中国のお猿(中島理論)
真希波さんの混ぜもんキーに積んだエンジンが気になって仕方がない。俺が組んだエンジン&ミッションなら当然どんな中身かわかるのだが、今回のエンジンは中島のストック品。わかっているのはボアアップキットを組んで排気量八八㏄にしてあること、排気量の割に軽いキックスタート。
「なぁ中島、あのエンジンは何でハイチューンな割にキックが軽いんや?」
腰下はカブカスタム五〇のミッションを組んだ遠心クラッチの四速仕様、おそらくオイルポンプや遠心クラッチも強化品だろう。お財布にやさしいレギュラーガソリン仕様ってのが気になる。
「ん~? ああ、アレか。ローコンプ」
「ローコンプ? 何でまたそんな事を?」
キックスタート時に圧縮を抜くデコンプ機能を搭載したのかと思ったが、返ってきた答えは『ローコンプ』と来たもんだ。圧縮比を上げてパワーアップを狙う者が多いのに、逆に下げるとは珍しい。
「大島ちゃんは『ノーマルヘッド対応のボアアップキットは息苦しい』みたいなことを言ってたやろ?」
確かに言った記憶はある。低速は排気量なりのパワーがあるのに高回転で苦しそうに回る印象があるのがノーマルヘッド対応のボアアップキットだ。
「ノーマルヘッドで圧縮比が上がらんようにする凹型ピストンと、カブ七〇や九〇用の燃焼室が大きいヘッドを組み合わせれば圧縮比が下がる。バルブも大きいから息苦しさは無くなるんじゃないかなって」
「でも圧縮を下げるとはなぁ」
ヘッドがノーマルだと混合気と排気ガスが通る通路が狭い。ノーマルヘッドのポートを加工したところで効果は知れている。そこでスペシャルヘッドが登場となるのだが、今回は予算が限られていた。
「いちおう試運転はしたぞ、悪くは無かったと思う」
「燃焼室が大きい分、圧縮比も下がってペダルが軽くなるって事か? そもそも圧縮比を下げたらパワーが出んやろ?」
ところがこの男、「そもそも圧縮比が高すぎるのが問題や」と答えた。
「いくらノーマルヘッド用に凹んだピストンを使ったとしてもハイオクガスを指定する。パワーを出すためじゃなくてノッキング予防でハイオクを指定してるんや……と思うんは、あくまで個人的見解って事で」
中島の見解では低回転ならまだしも高回転になると何らかの無理が出る。それが俺の感じる『息苦しさ』ではないかと。
「混合気ってのは案外粘り気があるもんでな、慣性とか充填効率とか難しい話になるから深く追求せんけど、やっぱりノーマルヘッド対応のボアアップキットは低回転域で何とか合わせた辻褄が高回転域に移るにしたがってちぐはぐになると思うんや。流速が上がって充填効率が上がる。どんどん混合気が押し込まれるが排気ガスは抜けにくい。実際の圧縮は計算以上に上がるはずや。ラムエアーって状態になるんじゃないかな?」
そして、高回転域で異常燃焼が起こるからハイオクガソリンを指定するのではないかとの事だ。
「ホンマに所はわからんが、なんだかんだでノッキングが起こる。それやったら少し圧縮比を下げてしまうくらいでエエんじゃないかなって。パワーこそイマイチかもしれんけど、粘りが出て乗りやすくなるかなって。理屈の上では発熱も抑えられると思う」
「そこまで考えてたと思わんかった。てっきり集まったジャンクを適当に組んだと思ってた」
これが腕に覚えのあるプライベーターの恐ろしさ。自身の技術を自分自身の疑問を解決するためだけに使う。実に贅沢な話だ。
「そもそも圧縮比を上げると圧縮工程でパワーを食われる気がしてならん。ポンピングロスって奴やね。だから敢えて凹型ピストンと大きい燃焼室の組み合わせで圧縮を下げる。でもって大きいバルブとポートで無理なく吸排気するって事で」
「カブ九〇用ヘッドやとバルブが大きいやろ? ピストンに当たらんか?」
メーカーが推奨する組み合わせ以外の組み合わせはギャンブルだ。上手くいけばラッキーだが、下手をするとデンジャラス。中古でも良いお値段のするカブ九〇用ヘッドが木端微塵になるかもしれない。
「大島ちゃん、そういうのを『ブッダに説法を解く』って言うんや。こんなんやけど、国家資格持ちの二級整備士やぞ?」
今は一級自動車整備士の試験が実施されているが、中島が整備士だった頃は試験自体が無く、二級自動車整備士が実質の最上級整備士資格だったらしい。
「ピストントップに粘土を付けてクリアランスはチェック済み。念のために軽くリセスは切ってあるけどな。ま、実験的要素を含んだエンジンって事で」
「なるほど、いろいろ考えてやってたんやな。ちょっと見直したぞ」
中島は変態だが、手を汚して理論を実践して確認する真面目な奴のようだ。少し見直した。
「ま、俺もチョコッと慣らし運転した程度や。正しいか否かは乗り手と神のみぞ知るって事やな」
◆ ◆ ◆
納車をした翌週。百キロメートルを走破した真希波さんと混ぜもんキーがオイル交換にやってきた。当店は納車して最初のオイル交換はサービスだ。最初のオイル交換は百キロメートル走行後を目安にしている。安曇河町から今都町にある高嶋高校へ通えば大よそ一週間で百キロメートル走破となる。
「ふむ、エンジンオイルに妙な金属粉は無いな。乗ってみた感じはどうや?」
「みんなに『ボンキュッボンのイイオンナが何でちんちくりんなバイク?』って言われる」
ホンダゴリラが丁度良い大きさな理恵や見た目は可愛らしいタイプの愛奈ちゃんと違って、どちらかといえば長身でスタイルの良い真希波さんがホンダゴリラより小さな混ぜもんキーに乗ると少々滑稽に見える。
「いや、乗ってて変な感じが無いかなと思ったんやけど」
「ん~っと、フツー」
中島の理論が正しいか否かは解らない。ただ、一週間通学に使った本人が言うには『フツー』らしい。ただ、ほぼ純正状態な愛奈ちゃんからピカピカの部品が付いているから羨ましがられるのだとか。
「教習所のバイクと違ってセルが無いけど、可愛いから許す」
「オッサンらが手を入れたスペシャル仕様なんやけどな……」
乗り手がの思いなどどこ吹く風と、オイル交換を終えた中島スペシャルのエンジンは『普通』にアイドリングするのだった。
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