延期

 新型肺炎ウイルスの影響は田舎街の高嶋市まで及び、とうとう今都町や蒔野町でクラスター集団感染が発生した。今都町の感染者は外出自粛を無視して県外へ観光に出かけた者だから仕方がない。


「とうとう高嶋市でクラスター発生か……」


 新聞には『高嶋市北部の今都・蒔野町で七〇人近いクラスター発生・市役所機能停止・非常事態宣言中のバス移動が原因か?』と大きな記事が載っている。


「発生源は今都か、『発熱があったが無視してグラウンドゴルフへ行った』ってなぁ、そんなに楽しいもんかなぁ?」


 災難なのは蒔野町だ。蒔野町と言えば雪の無いスキー場をオフシーズンに有効活用しようとグラウンドゴルフ場にしているのだが、これを利用した今都町のスポーツ振興協会に新型肺炎ウイルス感染者が居たのだ。しかもよりによって使ったのが高嶋市役所所有のマイクロバスと安曇河中学のスクールバスだった。幸いな事に学校が閉鎖されている為(だからスクールバスが空いていた)学生たちに感染は無かったが、バス運転手数名が感染。さらに同じ待機室に居た市長車・議長車の運転手も感染してしまった。


(安井のオッサンは嘱託にならんでよかったなぁ)


 久しく来ていないが、安井のオッサンは元議長車運転手。もしも嘱託で運転手を続けていれば重症化していた恐れがある。さすがにここまで読んで引退したとは思えないが、もしかしたら何か悪い予感がしていたのかもしれない。


「さてさて、いよいよウチも閉めにゃならんか」


 お客が少ないとはいえ、機械は必ず故障する。いざ壊れた時に困らないようにと店を開けているが誰も来ない。来ないだけならまだ良い。部品の到着が遅れ気味だ。買い物に出掛けられないから通販を利用する者が増えて配達業者は忙しいのだろう。


(このままの収入やと金一郎に相談やな)


 売り上げが無いのに出費はある。手も足も出ないとはこの事だ。大石サイクルが大島サイクルになって以降、最大のピンチである。


「あ~っ! もうっ!」


 ガリガリと頭を掻いても何も出ない。何も出ないどころか髪が抜けるだけだ。毛根に元気が無いのがよく解る。俺の髪も非常事態宣言、お願いだから抜けるのは自粛してStayhomeして欲しい。


 バルルルルル……


 イライラしていたら軽快なエンジン音が近付いてきた。郵便でも来たかと思ったら緑の郵政カブが店先に停まった。


「こんにちは、オイル交換を……おじさんも商売あがったりですか?」


 鈴の音の様に澄んだ声はパン・ゴールの看板娘……じゃなくて、葛城さんの婚約者、浅井さんだ。どうしてこの子は女の子にしか見えないんだろう? 浅井さんは店の中を見て仕事量が少ないのを一発で見抜いた。


「大島サイクル最大のピンチや、おかげでおっちゃんの毛も非常事態宣言やで」


 ストレスのおかげで抜け毛が多い。浅井さんの艶めく黒髪が羨ましい。


「パン・ゴールも時短営業ですよ、小規模な店はどうしても『密』になりますから」


 郵政カブを中に入れてオイルを抜く。オイルを抜く間はのんびりとコーヒータイムだ。先代は『休憩しながら仕事出来るくらいがちょうど良い』と言ってたが、今は休憩の合間に仕事をしている感じだ。もちろん売り上げはガタ落ちだ。


「葛城さんはお仕事?」

「いいえ、『密』を避ける為に自粛です」


 葛城晶居る所に女性の姿有り。外出自粛要請が出ているとはいえ、葛城さんが来たらご近所の奥様方はジッとしていられないだろう。


「そうやなぁ、高齢者は重症化するらしいからなぁ」

「らしいですね、おかげで僕たちも式が延期になりまして」


 そう言いながら浅井さんが出したのは結婚式延期のお知らせのハガキ。


「リツコさんには友人代表のスピーチをお願いしてたんですけど……」

「このご時世では仕方がないやろうな、彼女葛城さんもガッカリやろ?」


 ハガキには『式の日程は改めてお知らせします』みたいな事が印刷されていた。葛城さんは乙女な一面があるのでさぞかしガッカリしただろうと聞くと、浅井さんは「式を出来ないかもしれません。晶ちゃんは落ち込んで膝を抱えてドナドナを歌ってました」と答えながら鞄からファイルを出した。


「念のために写真は撮りました」

「おお……お? おおっ?」


 一枚目の写真に写っているのは白いタキシード姿の浅井さんとウエディングドレス姿の葛城さんだ。浅井さんのタキシード姿は子供みたいだし、葛城さんのドレスは美しいが、背が高すぎる。ただでさえ浅井さんと葛城さんは身長差が大きいのに、葛城さんがハイヒールを履いているせいで更に差が広がっている。


「で、こっちがカメラマンと僕たちの両親のリクエストに応えて撮った写真です。式が出来るなら、お色直しはこれでいこうかなって」

「おおっ! これはモデルみたいやぞっ!」


 二枚目の写真は服装が逆転していた。白いタキシード姿の葛城さんと、ウエディングドレス姿の浅井さんだ。葛城さんは凛々しく、浅井さんは可憐で可愛らしい。これをお色直しで出せば女性陣は気絶して男性陣は萌えるだろう。


「でも式が出来ないとお披露目も無しなんですよ」

「これは披露したいなぁ」


「写真を撮った後、晶ちゃんが『お式をしたいよぅ』って泣いちゃいました」


 結婚式・披露宴が延期となって葛城さんは大泣きしたそうだ。結婚式は女性にとって一世一代の晴れ舞台。それが延期となれば精神的なダメージは相当なものだろう。


「今回の騒動が一段落したらご飯を食べような、ガッツリお肉を食べような」

「晶ちゃんにも伝えておきますね、写真はリツコさんに渡しておいてください」


 郵政カブのオイルはそれ程汚れていなかった。恐らく浅井さんはオイル交換を理由にウチへ来て話をしたかったのだろう。外出自粛は仕方がないが、経済の流れが滞り過ぎている。もしかするとリーマンショック以上の不景気に突入するかもしれない。


◆        ◆        ◆


 帰ってきたリツコさんが写真を見て「はうあっ! 晶ちゃんグッジョブ! 薫ちゃん萌えっ♡」と、鼻血を出しながら身悶えたとだけ記しておく。

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