少し未来のお話・レイも抱っこ

 楓ちゃんに抱っこされた母だったが、甘えていたと思ったら急に表情が曇って、黙ったと思ったら泣き始めた。


「リツコさん、どうしたんですか?」


 楓ちゃんが聞いても泣くばかり。恐らく父の事を思い出してしまったのだろう。父が元気だった頃は私の前でも何も気にせず抱っこされていた母。行ってらっしゃいのチューもしていたくらいアツアツ夫婦だったのだから仕方がないか。


「お母さん、もう寝ようね」

「うん……楓君、ゴメンね。クスン……中さん……」


 やはり父の事を思い出していた様だ。あの絵に書いた様な頑固親父の何処に惚れたのだろう。楓ちゃんの方がずっと格好良いのに。


◆        ◆        ◆


 スラリと長い手足、細いけれど筋肉質で引き締まった体。しかも若い頃の晶ちゃんソックリな超絶美男子。そんな男に抱っこされれば幸せな気分になれる、そう思っていたけれど実際は違った。


(振り切ったと思ったのに、思い出しちゃった)


 若い頃は『高嶋署の白き鷹』とか『投げキッスで妊娠させる』と言われた超絶イケメン女子の晶ちゃん。その晶ちゃんの息子、そっくりな顔をした楓君。後から抱きしめられてドキッとしたけれど、改めて抱っこしてもらってナデナデしてもらった途端に思い浮かんだのは夫の優しい表情だった。


(そうか……私はあの人に染められたのね)


 初めてお泊りした翌日の朝ご飯。あの時から私の恋は始まり、中さんの死と共に恋は終わったのだろう。楓ちゃんに抱っこされて嬉しいどころか夫を思い出して悲しくなってしまった。


―――――俺はリツコさんの笑顔が好きやなぁ。


 目を閉じると照れながらそんな事を言う中さんの顔が思い浮かぶ。もう私は男に抱かれてどうのこうのではないのだろう。中さんの感触を思い出した。微かに香るオイルの臭い、ゴツゴツと節くれだった手。私を満足させられるのは無骨で頑固、そして男臭い昭和生まれの男。粗削りだけどパンチがある……つまり……中さんだ。


(うん、もう抱っこされる立場じゃないのね)


 もう抱っこしてもらったり甘えたり出来る男は居ない。そう、もう私は抱っこしてもらったり甘えたりしている歳じゃないのだ。何時だったか夫は「俺も頼られる歳になったんやなぁ」と言っていたが、私も頼られたり甘えられたりする立場になったのだろう。


「母さん、大丈夫?」


 心配した娘が部屋を覗きに来た。大丈夫だと答えると「そう」とだけ言って戸が閉まった。娘は父親に似ると言われているが、見た目以外は本当によく似ている。


◆        ◆        ◆


「リツコさんの様子はどう?」


 楓ちゃんが心配して訪ねてきた。


「大丈夫、お父さんの事を思い出したんやと思う。最近は大丈夫やったのになぁ」


 両親はアホみたいに仲良よい夫婦だった。そりゃぁもう恥ずかしいくらいに仲良しで夜も仲良しだった。父が亡くなった時に母が後を追うのではないかと心配したくらいだ。


「何か悪い事をしたな、ゴメン」

「いいって、でも楓ちゃんの『抱っこしてナデナデ』は気になるなぁ」


 母は仕事で嫌な事が有った時や褒めてもらいたい時、滅多に無かったけれど悲しかった時に父に抱っこされてナデナデしてもらっていた。それほど良いものだろうか? 気になって仕方がない。私も小さな頃は父の抱っこは好きだったし、ナデナデされて嬉しかったけれど、大人になってもしてもらいたいモノだろうか?


「楓ちゃん、ちょっと私を抱っこしてくれへん?」

「イイよ、ちょっと緊張するなぁ」


 楓ちゃんがいらっしゃいとばかりに両手を出してきた。私は吸いこまれるように彼の胸に収まり、ギュッと抱きしめられた。


「どう? きつくない?」

「悪くない」


 頭をナデナデされると父の抱っこされた時と違う感じがした。心臓がバクバクと音を立てる。楓ちゃんがさらに腕に力を入れた。「楓ちゃん、緊張してる?」と私が聞くと彼は「うん」と答えた。


「小さかった頃はレイちゃんに抱っこされてたのにね」

「大きなったなぁ、でもってイイ男になったなぁ」


 私より二歳……三歳だっけ? とにかく歳下の楓ちゃんは私の弟みたいなものだった。そうだ、「弟が欲しい!」と駄々をこねた私に浅井のおじさまが「じゃあウチの子を弟の代わりにすればいいよ」って言ったんだっけ。


「レイちゃんも素敵になった」

「それは光栄やな」


 何と言えば良いのか、よく解らないけれどシックリくる。この夜、私はしばらく楓ちゃんに頭をナデナデされた後、何ともほんわかした気持ちで布団に潜り込んだのだった。

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