ジャイロのライト

 リツコさんがジャイロXで出かける時はお買い物をすると思ってよい。スーパーカブに限らずリトルカブも荷物は積めるが、積載性に関しては前カゴとボックス付きのジャイロXには負ける。カブに限らずオートバイのセンタースタンドを使うには車体を持ち上げる作業が欠かせない。ところが三輪のジャイロシリーズは違う。パーキングロックのレバーを上げるだけで車体を垂直に止められるのだ。


「遅いな、何かあったかな?」


 我が家のジャイロXはリツコさんのお買いもの以外に代車としても活躍する。ビュンビュン走りたがる高校生に限らず、トコトコと時速十キロしか出さない老人やおっかなびっくりで乗る初心者など、いろいろなライダーが乗るせいかこのところ調子がイマイチだ。一度マフラーを掃除した方が良いだろうかなどと思っていたら、プスプスと元気のない排気音が近づいてきた。


「ふぅ、やっとこさ着いた。ただいまっと」

「おかえり、えらい静かに帰ってきたなぁ」


 いつもならジャイロに乗ったリツコさんはビンビンと騒がしいツーサイクルの排気恩と共に帰ってくる。ところが今日はプスプスと糞詰まりな排気音だった。詰まり気味なマフラーだったが一日でエンジンの回転が上がらないほど詰まってしまうなんて何かおかしい。


「エンジンは吹けないし、ヘッドライトは暗いし、心細くて最悪!」

「大変やったな、お風呂にする? それともご飯?」


 エンジン回転数が上がらないせいかヘッドライトはボンヤリとしか夜道を照らさず、急いで帰ろうにもエンジンは吹けずでリツコさんは冷や汗たらたらになって帰ってきたらしい。


「まずお風呂、その前にこれを冷蔵庫に入れなきゃ」


 ハイと渡されたのは少し離れた洋菓子店の持ち帰り用の紙箱。中にドライアイスが入っているのだろう、ひんやりと冷気がこぼれている。


「その前にレイちゃんの顔を見て―――」


 しばらくレイを抱っこしたりしていたリツコさんは「さて、お風呂っ」と、上着とスカートをハンガーにかけて脱衣場へ向かった。


◆        ◆        ◆


 夕食の後片付けを二人で済ませてから俺はレイを風呂へ入れる。娘はお風呂が大好きで、泣いたり嫌がったりしないので助かる。最初の頃は手が滑って湯船に落としたりした(メチャクチャ叱られた)ものだが、最近は慣れたから大丈夫。


「リツコさん、バトンタッチしていいかな?」

「は~い、レイちゃんお服着ようね~」


 レイの体を拭いてリツコさんにバトンタッチ。湯船に浸かってジャイロXの暗いヘッドライトとマフラー詰まりについて考える。そもそも我が家のジャイロXは代車に使っているとはいえ高村ボデーが製作したマフラーが付いている。リツコさんが出勤した時は詰まり気味ながら普通に走っていたはず。


「ご飯の時に『ケーキ屋さんから帰ろうとしたら調子が悪かった』みたいに言ってたな」


 リツコさんが言うには『今都から安曇河に来るまでは普通に走っていた』らしい。だとすればオイルと煤が混じった塊が排気管内の隔壁から剥がれて詰まったのだろうか。高嶋高校の生徒が今都で買い物をしていたらマフラーにパチンコ玉を入れられたなんて話は数年前まであったが、安曇河町でそんな悪さをするアホが居るのだろうか? どのみち一旦マフラーを外して点検した方が良いだろう。


「ヘッドライトはどうしようかな」


 湯船から上がり体を洗いながらヘッドライトについて考える。最近はLEDバルブが普及してきたおかげか電球と交換するだけの製品もあると聞く。車とバイク、直流と交流など気を付けなければいけない物も多いらしい。


「LED……か」


 明るさと寿命、さらに消費電流を考えるとベストはLEDだと思う。最新のバイク用品については俺よりリツコさんの方が詳しいから後で一緒に探すとしよう。


「ずいぶん長風呂ね、どこを洗ってたの?」


 風呂から上がるとTシャツ短パンのリツコさんがリラックスモードでテレビを見ていた。


「レイは?」

「寝かせたよ、子供が寝たら大人のじ・か・ん♡」


 リツコさんはパチリとウインクして台所へ向かい冷蔵庫からケーキの箱を出した。ここからは大人の時間だ。そう、子供が寝た後で夫婦がすると言えばアレだ。


「今日はね、生クリームを食べたい気分だったの。それにお互いレイちゃんにかかりっきりで誕生日も忘れてたでしょ?」


 箱から出てきたのは生クリームの上にイチゴが乗った『ザ・ケーキ』と言わんばかりのショートケーキがワンホール。そう、今回の大人の時間は日曜夕方に放送されている某国民的アニメの『子供が寝た後でおやつ』だ。


「そうやな、誕生日でもないとケーキなんて食べんもんな」


 気が付けば四十代後半、四捨五入すれば五十の大台に乗る歳になった。何となく近い所が見えにくい気がするし、寝ても疲れはとれないし髪の毛は減る一方。それに比べてリツコさんは元気はつらつとしている。


「理由は何でもいいの、とにかく食べたかったし中さんともお話したかったからね」


 レイばかり構っていたから寂しかったのだろう。リツコさんはケーキを切り分けながら……っておい、半ホールも食べるんか?


「そんなに食べて大丈夫?」

「別腹だから大丈夫、生クリームは白いから白紙に戻ってカロリーゼロ」


 出ました謎のカロリーゼロ理論、そんな事を言いつつリツコさんは体形が変わらんのだから、女性の体って不思議だ。 


「イチゴは赤いで」

「赤いからカロリーも赤字で実質マイナス」


 リツコさんが言うには「女性はご飯の入るお腹・子供が宿るお腹・甘いものが入るお腹の三種類のお腹を持っているらしい。何か違う気がするが『保健室の女神』が言うのなら間違いないだろう。


「無性に生クリームを食べたくなって、ケーキ屋さんから帰ろうとしたらプスプス言いだしてチョッチ焦っちゃった……はむっ……美味し♡」


 明日の空いた時間にマフラーを診てみると告げるとリツコさんは口一杯にケーキを頬張っているせいかモゴモゴと何か答えた。恐らく「よろしくね」みたいなことを言ってるんだと思う。


 

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