第451話 リツコとレイ・退院
今日はリツコさんが退院する日だ。迎えに行くのは午前九時だが、早朝から我が家へ来た金一郎と朝飯を食べている。
「運転手代や、残りのカレーはタッパーに入れて冷やしとく」
「おおきに」
今日の我が家はカレーの香りが漂っている。金一郎から「姐さんの迎えに車を出します」と連絡を受けた俺は夜遅くまでカレーを煮込んでいた。黒いセダンのリヤシートにはベビーシート。これは金一郎からの出産祝いだ。
「ベビーシートまでスマンな、お前には本当に世話になりっ放しやな」
「へへ……おばちゃんにはもっと世話になったしな、恩返しやで」
『情けは人の為ならず』とはこの事だろうか。近所で虐待されていた金一郎は大人になってから俺を助けてくれている。悪徳福祉施設の騙された時、暴走老人に殴られた時、その他にも困った時に一般人では出来ない方法で俺を助けてくれている。俺はごく普通なバイク屋だから金一郎の仕事で使うバイクの修理くらいしか出来ない。
「飯を食って八時過ぎに出ようかと思うけど、どうや?」
「手続きや支払いを考えるとその位やなぁ、いよいよレイちゃんがお家に来ますか。良いなぁ、儂も結婚しようかな?」
金一郎は縦縞スーツや怖い柄のネクタイじゃ無ければ普通の青年だ。モテそうなのに結婚しないのが不思議だ。
「結婚はイイぞ、俺もするまではどうでも良いと思ってたけどな」
金一郎にも幸せになって欲しい。出来る事なら過去を吹き飛ばすほどの大きな幸せを掴んでほしい。
◆ ◆ ◆
中兄ちゃんを乗せて産科へ向かう途中、コンビニに寄ったら白バイが横に停まった。中兄ちゃんは「あれは『高嶋署の白き鷹』て呼ばれてるけど女の子やで」って言ってたけど、どう見ても女性に見えない。
「おじさん、今日はリツコちゃんとベビーのお出迎え? くれぐれもこの前みたいな事は無いようにねっ! 次は捕まえちゃうぞっ!」
世の中には冤罪で捕まえて成績を上げようとする悪い警官が居ると聞く。それに比べれば滋賀県警高嶋署は何と人情がある温かい対応をするのだろう。
「この前はおおきに、昼には帰るで。これからは三人で楽しい暮らしや。で、こいつは叔父代わりの金一郎」
ポリ公に紹介されるのは怖いが、今は悪さをしていないはず。ヨロシクと頭を下げるとこの
(男の儂から見ても惚れ惚れするほどのイケメンや……)
白バイのお嬢さん(?)は軽い会話のあとでコンビニのトイレに向かって行った。最近は世間の目が厳しいらしく、水分補給やトイレでコンビニに寄ると警察署に苦情が来るらしい。
◆ ◆ ◆
「ぬうぅぅ! なんかまた可愛らしゅうなっとる!」
「金一郎、静かに」
個室で俺達を出迎えたのはレイを抱いたリツコさん。
「でしょ~、目は私に似たかな? 耳は中さんだね」
オッパイを飲んで満腹になったレイはスヤスヤ寝ている。
「金ちゃんありがとね、中さんもミントちゃんの修理を頑張ってくれたみたいだし、抱っこねっ♡ 首を支える感じでこう……」
「フニャフニャやな、なんか怖いわ」
まだ座らない首を腕で支えるようにして抱く娘はフニャフニャで頼りなく弱い。
「温かいな、うん、温かい」
「中兄ちゃん……」
「ふやぁ……」
抱きなれないからかレイの機嫌が悪くなってきた。
「アカン、泣いてしまいそうや。リツコさん交代」
「は~い、レイちゃんいらっしゃい~」
泣き出す前にリツコさんにバトンタッチ。リツコさんに抱っこされたレイは再びスヤスヤと寝息を立てて眠り始めた。やはり母親には敵わない。レイをリツコさんに任せて俺は入院費の精算を済ませ、金一郎は車を玄関へ回して荷物を積み込む。
「さて、我が家へ帰りますか」
「うん、レイにとって初めての我が家だね」
「姐さん、お嬢をベビーシートへお願いします」
俺とリツコさん、そしてレイを乗せてセダンは走り出した。往路は旧国道を走り抜けたが復路は凸凹の少ないバイパス道路に乗る。セダンは滑るように滑らか且つ静かに走る。なんとこのセダンはエアサスだそうな。我が家に有る軽バンと大違いな良い乗り心地だ。
「今日はゆっくり、お嬢を起こさない様に走ります」
「ありがとね」
「すまんな、頼むわ」
産院のある高嶋町から我が家のある安曇河町へ入り、バイパス道路を下りて藤樹商店街へ。我が家はもうすぐそこだ。
「リツコさん、ミントはスゴイ事になってるで」
スゴイどころではない。ミントは車輪の会メンバーにより部品ごとの修理が徹底的に行われて生まれ変わっている。問題は性能がほとんど変わっていない事だが、これに関してはエンジンをパワーアップした所で駆動系がチューニングできないからどうしようもない。パワーと駆動系はバランスが大事。エンジンをパワーアップしてもそれを生かせないならかえって乗りにくくなる。それなら調子良く動くノーマルエンジンの方が良い。そもそも足周りやブレーキを強化できないミントをパワーアップしてはいけない。
「ふむ、まだお股が治ってないから脚を揃えて乗れるスクーターが良い」
「え? もう乗るつもり? まだナンバー付いてないで」
そんな事を言っている間に我が家に着いた。さすがに日の丸の旗を振ってお出迎えとは行かないが、ご近所さんは手を振って出迎えてくれた。
「リツコちゃん、お帰り~!」
「困った事が在ったらおばちゃんに聞きや!」
クルマが停まるとご近所の奥様達が集まり始めた。
「リツコちゃん、オハギ作って来たで!」
「中ちゃん、そこの兄ちゃんも茶を淹れて!」
藤樹商店街にも高齢化の波は来ている。奥様方からすると三十代のリツコさんは娘同然の若奥様。レイは地域の孫みたいなものだ。今日の俺達は脇役だ。男二人で取り皿を出したり茶を淹れたりの大騒ぎ。そんな中でも眠っているレイは大したものだ。将来大物となるの違いない。
「兄貴、結婚はイイもんですなぁ……ん? 兄貴?」
一人でいる時には何も思わなかったが、リツコさんと出会うまでの俺は寂しい男だったのだ。皆を見ながら俺は思わず呟いた。
「そうか、これが幸せって奴か……」
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