蒼柳区のバート・マンロー①
映画『最速のインディアン』をご存知だろうか? ある所に住む老人がボンネビルのソルトレイクで行われるスピードトライアルに挑戦する物語だ。最高速が時速百キロに満たない大昔のオートバイを鍛え上げ、速度記録に挑戦する姿は究極の一つだろう。
「中古部品の数は少ないし、在っても使い倒したゴミみたいなジャンク。それに比べてカブの部品は造りが良うて直し甲斐が有るで。働くバイク言うてもジャイロとカブは設計思想が違うよな。うん、カブは偉大や」
久しぶりに部品を注文した中島は横型エンジンのスペシャリストだ。蒼柳区のバイク好き、とくにカブ乗りから『蒼柳区のバート・マンロー』と呼ばれている。速いカブを作る点で俺は勝てない。
「ま~カブと違って修理が面倒で、何を触るにしてもカバーを外さんならん」
中島が弄り始めたのはホンダジャイロXだ。なんでも消防団の知り合いから安くで譲ってもらったらしい。ジャイロは中古でも良い値段がするから、中古を買ったと思って部品代につぎ込んで乗るとの事だ。
「わかる。マフラーも知恵の輪状態やしな、カブは楽でええわ」
「そのマフラーを新品で買ったんや、一万七千円。車体より高うついた」
そんな『蒼柳区のバート・マンロー』だが、最近は別のバイクも弄り始めた様だ。キャブ時代のカブは貴重になって来たとか何とか理由を付けて、買い物や通勤で使うバイクを捜していたらしい。消防団はメカ好きも多いらしく、声をかけておくと使わないバイクが出てくるそうな。
「ほら、コレや」
「ん~? 遮熱板は叩き出しか? 何でこんな事を?」
で、今回のジャイロXが増車となった訳だ。見せてくれたスマホの画像は修理途中で仮組みのマフラー周辺だ。
「売り主曰く『遮熱板は外すか切ってください』やけどな。せっかく付いてるもんを外しとうないやん」
「ふぅん、ウチのジャイロにも使ってみるかな?」
「遮熱板を砂袋の上に置いて、膨らましたい部分をハンマーの丸い方で叩くんや」
中島はかの偉人の様に世界記録は叩き出していないが、ジャイロXのエンジンカバーについている遮熱板は叩き出した。でもって社外のチャンバーとセットで取り付けたらしい。なるほど、言われてみれば排気管を避ける感じで上手い具合……いや、ちょっと凸凹しているが、膨らませてある。
「ところがよ、チャンバーを付けて機嫌よう眺めてたらな、どこぞのクソガキが『これを二万で売れ』って言ってきやがってな」
「部品代にもならんやろ? ナンボお人善しなお前でも売らんよな」
何処かで聞いたような話だ。
「お人善しかどうかは別として、せっかく上機嫌でいたのに要らん事言われて腹が立ったんや。で、『そんなに安うでオートバイが欲しいんやったらボロを手に入れて自分の手ぇ汚して直せ!』って叱り飛ばしたったんや」
「ふーん、
蒼柳区は安曇河町の地域で、山でも無く琵琶湖でも無く只々田んぼが広がる田園地帯である。俺の実家が有る地域で、住民の性格は基本的に穏やかで呑気だ。
「そんな今都のアホ連中と同じ様な事を言うんは嶋区かレイクサイドタウンの連中くらいしか
ところが二十数年前に出来た新興住宅地へ越してきた住民は違う。都会から越してきた住民の中でほんの一部だがろくでもない連中……まるで今都町の住民みたいなのが居る。嶋区は昔から存在する蒼柳区の隣に在る地域で、あまり近所付き合いしたくない住民を見かける地域。どちらも全部が全部と言えないが、厄介者が多く住んでいて市役所や俺達商店街にクレームを寄こしている。
「多分やけど違うと思う」
あまりにも考え方が違うので最初にレイクサイド区が独立し、その数年後に嶋区が蒼柳区から離れた。住所はどちらも『蒼柳』だが、似て非なる集落である。
「雰囲気からして、
中島が言う『
「ウチにも変な奴が来たなぁ」
「どんな奴よ?」
数日前にウチへ来た若者の特徴を挙げると、中島は「俺の小屋へ来た奴に似てるぞ」と言ってコーヒーを一口すすって再び話し始めた。
「前歯が出て、長髪を後ろで縛った眼鏡の男か」
「そうそう、キーワードは『二万円』やな。金が無いんやろうな」
「アホかもしれんぞ」
まともなカブを買おうと思ったら、二万円では無理だ。最近のカブは高値だから二万円では土に帰りそうなボロしか買えない。レストアベースか部品取り前提のガタが来た洒落にならんほど修理代がかかる車体なら買えるかもしれない。
「わが街も荒んだもんや、寂しい話やで」
「まったくや、地元が荒んで行くんは悲しいな」
どこの誰かは知らないが、何となく見覚えがある嫌な奴だった。プライベーターの世界は狭い。中島の事だからあの男の情報を仲間に伝えるだろう。仲間から仲間が行く店、そして店から部品商へと話は伝わってゆく。
「まぁ、俺は商売と違うから関係ないけどな。大島ちゃんは気を付けぇや」
「そうやな、お互いに気をつけような」
食後二時間で集中力が無くなり、間食をせず四時間連続で作業をすると低血糖で倒れる難儀な男は部品を受けとり、代金を地域通貨で払って帰っていった。多分だが、近いうちにまた来ると思う。アイツはいつも腹が減って集中力が落ちた修理後に部品注文のメモを取っているからだ。
◆ ◆ ◆
さて、所変わって大島サイクルから少し離れた蒼柳区の某集落。小汚い倉庫で飽きもせずミニバイクを弄る男の姿が有った。
「ツーストの油汚れにこれが効くとはな」
家主の中島は台所の油汚れ用の洗剤をジャイロXのエンジンカバーに吹き付けていた。長年マフラーに穴が開いたまま走り続けていたジャイロXは排気ガスに含まれるオイルがエンジンカバー内に万遍なく付着してオイル臭い事この上無い。しかもそのオイルに砂塵や動物の毛が張り付き、まさにポンコツそのものだった。
「炙る前にオイルを落とさんと燃えるしな……燃える男はトラクターだけで十分や」
この男が『蒼柳区のバート・マンロー』と呼ばれるのは理由がある。一つはスーパーカブ系のエンジンを二十年以上ひたすら弄り続けている事だ。
「マフラーを換えたついでにボアアップするか、となればオイルポンプも弄らんとアカンのか? キャブも変えんなんのかな? ツーストはムズイな」
カブやモンキーを弄るだけなら大島と同じだが、中島はカスタムパーツメーカーの部品を多く使って出力とスピードを求めた改造をする。末永く乗れる耐久性を確保しつつそれなりの速度で走れるようにする大島サイクルに対して、中島は安全マージンを削ってでもパワーを求める。
「まぁええわ、取りあえず暫くはこれで乗ろう」
大島と話している様子からは解らないが、本来この男は慎重で臆病者だったりする。買った中古バイクはノーマル状態で本来の性能を取り戻してから改造する。今回は純正マフラーが錆びて穴だらけだったのと、高価ゆえに社外マフラーを買ったが、必要が無いと判断すれば改造などせずにそのまま乗る場合も多い。倉庫の電源を落として戸を閉めた中島は、エネルギー切れのフラフラとした足取りで母屋へ戻った。
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