と注意されて「買うて来たもんは仕方がない、儂はあんパンとクリームパンでエエから他は皆で分け」と社員みんながパンを貰ったのは笑い話。
「うん、本当は会長が店に行きたいみたいなんやけど駐車場がなぁ」
悲しい事にパン・ゴールの駐車場は狭い。これは開店当時の安曇河町が今ほど人口が多くなかったからだ。
「そうだね、会長がリムジンで来ると他のお客さんが困るからねぇ……」
開店から四十年となれば環境は変わる。今となっては原付やオートバイでお買い物をする主婦なんて地元の奥様かウチのお母さんくらいだと思う。他所から来た奥様は自動車でお買い物をすることが多い。小型とはいえオートバイの免許を持っていて普通にオートバイに乗る女性は新高嶋市では普通だけど、他の街では少数派だと思う。
「店の前に停めると駐禁で取り締まり、駐車場に停めると他のお客さんが停められへん。だから私がカブで出かけるたびに五千円を渡されてパン・ゴールへ寄るわけやな」
もしもパン・ゴールがエネルギーステーション六城の隣に来れば駐車場問題が解決してライダーやご近所の人がパンを買ったりコーヒーを飲みに来たり出来ると思うけれど、この店は今の場所で定着している。
パン・ゴールみたいなお店がエネルギーステーション六城の隣に出来ないかなぁ……。
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