夏は素麺
今日も朝から食欲旺盛な我が奥さんと娘。レイは缶詰の桃や摩り下ろしたリンゴが大好き。次はパン粥でも与えてみようかと思う。
「何だか汗をかくし、怠いしのどが渇くの。でね、インターネットで調べたんだけど……」
「呑みすぎや、少し(お酒を)控えようか?」
最近のリツコさんは水分を多くとっている。大酒呑みで甘い物好きだから少し心配だ。
「インターネット検索サイトのヤホ○で調べたらねとんでもないことが解ったの。どうやら季節が『夏』らしいのよ」
「○フーな……っていうか調べんでも解るやん」
そんな事はインターネットで調べんでもわかる。七月の半ばを過ぎて梅雨が明ければ夏だ。某滋賀県出身のお笑い芸人風歌手が歌う通り『胸を刺激する』夏だ。刺激されてもツルペタのまま大学生になったお猿もいるが。
「だから今夜は素麺を食べたい」
「なんやそりゃ?」
「暑いもん」
新型肺炎の影響で全国の学校は夏休みが短縮されたり無くなったりしていると聞く。高嶋高校も例外でなく夏休みは大幅に短縮された。俺の学生時代と違って各クラスに冷房が完備されているから熱中症の心配はないだろう。それでも通勤や通学は暑い。電車で通えば車内以外は暑いし、バイクで通うと走行中は風で涼しいが、信号待ちになればエンジンから立ち上がる熱気で死にそうになる。
「わかった、でも素麺だけやとパワーが出んから別のものも用意しておく」
「よろしく、じゃあお弁当と……」
毎回恒例のいってらっしゃいのチューを終え、リツコさんは元気に出かけて行った。今日のお供はレッグシールドを交換したリトルカブ。
「さてと、じゃあ中さん、レイちゃん。いってきま~す」
数日前に倉庫で割れたレッグシールドを見つけた彼女は『夏は風に当たりたい』と言いながら金鋸でギコギコと要らない部分を切り捨てて、仕上げと取り付けを俺に任せた。
「いってらっしゃい」
レッグシールドをカットしたカブは涼しげなスタイルになる。昔はカット済みのものが売られていたが、絶版になったらしく最近は中古でも見かけない。需要は有るらしく純正オプションは高値で取引され、手が出ない者は社外品をカットしてに居たような形に加工する者がいる。ネット界隈ではFRP製の物も売られている。
「素麺以外やと何が
どうせ素麺以外にビールの当てを欲しがるだろうから、何か肉系の料理を用意しておこう。ホルモンは脂っこ過ぎるから別のものにしよう。
◆ ◆ ◆
本日は非番の葛城さんがオイル交換でご来店。葛城さんと言えば新型肺炎の影響で結婚式が延期になっているのだが、とうとう日取りが決まったらしい。
「ソーシャルディスタンスが必要だね……エイッ!」
結婚を控えてますます(イケメン的な意味で)色気が増して魅力的になった葛城さんが放った投げキッスで店に向ってきた奥様方は朦朧とした状態になった。
「は~い、ソーシャルディスタンスでお家へ帰るー 回れ~右っ!」
なんと葛城ファンクラブの奥様方は回れ右をして各々の家に帰っていった。もはや生物兵器か魔法の世界である。なんて恐ろしい娘っ!
「これでOKっと、でね」
「いや『これでOK』じゃないと思うで」
この娘が男に生まれていれば入れ食いだったろうに。某歌劇団に入っていれば男役でスタアになっただろう。神さんが何か間違えたんやな、この天然ジゴロめ。
「本当なら今頃新婚旅行から帰ってきてラブラブな新婚生活を過ごすはずだったんだけどね、予定が狂ったから同棲状態になっちゃった。式は冬になる前に挙げる予定」
「ふ~ん、気候が良い秋にすればいいのに」
「そうもいかないのよ、秋はダメなんだぁ」
なんでも秋は二人とも仕事が忙しいとか。新婦の葛城さんは交通安全週間で、新郎の浅井さんはパン祭りで大忙しらしい。
「交通安全週間にパン祭りか、その頃には涼しくなってるかな?」
今年は雨続きでジメジメの梅雨だった。梅雨が明ければ開けたで灼熱地獄。人だけでなくバイクにも厳しい季節だ。
「ほ~らレイちゃん、お父ちゃんが仕事してはるで~」
「うきゃ~!」
葛城さんと話していたらレイを抱っこした志麻さんが現れた。
「あらあらまぁまぁ、男前さんが来てはる」
「うきゃ~!」
「や~ん、可愛いの来た~!」
そういえば葛城さんはレイと初対面だ。
「そっか、あの時の……抱っこしていい?」
「どうぞどうぞ、あの時はお世話になって」
お産の時、葛城さんは金一郎のクルマを先導してくれた。あれから半年が経ってレイはずいぶん大きくなった。大きくなればなる程リツコさんに似てきたように思う。
「あれ? おとなしくなった」
葛城さんに抱っこされたレイはいつもの元気さはどこへやら。キュッと彼女にしがみ付いている……多分うっとりしてる。大きくなってから話のタネになるだろうから記録しておこう。
「見境なしやな」
「何が?」
恐らくレイの好みのタイプは葛城さんみたいな王子様タイプだろう。残念だなレイ、葛城さんは女性で可愛い彼氏がいる。
「写真を撮っとくか」
老いも若きも女性なら葛城さんの虜になる。レイが大きくなったらどんな彼氏ができるのだろう。レイが大学を卒業するまでストレートで合格しても二十二年、その頃俺は六十代後半だ。二十代で結婚しても七十代。もしも母親であるリツコさんと同じく三十路まで独身だとすれば七十代中盤だ。孫が生まれるまで俺は生きていられるのだろうか?
「ところでおじさん、あのガスコンロは何?」
「ああ、アレはリツコさんのおつまみ。もう出来上がるから持って行く?」
◆ ◆ ◆
昔は牛筋料理を作るとなれば筋肉の前処理に一苦労したものだが、最近はスーパーで処理済みの牛筋が売られている。圧力鍋で煮込めば比較的短時間で筋肉は柔らかくなり女性に潤いを与えるコラーゲンの塊となる。コラーゲンは食ってもそれほど体内に吸収されないらしいが、そんなことはどうでも良いのだろう。リツコさんは帰ってくるなり「暑かったぁ、お風呂っお風呂っ」と風呂へ入り、風呂から上がったら上がったで冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出して一本空けた。
「プッハ~! この一本のために生きてるっ! ん? どうしたの?」
「いや、丸見えやと欲情せんもんやなぁって」
缶ビールを飲むのはよいが、素っ裸のままで居るのはいかがなものか? オッパイどころか下のお毛々も丸出しである。
「やぁん、エッチ」
「エッチな気分にならんわ、パジャマを着ておいで」
個人的な考えだが、恥じらいとチラリズムが最大のエロだと思う。
「エッチな気分にしてあげよっか?」
「パンツくらい履こうね」
だから両腕でオッパイを抱えて「サービスサービス♪」なんて言ってないでさっさと何か着て来なさい。
「今夜はリクエスト通り素麺やで」
「やったね、じゃあパジャマを着たら晩御飯だ」
パジャマ代わりのTシャツとショートパンツ姿のリツコさんは夏休みの大学生みたいだ。三十路と思えない若々しさである。
「ふむ、お肌に厳しい季節に合わせてコラーゲンたっぷりの牛筋煮込みとは嬉しい不意打ち」
今夜の酒の当ては牛筋煮込み。食前にビールを呑みながら牛筋煮込みをつまみ、素麺を食べつつ牛筋煮込みをつまみ、締めにビールを呑みながら牛筋煮込みをつつく。リツコさんは本当によく食べよく飲みよく話す女性だ。見ていて飽きない。
「―――でね、今都の生徒は『新型肺炎が怖い』って言うからクラスを隔離して、基本的にリモート授業をするんだけど―――」
新型肺炎の影響はまだまだあるようだ。この時俺は知らなかったが、今回の肺炎騒動は高嶋市……いや、滋賀県北西部の未来に大きな影響を与えていたのだった
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます