移転計画① 安浦刑事

「もしかすると、大島さんの奥さんに影響があるかもしれませんよ……」


 安浦刑事が言うには『県の施設が今都町に存在するのはいかがなものか?』と意見が出ているそうだ。もしも安曇河高校と合併となればバイク通学の学生は居なくなる。そうなればウチは商売あがったりだ。下手をすればリツコさんが遠くの学校へ移動する可能性もある。どちらにせよ大問題であることは間違いない。


「実は今都町で大規模な麻薬組織の摘発がありましてね、今夜のニュースで出ると思うんで言いますが、県の……特に税務や教育関連施設が今都町にあるのはいかがなものかってね。我々の署も県の施設ですからね……」

「となれば高嶋高校も移転か? それで今日は遅くなるんかな?」


 大麻や麻薬で事件が起きた街に教育施設があるのは良くない。それ位は俺でも解る。もともと今都町は治安が悪く、物流が船で行われていた頃の流れで大きくなった町だ。物流の主役がトラックになった現代ではメリットが無く、町は寂れる一方だ。


「緊急時にパトカーが出庫する時にサイレン鳴らすでしょ? 苦情が来るんですよね。だから高嶋署のパトカーは事件現場直前でサイレンを鳴らすんです」

「それでパトカーの到着が遅いんか、知らんとは言えボンクラと思てたわ」


「いや、実際のところはボンクラと定年前の老いぼれだらけなんですけどね」


 安浦刑事が言うには、実際のところ高嶋署はボンクラ揃いではあるらしい。ボンクラな上に面倒事を避ける傾向にあって今都町広域で大麻の常習者が放置されていたのだとか。これには県警本部も黙っておらず、来年度の人事異動は大規模になりそうなんだとか。


「まぁ今日明日で移転する訳じゃないと思いますよ、我々は厄介な手続きやら何やらで縛られてますから。移転するにしても十年以上先の話でしょうね」

「今までも話はあったぞ、でも今回は進むかもしれんな」


 今までも官公庁の移転話は出ていた。だが、今都町の議員による裏工作や移転否定派の策略などで立ち消えになったとの噂も流れている。役所があるのは今都町の誇りだからだ。県の施設が無くなれば今都町はますます寂れる。


「陰謀と破壊、犯罪渦巻く今都町に高校があること自体が不思議なんですよ。本当は人口の多い真旭以南へ移転したいらしいです。でも犯罪が多いのは今都なんですよ」

「警察署が移るとすれば安曇河町一択かな?」


 安曇河町は今年度春の調査で人口が今都町を上回ったことが判明した。今までは今都町がトップだったのだが、自衛隊の戦車部隊が再編されて退官予定の自衛官が県外や大津市に移動してしまったのが影響している様だ。定年後に定住するはずの元自衛官が居なくなってしまった。これは大きい。


「だとすると僕はミニカーこいつで通えるんですけどね」

「おっと、もうオイルは出んな」


 お喋りしている間にエンジンオイルはすっかり抜けた様だ。試しに軽くキックペダルを踏み込んだが何も出てこない。


「ルーチェよりはガソリン代が浮くやろうな、でも通勤費も削られるで」

「でしょうねぇ」


 盗難車のカブから摘出したエンジンは分解整備こそしていないが調子は悪くない。恐らく盗まれるまでそれなりに大切に乗られていたのだろう。オイルを入れて作業完了。


「それにしても、いつになったら新型肺炎ウイルス騒動は終わるんでしょうねぇ」

「そうやなぁ、商売あがったりやで」


 店を開けているのに仕事が少ない。いっその事、休業して補償金をもらおうか。


◆        ◆        ◆


 時短営業の為、閉店は午後五時。


「本当に大丈夫ですか? 何やったらもう少し居ますえ?」

かましません大丈夫、当分時短で営業しますさかい」


「そうですか、ほなまた明日」

「おおきに」


レイの世話を志麻さんから引き継いで、レイをおんぶして晩御飯の用意をする。今日のリツコさんは帰りが遅くなるみたいだ。疲れて帰って来るだろうからお風呂に入れるようにしておこう。


 あらかた晩御飯の用意を済ませ、レイをあやしていると聞きなれたエンジン音が帰って来た。


ヴォロロロ……プスン……。


「ただいま~」

「おかえり……って、どうしたん?」


「うきゃ~っ♪」

「レイちゃんただいま~、ママだぞ~」


 帰ってきたリツコさんの顔はメイク無しのスッピンだった。紫外線が強くなる季節なのに大丈夫だろうか?


「レイが泣くから学校で落としたの、先にお風呂に入りたいんだけど」

「用意してあるで、入っておいで」


 リツコさんは母になっても幼い顔立ちだ。ノーメイクだと未成年に見える。久々の出勤で疲れたのだろうか、「にゃふぅ……」と言いながらお風呂場へ向かった。


「レイは先にご飯を済ましてねんねしようね~」

「あ~、ぷ~」


 レイにミルクを与えてからあやしていると、風呂上りのリツコさんがバスローブを纏って現れた。


「にゃふう……また休校が伸びちゃったぁ」

「らしいな、あっ! リツコさんテレビ見て!」


 情報番組で二府四県連合で行われた大麻シンジケートの摘発が報じられている。ブリコ・富永事件で始まった県警・府警の壁を取り払った広域捜査は令和になっても健在の様だ。


「わぉ、今都で作った大麻を船で京都方面へ運んでたんやって」

「そうなのよねぇ……今都じゃ大麻が小・中学生にも広がってるのよ……」


 驚いた事に今都町では小・中学生の頃から煙草を吸うガキが居るらしい。だがコンビニや煙草店で買う訳にはいかない。仕方なく雑草を乾燥させて作った今都煙草を吸うのだが、今都煙草の主成分である大麻の中毒になってしまうらしい。


「うちの生徒や入学予定者にも逮捕者が出ちゃって、それで会議だったの。疲れたぁ……」


 育児休暇中のリツコさんを呼ぶほどの会議とは、いったい何事だろうと思っていた。安浦さんに教えられてまさかと思っていたのだが、まさかここまで大事だったとは思わなかった。


「今日は刑事の安浦さんが来たんや」

「ああ、安浦さんね。何か言ってた?」


 安浦刑事から聞いた事を話すと、リツコさんは「そうなのよ~」と言って床で大の字になった。バスローブから覗く脚や胸の谷間が何ともセクシーだが、少しは恥らって欲しい気がする。


「高嶋高校が移転するとすれば、いったいどこになるのかしら?」

「少なくとも安曇河町は無いやろ?」


 高嶋高校と安曇河高校は仲が悪い。合併はあり得ないから別々の場所になるだろう。となれば真旭町か高嶋町の二択になる。


「そんな事より、久しぶりに、よっこいしょっと……呑む?」

「にゃっ! 呑む~!」


 レイに母乳を与える事も無くなったからと、久しぶりに瓶ビールを見せた途端にリツコさんは元気一杯。シュポンと栓を開けてグラスに注げばリツコさんは食卓にまっしぐらだ。


「ホルモンも焼いたで、ブリッブリの上物やでっ!」

「にゃふっ?! イイのっ!」


 そろそろリツコさんは職場復帰。いよいよ母乳を与えるのはやめて粉ミルクと牛乳に移行する。新型肺炎ウイルスが終息する頃には離乳食だろう。


「ストレス解消もせんとな、たぁんとおあがり」


 新型肺炎ウイルスに店の売り上げ、更に大麻騒動に官公庁・教育施設の移転。ニャフニャフとホルモンを頬張り、ビールで流し込む妻を見ながら色々と考えるのだった。


「いっただきま~す! 久しぶりのホルモン~ビール~♪」


 この時は知らなかったが、新型肺炎ウイルス騒動は俺達の思わぬところに影響を与えていた。

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