2020年 3月 新型肺炎蔓延中
第457話 卒業
「挨拶できずにお別れなんて……」
レイを寝かせた揺り籠ベッドをチョイチョイと突いて揺らしているリツコさん。このところレイは「あ~」「うー」と声を出して反応する様になってきた。手足をばたつかせたりしている所からすると、活発な性格らしい。この辺りは母に似たのだろう。
(猫みたいやな……)
リツコさんは卒業式中止がショックだったらしく、餌をもらえなかった猫みたいにうなだれている。絵に描いた様な『シュ~ン』である。産休・育休のリツコさんは「卒業式には出るからね」と生徒に約束していたのだ。ところが新型の何とかウイルスが流行。国からの指示があり、生徒が集まる集会は尽く中止。令和二年三月一日に行われる筈だった高嶋高校卒業式は在校生や来賓無しで執り行われた。
「せっかく準備してたのに」
卒業式に出席するためにリツコさんはスーツを新調していた。ところが、育児休業中に出席して万が一が在るといけないと言われて出席できなかったのだ。三年間共にした生徒は見送ると張り切っていたのに、残念な事になった。
「仕方がないって、どこもかしこも自粛ムードやもん」
おかげでウチの売り上げも低調気味。三月に入って動き始める高校生たちが家に籠って出てこないのだ。理恵と速人は下宿先を探すのに出掛けているらしいが、そのほかの学生の様子が全く入って来ない。どうしたものかと悩んでいたら、店先にアメリカンタイプのバイクが停まった。宏和だ。
「おっす、お? 奥さんと赤ん坊も店か。今どうもないか?」
「よう、今日は休みか?」
宏和はバス運転手をしているのだが、ここ最近の肺炎騒動でチャーター便が激減しているらしく、待機していても暇なので有給を取ったそうな。「肺炎騒動で洒落にならんぞ」と言ってどっかと椅子に腰かけた。
「絵里ちゃんはどうや? カブのオイルは換えてるか?」
「カブのオイルは俺が換えた、でも絵里は自宅待機中」
一・二年生はともかく、三年生は在校生無しの寂しい卒業式を終え、気が抜けた状況らしい。
「そうよねぇ、このご時世じゃ旅行にも行けないもんねぇ」
何処か卒業旅行へ行こうと思っても肺炎が怖くて行けないらしい。絵里ちゃんは家でゴロゴロしたり、ネットを見たりしているそうだ。
「俺は遊びに行くチャンスやと思うけどな、空いてるからなぁ」
「ウチは赤ん坊が居るから無理やけどな」
宏和の娘は一八歳になる。我が大島サイクルのお客さんで有り、理恵や速人の同期でもある。高校を卒業してからは大学に進学して家から通うそうだ。それに比べて我が家のレイはまだ首も座らない赤ん坊。我ながら大きく出遅れた人生だと思う。
「で、お前はバイクの修理か。お前がスズキを弄るって珍しいな」
「スズキじゃないぞ」
今修理しているのはスズキのバンバンをオマージュした車体にスーパーカブのエンジンをオマージュした物を載せたレジャーバイクだ。安心して乗れるように、出来るだけ日本製の部品と交換している途中だ。
「いや、こんなレクタングルタイヤと長いシートはスズキのアレやろ?」
「スズキじゃないんや、中国製やけど、面白そうやから直してる」
個人的見解だが、中国製のバイクは根本的に信用できない。どうせボロボロなんだから全部分解して国産部品に換えられる所は換えてしまう。
「中華かいな、なるほどなぁ。それで部品を換えまくってる訳か」
「細かな所の精度が悪いからな、ボルト穴なんか全部タップを立て直しやぞ」
規格品や汎用品で何とかなるベアリング類とワイヤーは国産部品と交換する。アルミの鋳造部品やスプロケット、他にはボルト・ナット類も国内メーカーの物と交換する。トラブルになりそうな所をあらかじめ潰しておけば、売っても買っても安心だ。
「面白いよなぁ、これも高校生の通学用か」
「微妙な所やな、もしかすると趣味人に売るかもな」
中華バイクは安い。だが、それは手に入れるまでの話だ。客が安心して乗るレベルまで仕上げれば手間がかかってしまう。トータルすると安くは無いと思う。
「で、今日はどうしたんや?」
「絵里に『鬱陶しいから遊びに行って』って追い出されてな」
レイも大きくなったら同じような事を言うのだろうか。
◆ ◆ ◆
一時期と比べて中国製のバイクやエンジンは安心になったと聞く。だが、やはり日本製と違って構造を理解せずにコピーしたり、仕上げが荒くて作動不良をしていたりすることが多いとも聞く。
「う~ん、やっぱり仕上げはイマイチやねぇ」
カブとよく似たエンジンは寸法までホンダ製と一緒だったりする。問題は仕上げが荒いことだ。全体にクリアランスが大き過ぎたり小さすぎたりする。クリアランス次第では作動不良を起こすだけではなく、潤滑不良で焼き付いたり摩耗したり。とにかく具合がよろしくない。部品の合わせ面の仕上げも粗いものが多い。オイルストーンで面を出したりしながら進める。
「そっくりねぇ、こりゃホンダが怒る訳だ」
「見た目はよく似てる。でも、ほら」
メカの事はよく解らないリツコさんだが、ホンダ純正部品と並べると違いが分かると見える。見せたのはシフトドラムと言うギヤチェンジの部品だ。
「ん~っと、ここの部品はホンダ製だとクリップでとまってるのねぇ」
「そうや、ところが中国製はRピンの先を曲げて取付けしてる」
シフトドラムにはシフトフォークと言う蟹の爪みたいな部品が付いている。この部品がシフトドラムに刻まれた溝に従って動くとギヤを動かして変速する。
「なぜこの部品がこの形をしているかを理解せずにコピーしたんやろうな。で、上手く付かないから(Rピンの先を)曲げて付けたってところやな」
「じゃあ、このRピンを中国製に付ければOK?」
そう、このRピンが中国製シフトフォークに付けばOKだ。ところがこれが付かない。シフトフォークの形が違うからだ。
「やっぱりここも構造を理解せずに作ってあるから付かない」
「って事はホンダの部品を流用ね」
この中国バイクは個人の趣味で直すなら良いと思う。でも、商売としてはどうだろう。とにかく手間がかかる。もしも人を雇って直すなら大赤字間違い無しだ。
「手間ばっかりかかるで、どうしたもんかなぁ」
新型肺炎のせいか来客が少ない。少しだけ先行き不安な年度末である。
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